Naked Cafe

横田創(小説家)

この先の方法

YES(or YES)

YES(or YES)

いま思えば橘上は、あのころからすでに同じことをしていたのである。あのころ、というのはわたしが雑誌『現代詩手帖』で映画評の連載をしていたとき、ふと投稿欄で目にした橘上(たちばなうえ? たちばなのうえ?)の「花子かわいいよ」(『複雑骨折』所収)という詩を読んで驚いて、興奮してあちこちに、たちばなじょう、たちばなじょう触れまわっていたころのことである。

 花子。かわいいよ花子。えっ何? 何でこんなにかわいいの? かわいい。本っ当にかわいい。かわいいわ。何つーか、その、かわいい。ばりばりかわいい。花子をミキサーにかけて、どろどろした花子ジュースをつくったとしても、絶対かわいい。もうヤベェ、ヤベェヤベェ。電柱があって、その電柱を花子と思い込めばかわいいもん。もう何だろうな。死ねよ。死んじゃえよ。何でお前みたいなのが生きてるんだよ。もう死んじゃえよ。マジで。(「花子かわいいよ」)

この詩の登場人物は花子ではない。正確に言えば、花子だけではない。かわいいも「えっ何?」「何つーか」の何もこの詩の重要な登場人物であることに気づいた者はミキサーやジュースがこの詩の通行人であり電柱がそこに立っていることに気づくだろう。それだけではない。ヤベェもこの詩によって/において重要な役を与えられている。ヤベェヤベェとくり返されている。電柱と花子とかわいいが死ねと死んじゃえよを連れてヤベェヤベェと歩いてくる。花子は確かに主役でこの詩の主人公だが唯一の登場人物ではない。いや、人物である必要はない。言葉であればじゅうぶんなのである。

ゆるしてくれよとぼくがいう ぼくみたいなぼくにいう いつでもだれでもよかったけれど、かなしみはいつもかなしめず、さびしそうにわらうだけ こんなふうにちからつきてみせる すきとおったぼくは あいつのおきにいり なまえをしらないけれどきにすることはない あいつもぼくをなまえでよばない (「この先の方法」)

この詩がこの詩によって/において言っている、というよりわたしたちの目の前でやって見せている=証明している通り「こんなふうにちからつきてみせる すきとおったぼく」は登場しない。「この先の方法」と題されたこの詩の主題は、ぼくの「この先の方法」ではなく、言葉の「この先の方法」である。ぼくでなくても「いつでもだれでもよかった」のである。

(ところで、かなしめないかなしみなどあるのだろうか。かなしめないかなしみは、それでもかなしみなのだろうか。それとも、もはやかなしみではないのだろうか。と、ぼくみたいなぼくにぼくはいう。いつでもだれでもよかったけれど、ぼくにいう。ぼくはいう。なまえをしらないあいつにぼくはいう。ぼくのしらない、ぼくをしらないあいつにいう。ぼくでないぼくはぼくなのだろうか。ぼくはぼくでなくてもぼくなのだろうか。ぼくでないものについてかたるぼくはぼくなのだろうか。ぼくでないものなのだろうか。それとも、どちらでもないものになるのだろうか。ことばになれるのだろうか。)

両義的でも多義的なのでもない。言葉はその言葉の隣りにある言葉である。隣りにある言葉の名付け親でも子でもなく、隣りにある言葉自身である。自分自身ではないもの自身であること、それが言葉であることである。言葉のこの本質なき本質を、自己なき自己を、かなしみを、意味とも論理とも隣人愛とも自由間接話法ともわたしたちは呼ぶのだけれど、ここでそう呼ぶ必要はないだろう。隣人は人である必要はない。愛とは人が人を愛することだけではない。かなしみだって、かなしみである自分を愛することができる日もあればできない日もある。ベテラン看護師がふと看護師である自分を看護師であったと、もうじゅうぶん自分は看護師であったと思う宿直の夜があるように。汚れて向こう側が見えない窓ガラスも窓ガラスである。赤ちゃんは、いづれかならずおおきくならなければならないわけではないのである。カバは自分がカバと呼ばれていることを、おそらく知らない。知らないと知ることもできない。かなしみは、かなしみと口にする、あるいは手で書く者のかなしみではない。かなしみはかなしみである。手や足がなくてもそのひとがそのひとであるように。死んだからといって、そのひとがいまここから、わたしの前からいなくなったからといってそのひとがそのひとでなくなったわけではないように。そのひとがそのひとでなくなってしまったように感じるのはむしろ、そのひとがそのひとであることを、きのうの夜、しゃべり過ぎてしまったと後悔する次の日の午後である。自由間接話法は、言葉を言葉で語る/語らないための、いつでも誰にとっても新しい「この先の方法」である。

あなたが新しく通り過ぎるなら 濡れたままでもよかったけれど 時計を合わせるのに 何年も費やしてしまったから それでもあのこははしらなかったから バスは予定通り来てしまう 何もさわらないで
バスは来さえすればいいのです さるひつようなどないのです 来てください 来るだけのバスでいてください (「雨」)

言葉で言葉を語ることはできない。なぜなら言葉は語るだから。語るでない言葉は言葉でないから。言葉であるとき、すでに言葉は言葉ではなく、語るであるほかないものだから。語るを語ることはできない。目に見えないものを目に見えないもので表象することはできない。雨は降ることはできても、雨は降るが降ることはできない。雨が降るが降るには、たとえばバスという降るはずのないものの愛が、かなしみが、摩擦が、突き刺さるが、傷が必要なのである。

バスは走る 雨になって走る 鳥と何度も摩擦して 先がじょうずにまるまった しゅうしょくされないあの塔へ いつかのあした、ふりそそぐ バスはあなた以外でいっぱいです バスは降る 雨になって降りながら 塔の上に突き刺さる 刺さりながらも車輪をまわして 空と摩擦し傷をつけ 傷口から 雨が降る (「雨」)

複雑骨折

複雑骨折

豆腐の肉

(十月の、とある日曜日に、友だち夫婦の家で思うぞんぶん料理をさせてもらうという、なんとも楽しい機会を得た。ふたりが住む浜田山の白くて古いきれいなマンションの近くにあるカルディで乾燥キクラゲを見つけ、いまだに節電モードで薄暗い西友の食品売り場で鶏の胸肉と小松菜を大量に購入してその日わたしが作った料理の大半は雑誌『きょうの料理』の公式サイト「みんなのきょうの料理」を検索して選択したレシピである(その夜作ったもので、もっとも好評だった鶏の胸肉の青椒肉絲の元にしたレシピはこちら)。わたしはほとんど毎日このサイトを検索している。safariのブックマークバーの「料理」というボタンを押せば即開く。そして「スープ」とか「汁」とか「グラタン」とか「ハンバーグ」いった極めておおざっぱな料理名の隣りにひとマスあけで「豚挽き肉」とか「鶏レバー」とか「ジャガイモ」といった食材の名前を入力して検索する。基本的にプロの料理人のレシピしか掲載されていないこのサイトにはないと思われる、冷蔵庫の残り物的というか主婦まるだしな料理をするときは、ぐぐる。味噌汁にめかぶを入れてもいいのかな? まずいのかな? いや、実はイケるのではないかと思ったときは「味噌汁」「めかぶ」と入力してreturnキーを右手の小指で叩く(うまかった!)。これから紹介するのは、そんなふうにしてわたしが見つけたレシピである。そのほとんどが「みんなのきょうの料理」に掲載されていたレシピで、ブックマークの「料理」フォルダには、ざっと見積もっても二百か三百くらいの「みんなのきょうの料理」のオレンジ色のアイコンのついたブックマークが並んでいる(パソコンがクラッシュするたびに失われても、それはまたすぐに降り積もる)。はっきり言って一日中、今夜の料理はどうしようか、なににしようかと考えている。なんかちょっと違うな、そんな気分じゃないな、あ、これおいしそうだな、最初の最初に思っていたのとだいぶ違うものだけどこれでいいかな、いや、でも冷蔵庫の中には、などと近所のスーパーまで白いエコバッグを引っ掴んで買い物に行くまでつづく。肝心かなめの食材が売り切れていて手に入らなかったときのために二の矢、三の矢のレシピも用意して行く(そしてそれは往々にして起こる)。買い物リストは自分の携帯電話にパソコンからメールで送る。たとえば、もやし/えのき/にら/にんにく/豆板醤/イングリッシュマフィン/豆乳/木綿豆腐/卵/ピザ用チーズ(ちなみにこの日のレシピは「もやしタンタン」そーぐっど!)。レシピ本の付箋が貼られたものが、作りきれないほどたくさん順番待ちをしているのでメインは意外とすぐに決まるのだが、それでも副菜的なものと汁的なものの検索はする。相性、とか思う。栄養のバランス、というか必須アミノ酸とビタミンの組み合わせはかなり気にしている(おかげで最近タンパク質の勉強にハマり始めている)。カロリー計算はちいさいときに母親に鍛えられたので、しようとしなくても自然としている(なのに最近カップクがよくなり出したのは、ひとえに加齢のせいであると思われる)。料理は現実と空想の、成長あるいは老いと知の、どこまでも行ってもシミュラークルな異種格闘技である(内臓を切って開いて並べただけで何畳分くらいのフィールドになるのだろう)。わたしたちの血となり肉となるのは「わたしたち」という常にしてすでに「わたし」を超えたわたしの肉であり血である。食べるほうも食べられるほうも血であり肉であり、同じひとつの回路であり生成である(よってこの「わたしたち」には、食べるほうも食べられるほうも含まれる)。基本、なにかが変わったというよりも、変わらない、と言うほうが好きだから言うのだが、料理に3・11以前も以後もない。ずっとわたしたちはこうした格闘の末に、ではなくその途上で生きてきたし死んできた。代謝することが生きることであるのは細胞レベルの話だけではないはず。ひたすら栄養を吸収して臓器を形成しつづければ必ずや自分が望んだ以上の自分が鏡の永遠の中に出現するだろう(それをパラノイアと精神分析家は呼ぶのである)。冷蔵庫をすっからかんにするのは実に気分がいい(おかげで週に一度は年末がわたしのこころに訪れる)。目の前にランチの行列が出来ている(わたしはいま初台のオペラシティの吹き抜けの中庭を臨むエクセルシオール・カフェでこれを書いている)。そして今夜なにを作ろうかと考えている。きのうはコウ・ケンテツの「韓国風湯豆腐」と高山なおみの「カキとセリの炊き込みご飯」*1だったから、きょうはパスタにしようか、グラタンにしようかと考えているわたしもまた血であり肉である。無料の電波が飛んでいる幡ヶ谷のサクラ・カフェに移動してレシピを検索しながら書くことにする。)


厚揚げと小松菜のナムル
十月の、とある日曜日のその夜に最初に作った一品である。ナムルのうまさとそのお手軽さについては、あらためてここで語る必要はないだろう。基本、ゴマとニンニクと塩と砂糖で、わりとどころかかなりきつめの味付けをしてもメインの食材の邪魔には決してならないこの副菜こそが韓国料理の純粋、ほかのどの料理にも含まれる元素なのではないかとわたしには思われる。タイやベトナムの料理もそうだが、東アジアの料理は野菜が、特に葉物野菜がテーブルの上にところ狭しと並ぶところが、とにもかくにも嬉しい。ならばと肉の代わりになるだけの食べ応えと栄養価をを含む厚揚げと、チンゲンサイの代わりになるどころかチンゲンサイを食べたくなるときに無意識にわたしたちが求めているもの、そのすべてを含みながらチンゲンサイよりも食べやすく、味も濃く、色味も豊かで歯ごたえもある小松菜を使ってナムルを主菜にしたのがこのレシピである。そして、小松菜といえばこの中華そばである。


小松菜そば
ひそかにわたしが小松菜の翡翠ラーメンと呼んでいる、実に手軽でシンプルなラーメンである。なにはさておき見た目が素晴らしい。山奥の湖を思い出させるような濃い緑の破片がきらきらと浮かんだスープの表面がすーんとしている。実に静かなラーメンである。なのでこってり系のラーメンが好きなひとには残念ながらオススメできない。むしろこってり系のラーメンにうんざりしているひとが、自分でラーメンを作ってみたくなったときのためのレシピの叩き台というか好きな食材(たとえば、ジャガイモとウィンナー、キャベツと鮭、春菊と豚バラブロック)を代入して同じように1センチ角に刻んで湯の中に放り込めばオリジナルのラーメンを作ることができる形式にこのレシピはなるのではないだろうか。それくらいシンプルなこのラーメンの材料は小松菜と鶏のもも肉。スープはこのもも肉を煮ることで自然に作られる出汁を塩で味を調えただけの実にシンプルなもの。小松菜はもともとは江戸川区の小松と呼ばれる地区の菜っ葉。聞けば日本各地にはむかし小松菜のようなご当地菜っ葉が自生するかのごとくどこの畑でも栽培されていたのだという。野沢菜漬けで有名な野沢温泉の野沢菜しかり、富士の裾野の鳴沢村の鳴沢菜しかり、水菜や壬生菜といった京野菜ももともとは地元の市場や直売所でしか売られていなかった、あるいは自分で作って自分で食べていた究極の地産地消菜っ葉だったのだろう。みんなチンゲンサイの仲間でアブラナ科である。かつては三浦大根や練馬大根といったご当地大根もスーパーに並んでいたのにいまでは青首大根と呼ばれる箱詰めしやすい品種しか流通しなくなってしまった大根もアブラナ科。言われてみれば葉というか茎の断面が、小松菜の茎と同じ雨樋みたいなかたちをしている。ということは、小松菜の茎で菜っ葉飯を作れるのでは? カブの葉っぱの菜っ葉飯はとってもうまかった。そう。この誰もが好きな、誰もがわーきれーと声を上げてしまう菜っ葉飯の麺ヴァージョンが「小松菜そば」なのである。同じように厚揚げのレシピをもうひとつ紹介する。


キャベツと厚揚げのみそ炒め
このレシピを豚挽き肉抜きで、厚揚げだけで作ることをわたしはオススメする。厚揚げは大豆の肉である。大豆の肉を揚げたものだから、ちゃんとまわりに脂身のような衣もついている。豆腐という肉の唯一の弱点である、味がつきにくいところもこの衣が解消してくれる。そらにこのレシピのちょっと変わったところ、そしてすぐれているところは、味のベースになる味噌に梅干しを叩いたのを混ぜて酸味を加えていることである。中華の多くのレシピがそうだが(そして酢豚の中のパイナップルに代表される、多くの男性陣に不評なレシピなのだが)、こってりした味付けになればなるほど酸味が欲しい。我が家の定番である「梅肉入りしょうが焼き」は、夏になると食べたくなる一品である。インスタントの醤油ラーメンを煮るときに梅干しをひとつ落とすとレイヤーがまたひとつ加わって味にひろがりが出るし、ご飯を炊くときに一合につき一粒、種を抜いて入れて軽く混ぜて食べると胃もたれの防止にもなる(菜っ葉飯と合わせたら色も味も最高なご飯になるのではないか、といま思いついた)。


肉なしマーボー豆腐
なんだか、だんだんダイエットレシピの紹介記事みたいになってきたが、あなどるなかれ、この麻婆豆腐は絶品である。いろいろなレシピで、あるいはいろいろなお店で食べた味を見よう見真似で作ってきたが、これだけ豆板醤の辛みを軽快に楽しむことができる麻婆豆腐はほかに思いつかない。サンプルの画像をよく見て欲しい。とろみの中に二種類の豆腐が混在していることにお気づきだろうか。手で細かく砕いてフライパンでよーく炒った豆腐がこの麻婆豆腐の挽肉で、四角く切って湯通しした豆腐がこの麻婆豆腐の豆腐である。ぜひ「レタスとトマトのスープ」と一緒に。顆粒チキンスープの素はどれでも良いが、常に同じものを使うことが肝要であると思われるのは、かなりの塩分が含まれているからで、わたしは顆粒チキンスープの素を使ったスープを作るときは細かく刻んだザーサイを入れたりしてこれ以上塩を使わないようにしている。料理に使う塩は、ただ塩である塩ではなく、塩の代わりにもなる食材をできるだけ多く使いたいものである。洋食っぽいスープを作るときはベーコンを水から入れて弱火で煮立てて出汁をとりながら自然に塩分を加えて、和食の汁には野沢菜や高菜といった漬け物を入れて単純でない複雑怪奇な塩分気分を味わうことをオススメする。ということで今夜は「納豆入りおかず豚汁」を作る。


納豆入りおかず豚汁
きのうの夜「きょうの料理」で見たばかりのレシピである。まだ一度も作ってないのにオススメするなどという暴挙に打って出ることができるのは、いままでに数々のケンタロウレシピを作ってきたという自負があるからなのだが*2、そうでなくても作りたくなる食材がずらりと並んだレシピである。この豚汁は煮干しで出汁をとる、要は韓国風の味噌汁なのだが、ケンタロウの韓国料理(風も含めた)レシピにどれもおいしいから作ってみてよとオススメできるのは間違いなく彼には、こころと体が同時に震えて血と肉が混じり合うくらいの感動を韓国料理によって/において味あわされた経験が何度もあるからなのだろう*3。食べることが好きなことだけが料理人になる唯一の条件であることをわたしは彼のレシピと彼の出演する料理番組に教えられた。ケンタロウと言えばこれ。次に紹介する、料理の初心者でも簡単に作ることができるレシピは、複雑怪奇な塩分気分をキムチで見事に実現した我が家の定番レシピ十傑に入ること間違いなしの強者である。


肉キムチ豆腐
知らなかった。わたしはこんなにも豆腐が好きだったのか。知らなかった。豆腐好きの延長で豆腐を使った料理にハマっていたとは思わなかった。確かにわたしは大豆のタンパク質を信頼している。ただの代用食、肉の代わりのものとしてではなく、求められれば肉の代わりになることができる豆腐の力を常に欲している。豆腐は豆腐の肉である。植物性タンパク質によって構成された肉である。この地上のかたちあるものはすべて、動物であろうが植物であろうが、細胞レベルで見ればそのほとんどがタンパク質で出来ている。タンパク質をアミノ酸に分解して吸収したエネルギーによってタンパク質を形成し細胞分裂をくり返したその結果が、いや、形成しながら刻々と代謝しているタンパク質の運動そのものがわたしたちの胃であり肺なのである。などと考えながらこのレシピを料理をしているわけでも食べているわけでもないのだが、肉もキムチも豆腐も肉であることは、理論的にも経験的にもわかるような気がする。含まれるタンパク質の割合は、肉の肉も、豆腐の肉もそれほど変わらない。キムチの白菜も、もちろん肉である。


キムチハンバーグ
実はこのレシピも豆腐を使っているのだが、わたしがいままで作った豆腐ハンバーグの中ではこれがいちばんオススメである。えごまの葉を売っているスーパーはなかなかないので大葉を細く刻んでこんもり盛ったのと、粉唐辛子(チリペッパーでも一味唐辛子でも)を和えた大根おろしと一緒に食べれば、軽さと強さを、キレとパンチを同時に兼ね備えた正統派のボクシングスタイルのボクサー、若かりしころの具志堅用高のようなこのレシピの凄さをおわかりいただけることだろう*4。ハンバーグそのものが最初からオリジナルのない/オリジナルがありすぎるアレンジ料理なのでこのような素晴らしいレシピが生まれたのかもしれない。


白菜たっぷり煮込みハンバーグ
今年の冬は、夏終わりの台風による不作の鬱憤を晴らすかのように野菜の出来が良く、ことに白菜が素晴らしく、そして安いので作ってみたのだが正解だった。レシピにある、枝元なほみさんオリジナルの「ハヤシライスの素」の代わりにハインツのデミグラスソース缶を小鍋で温めて赤ワインを50ccほど入れてアルコールを飛ばしたものに、フライパンで焼いたちいさめのハンバーグと白菜の芯を入れて煮込んで仕上げに葉を加えてひと混ぜしたのをカレーのようにご飯と一緒に盛ってみたのだが、ひとくち食べるたびに感動した。肉に負けないくらい強い筋のある白菜もまた肉なのだと思った。葉と芯とである意味、骨付きの肉である(肉か野菜か、などと考えるのはもうやめようと思う)。ということで最後にジャガイモの肉のレシピを紹介する。このジャガイモは、実に食べ応えのある、肉らしい肉だった。


みそじゃがバター
言うならこれは、バターと醤油でシンプルに味付けされたジャガイモのステーキである。

*1:『今日のおかず』

*2:作りました。食べました。予想通り、いや、予想以上にぐっとくる汁だった。ほかの「冷蔵庫の残り物」でも試してみたい。

*3:『ケンタロウの韓国食堂』

*4:マツコ&有吉 怒り新党

朝までずっと流れているのに、誰にも聞かれずにいる音楽

ハラカミ・レイ[rei harakami]の音楽の偉大さは、和音の響き中のひとつの音として音をとらえるのではなく、或るひとつの音の中に別の音を響かせたことにあると思う。揺らぎとも、響きとも、ときには不安とも呼ばれるそれは音の効果ではなく、音のふるさとなのだ。彼が見出したその地平は、どこまでのひろがりを持つものなのか。それ以前に音とは「持てる」ものなのか。点なのか波なのか(ドゥルーズの言葉で言えば、線なのか)。認識できるものなのか。そのひろがりに限界はあるのか。人間の耳(=鼓膜やスピーカーのカーボン紙やヘッドフォンの共鳴板)しか持たないわたしたちには、びりびりと震えるだけで、いくら耳をすませてもその全体を聞くことはできない、音が音として認識される前の、揺らぎとも、響きとも、ときには不安とも呼ばれる音ではない音、音の関係が、たとえば『lust』と題されたアルバムののっけから、音の彼方から、音とは別の存在の仕方で鳴り響く。これほど徹底的に無神論者としての態度を貫くことで、もはや神のものでも人間のものでもなくなった(=神からも人間からも自由になった、そして誰のものでもなくなった)宗教音楽をわたしは知らない。
youtu.be
関係における、関係としての自由*1。それは予防接種を断固として受けず、ありとあらゆる細菌に、ウィルスに汚染され、内側から腐り始めた体を横たえ、滅びゆく肉としての自己を見つめる羊の最後のひとくち、その無駄な食事によって捕食される草原の稲科の植物にだけにふさわしい、たとえばそんな音楽である。丈の低い草のひろがりの中を飛び跳ね重なり合うちいさな放物線を描くバッタや蝶の住み処である草原の朝靄の向こうから、或るひとつのトーンが風となり、ひと息に海まで吹き抜ける。誰のものでもないことでしか、誰のものでもあるものになれないことを、その風に揺れる者たちは知っている("come here go there")。こっそりと工事現場で働く男たちを見ている、ひとりの女の子がいる。彼女はどうしようもなく、白を通り越して誰の目にも見えなくなってしまった透明な光を無駄に放出しているアドバルーン型の照明灯が好きなのだが、そんなことなど男たちは知らない。急ぎ足で操車場の線路を跨いで、どんなにオタクなひとたちだって乗ることのできない運転席が剥き出しの黄色い電車に飛び乗り、欄干にぶらさがったまま橋の下を行ったり来たりしているのを彼女が二時間も見ていたことなど誰も知らない("after joy")。買ったばかりのオートバイをすぐに転ばせてしまう気がして、気が気でなくて五分も高速道路を走っていられなかった、ガソリンスタンドのバイト仲間からアカオと呼ばれている高校生の、半端な不良の男の子は、灯りの落ちたサービスエリアの端の車の枕みたいな駐車場の石に腰を降ろして朝まで慣れないタバコを吹かして過ごした。目の前に、端が見えないほどおおきくてこんもりとした夜よりも暗い森があった。あとで地図で調べてみようと思った("last night")。明け方の台所を、それも流しの上の出窓の掃除をするのが彼女の癖だった。キャミソールの下は、強く引っ張ればいつでもすぐに穴が開きそうなほど薄くなった水色のショーツしか穿いてなかった。十階建てのマンションの十階に彼女はいるのだが、その全体が彼女の下半身であるかのように腰から下が重い夜だった。隣りの部屋に住む老人が、歯磨き用のプラスチックのコップを流しに置く音を聞く、ちょうどそれくらいの距離感で自分の腸の中を蠢く、さっき下の駐車場で別れたばかりのカレシと食べたうなぎの小骨を彼女は想像している。うなぎは夏に食べると胃もたれする。台所の出窓で芽を出したジャガイモの、しわしわの皮だけで作ったきんぴらごぼうをカレシに出しても、うまいうまいと言うだろうか。決してこだわりがあるわけではないこまこましたものを、出窓に並べ直し終えたときには妹の結婚式には出ない、おめでとうも言わない、誰がなんと言おうとこのタイミングで結婚してはならないと最後まで言いつづけようとこころに決めていた("approach")。ゴキブリが公園の真ん中を這いまわっていた。隣りのテニスコートの入り口に「不審者に注意!」と書かれていた。ずっと前からトイレに行きたくて、ここに来たのにトイレがなかった。どこに行けばコンビニがあるかもわからなかった。なんとなく猫がいるかと思って呼んでみた。いなかった。逃げたのかも知れないし、植え込みの下に隠れてわたしのことを見ているのかもしれないけど、にゃーと出て来ないのなら、いないのと同じだった。ゴキブリがテニスコートと公園を隔てる敷石に到達した。ミスチルを熱唱する姿の見えない男が公園の横の坂を猛スピードで駆け下りていった。わりと最近買ったばかりのスニーカーを脱いだだけで、たいした覚悟もないままそのままおしっこをして、足首の内側から足の裏にかけて濡れた靴下をぶんぶん回して乾かしながら家まで帰った。おかあさんが「水曜どうでしょう classic」を見ていたから、横に座って最後まで一緒に観た。来年のカレンダーを月ごとに、みんなに「おんちゃん、おんちゃん」言われているオレンジ色の丸い物体のきぐるみを着たひとと一緒にミスターがポーズをとって撮られていた。ゴキブリのことをおかあさんに言おうと思ったときトイレに立たれて、結局言わずにお風呂に入って寝ました。おしまい("first period")。

朝までずっと流れているのに、誰にも聞かれずにいる音楽を想像すると、なぜかハラカミ・レイの音楽がわたしの耳には聞こえてくる。誰かがそこにいようがいまいが、音楽、そのすべてのレイヤーは、すべての者たちと言われる以前のすべての者たち、目に見えるなにものかであること、すなわちいまここに存在することが受容の条件にならない者たちのために、耳をすませばいつでも鳴り響く。存在とは別の仕方で存在するもの、つまりは生まれながらの幽霊であるがゆえに、名前も住所も知らない誰かからの、名前も住所も知らない誰かに宛てた手紙の中に、ぺしゃんこになった蝉の死骸が挟まれていて、びっくりしたひとの顔を見ることはできないのと同じ不安の中にある。ただしげしげと蝉の死骸を眺めるだけで、そのひとが声ひとつあげなかったことも誰も知らない。誰も知らないはずのことだけが音楽によって/において救われる。音楽は見ている。すべてのものを同時に見ている/がゆえになにも見ていない。目とは別のものによって見ている。見ないことにおいて見ている。簡単なことだ。なにも難しい話をしているわけではない。手紙を読んでいるとき、その手紙を書いたひとの顔を、目を、わたしたちは見ずに見ている。面と向かえば五秒と見ていられないはずのそのひとの目をまじまじと、そしていくらでも、なんなら朝までだって見ていられる。視線を合わせていられる。それが音楽という経験、経験としての音楽なのだ。

「私は見ずに書いています。やって来てしまいました。あなたの手に接吻し、そして引き揚げるつもりでした。私は引き揚げるでしょう、接吻という報いなしで。けれども、私がどれほど愛しているかをあなたにお見せできたなら、私はそれで十分報われたことになるのではないでしょうか。あなたを愛していると私は書く、そのことをあなたにすくなくとも書きたい。でも、筆が欲望のままに進んでくれるかどうかわかりません。私が口でそう言い、そして逃げ出すだけのために、あなたは来てくださらないのでしょうか? さようなら、ソフィ、おやすみなさい。来てくださらないということは、あなたの心が、私がここにいるのをお望みでないということです。闇のなかで書くのはこれが初めてです。この状況は私に、とても優しい思いをいくつも吹きこんでくれるはずです。それなのに、私が感じるのはたった一つ、この闇から出られないという想いです。あなたの姿をひとときでも見たい、その気持ちが私を闇に引き留めます。そして私は話し続けます、書いているものが文字の形をなしているかどうかもわからずに。何もないところにはどこにでも、あなたを愛していると読んでください。」ドゥニ・ディドロ(ソフィ・ヴァラン宛、一七五九年六月一〇日) ジャック・デリダ『盲者の記憶』訳・鵜飼哲 所収

……大崎清夏「暗闇をつくるひとたち」を読みながら。

*1:ロベルト・エスポジト『近代政治の脱構築

〈ダメな女〉たちへ

芸能人は、多忙による擦れ違いで別れる。世間はそれ以外の方法で芸能人の夫婦を、あるいはカップルを別れさせてはくれない(多忙でなければならない、そして、擦れ違いでなければならない)。おしゃれに目覚めたばかりの中学生の女の子は、不自然なほど、ぴんとなった前髪をピンで横様に留めなければならない(ワンポイントは付いていてもいなくてもいいが、マクドナルドは三人以上で、できれば大人数で入らなければならない)。若くて生きのいい野心溢れるサラリーマンのおれの靴の先は四角に尖ってなければならない(これについてはノーコメントでお願いします)。

言わせて欲しい。こんなことを急に口走り始めるわたしをゆるして欲しい。わたしが、たまにだが連れて行かれるカラオケで歌う曲が、女性ボーカルの、それも〈ダメな女〉が〈ダメな女〉である自分を歌った歌しか歌えなくなってひさしい。最初はDJ HIROKAZに教えてもらってハマった古内東子の「心にしまいましょう」で、日本語の特異性というか癖というか、要するに早い話が悲しみを、そのどうしようもなさを引き受けたうえで、これ以上ないというほどしっかりとR&Bしているソウルフルなこの曲を歌うのは極めて難しく、ましてや男のノドや肺、鳩胸ならまだしもただ単にぶ厚いだけの胸板を持つわたしのような者が歌うのは、歌手あるいはボーカリストと呼ばれる特殊なひとたち、平井堅徳永英明ででもない限り不可能なのはわかっているのだが、不可能であるのを承知で、それでもわたしには歌う必要がある。なぜならわたしは〈ダメな女〉だから。

女ではないにもかかわらず〈ダメな女〉であるわたしだからこそ言えることだから言わせて欲しい。女でありかつ〈ダメな女〉であるあなたにはきっと言いづらいどころか、口が裂けても言えない、言いたくないことだと思う、思って当然だからこそ言わせて欲しい。〈ダメな女〉は最高である。特に、歌うと、よくわかる。わからないどこかで、わからないまま、ああ、わからない、どうしてわたしはこんなわたしなのか、なにをしても、誰と付き合っても、好きになれば即こんなわたしばかりがわたしになるのか、わからない、もう勘弁してよと絶叫しながらよくわかる。それでいい、いつもこんなふうに〈ダメな女〉のわたしでしかわたしであれないわたしであっても構わないどころか、いや、そうあるべきだ、誰もがわたしのような〈ダメな女〉であるべきだ、ていうかどうしてわたしのように、誰かを好きになって、そのひとと一緒になにかをしたくなって、ずっとずっとそうしていたいと思うのに、思っているのに〈ダメな女〉にならずに済むのかわからない。誰だって、たとえ女でなくて男であったとしても、誰も彼もが、そう、彼だって、いま付き合っている、愛しの彼氏の彼だって、わたしのような〈ダメな女〉であってくれたらわたしのこの悲しみの半分は消えてなくなり、まるで女同士みたいな温泉旅行ができるのに。おしゃべりしながらぷらぷら歩くように旅をすることが、旅するように生きることができるのに。などと淡い夢を見ずにはおれないからこそ言わせて欲しい。もう行かないで、そばにいて、と歌わせて欲しい。もう愛せないと言うのなら、友だちでもかまわないわ、と泣かせて欲しい。強がってもふるえるのよ、声が……。

ああ時の河を渡る船に オールはない 流されてく
横たわった髪に胸に 降りつもるわ星のかけら
もう一瞬で燃えつきて、あとは灰になってもいい
わがままだと叱らないで 今は
 (Woman "Wの悲劇"より 作詞/松本隆 作曲/呉田軽穂[=松任谷由実])

相米慎二が、あの短い、それこそ一瞬で燃えつき灰になる直前に歌った『風花』の〈ダメな女〉は、山奥の、来る予定のなかったペンションの食堂で、酔っぱらって手をたたき、やんややんや大騒ぎをする見知らぬ男たちを、ビールコップ片手に頬杖ついて見つめる。ダメな男はダメではない。右に左にと、なんでもかんでも対称的にできていると思ったら大間違いで、男である限り、ダメな男はダメではない。ダメになれない。安吾の言葉で言えば〈堕落〉が足りない。キルケゴールの言葉で言えば〈絶望〉が、人間的にいって、もはやいかなる可能性も存在しなくなるそのときを、深淵を見ていない。アメリカは男でありつづける限り、パレスチナという〈ダメな女〉の悲しみを、その愛の深さも浅さもない絶望を、ハイデガーなら〈運命〉と呼ぶであろう罪を、転落を知ることはないだろう。危険なことは百も承知で言わせて欲しい。できることならパレスチナは国家ではなく運動であるままでいて欲しい。インティファーダという偽の祭典のない、石は投げてもロケットはスデロット市に打ち込まない、もちろん胴のまわりに巻いたプラスチック爆弾を隠し持つような、昔といってもほんの十数年前の少年のような自暴自棄にもならない抵抗を、女のあがきを、絶望を見せて欲しい。〈ダメな女〉のままでいて欲しい。

なぜなら〈ダメな女〉は、ダメである限りダメではないから。〈ダメな女〉が本当に、とはつまり偽の意味でダメになるのは〈ダメな女〉でありつづけることを諦め、ダメでない〈ダメな女〉になると偽の決意をするときだから。男との、彼との関係を断ち切り、有象無象を退け、やおよろずの神に見守られ、支配も被支配もない、女だけの自由な国を、独立国を建設しようとまるでイスラエルのように欲望するときだから。そうではなくて、まどか☆マギカ暁美ほむらのように、永遠に永遠を盛るような、関係という名の内戦のさなかを生きて欲しい。男たちとの果てなき泥仕合を戦いつづけて欲しい。結婚なんて卒業式と同じで、ただちょっと自分の人生に区切りをつけて振り返りたいだけなのだから。そうでもしなければ、おとうさん、おかあさん、わたしを産んでくれて、育ててくれてありがとう、なんて言葉を口にする機会がないその機会は、その言葉は墓場まで持っていって欲しい。親不孝者だけが不幸な子供を産みも育てもしないのだから。ひとりで生まれてひとりで死んでゆく人間には、産むも育てるもありゃしないのだから。自分の人生がどんな人生だったかなんて、捨ててきた男たちのファンタジーの中で生きつづければいい(わたしには肉があり、肉のわたしには頭もあるし性器もある)。いつになってもずわずわで、かたちがさだまらず、こんな歳になってもまだ自分が誰だかよくわからない(いくつになっても娘で、女の子な気分でいるわたしを諦めさせるために「おばさんだから」なんて言えない、文字通り、死んでも言えない)。きょう一日、自分はなにをしたのだろう、なにかひとつでも納得できるまでしたこと、できたことがあるだろうかと、おでこに貼りついた言葉を手繰り寄せた途端に数珠つなぎの、物思いという名の底なし沼に足をとられ、このままずーっと自分はなにものにもならぬまま、なにも為せぬまま終わるのではないか、死ぬのではないかと震えぬ夜はない。

ああ時の河を渡る船に オールはない 流されてく
やさしい眼で見つめ返す 二人きりの星降る町
行かないで そばにいて おとなしくしてるから
せめて朝の陽が射すまで ここにいて 眠り顔を 見ていたいの

自動音楽[バロック・ミュージック]


携帯電話で話すひとの声は、なぜあれほどまでに気になるのか、うるさいと思うのか。誰もが一度は考えたことがあるそんなことを、しつこくわたしは考えてきた。カフェで話しているのは、携帯電話で話しているその子あるいはそのおっさんだけではないというのに、ほかにもたくさんの声があり、話す相手が目の前にいるにしろいないにしろ誰かと話していることに変わりないというのに、なぜかその声だけが浮いたように気になる「携帯電話で話すひとの声」の秘密。たまたま同じカフェに居合わせた見ず知らずの他人であるのに他人であるままいさせてくれない言語の自動性。見ず知らずの他人の話す他人の代わりに話を聞いているわたしは見ず知らずのわたしで、すでに他人だ。すなわち第三者であるわたしにもわかる暗号で話すスパイがそこかしこにいるこのカフェのほうがどうかしていると言わざるをえない。コミュニケーションがうまくとれないことよりも、とれることのほうが不思議でならない、そんな気分にさせられる。などといまここに書くわたしは、言うなら、いまこれを読んでいるあなたと文字という名の守秘回線によってスパイ活動をしている工作員なのである。インターネットでなにをこそこそ見ているのかと気になり、パソコンの、あるいは携帯電話の画面を覗き込もうとしている恋人があなたの隣りにいるかもしれない。

それとは逆に、ビルや鉄道、高速道路に囲まれたちいさいおうちのように自分より頭ひとつ出たところで目配せし合う外国のひとびとに、わたしもこんにちはもさよならも愛しているもわからない外国語でなにやらひそひそ話をされているときはどうだろう。なにを話しているのかさっぱりわからないからこそ自分のことを話しているに違いない、いや絶対そうだ、そうに決まっていると思うかもしれない。そのなんとも言えない居心地の悪さの中に言語の自動性がある。意味と呼ばれるなにかがそこで作動している。たとえ母国語でも、話すたびに一から作り直しているわけではないどころか、そもそもわたしたちは、自分の意志で話をしてなどいない。言葉を話しているのではなく、まるで機械のように言葉に話をさせられ聞かされ意味の開けにさらされている。なるほどそうかと頷き、あるいはそうではないと首を振る。わたしたち自動人形は、誰でもいつでも声の化身だ。わたしもこんにちはもさよならも愛している知っている振りをして生きる。わけもわからないまま読み進めるミステリ小説を読んでいるときと同じ心持ちで、みずからの意志でみずからの意志を放棄し、この先どんな風景が見えてくるのかと目をこらし耳をすませる。そういえば『呪怨』は、あの世にも怖ろしい恐怖汚染の始まりは、とある高校の校舎の入り口に落ちていた、とある携帯電話を、とある女子高生が拾うことから始まるのだった。とある、とある、とあると登場する、なにも知らない自動人形たちによって、どことなく別荘を思わせる無国籍風の、とある一戸建て住宅の同じ風景の上に別の風景が同じ風景として(それこそが幽霊!)折り畳まれ上書きされ別名で保存される。物語のつづきが気になるのは、最初からなにかのつづきだったからだ。

表現すること/されることは、いまここで言うところの或る種の自動性に参加することである。スピノザにとってこの世界は、思惟であれ延長であれ、精神であれ物であれ神の表現であり自然の為せる技であることに変わりないのはそのためである。表現することは、なにかを作ることではない。一からやり直すにしても、一度目ではない。すでにそれはそこにあり、それはそれとして自動的に機械のように作動しているものを、出来事を身体として、あるいは精神として同時に表現し/されたものである。さて、携帯電話で話すひとの声である。それは剥き出しの自動性であり、誰も彼も、彼女も僕もきみもわたしもない、つまりは人称を無にする衝動、欲望そのものである。なぜなら声は言葉の運動、意味と呼ばれる実体であると同時に言葉としてわたしたち知覚される思惟と延長(精神と身体)という属性を同時に持つものであり、その様態として、ふとわたしたちは顔をあげ、居住まいを正し、首をまわして肩の凝りをほぐしながら、あれやこれやとあることないこと考える遠い目をして、注文カウンターの横の、男女それぞれひとつしかないトイレが空くのを待つあいだひそかに姿の見えない見知らぬ誰かの携帯電話で話す声を聞いている。なのにわたしたちは自分の意志で、精神の力によって/において自由に(とはつまり自己原因的に)行為していると根強く思い込みつづけるのはひとえに「身体が何をなしうるかをこれまでまだ誰も規定しなかったからである」とスピノザは言う。

このようにして、幼児は自由に乳を欲求すると信じ、怒った小児は自由に復讐を欲すると信じ、臆病者は自由に逃亡すると信ずる。次に酩酊者は、あとで酔いが醒めた時黙っていればよかったと思うようなことをその時は精神の自由な決意に従って話すと信ずる。同時に、狂人・おしゃべり女・小児その他この種の多くの者は、実は自分のもつ話したいという本能を抑えきれないで話すのに、精神の自由決意から話すと信じている。これで見れば、経験そのものも理性に劣らず明瞭に、人間は自分の行動を意識しているが自分をそれへと決定する原因は知らぬゆえに自分を自由だと信じているということを教えてくれる。それからまた精神の決意とは衝動そのものにほかならず、したがって精神の決意は身体の状態と異なるのに従って異なるということを教えてくれる。各人は自分の感情に基づいて一切を律し、さらに相反する感情に捉われる者は自分が何を欲したらいいのかを知らず、また何の感情にも捉われない者はわずかのはずみによってもこっちに動かされあっちに動かされするからである。
以上すべてからきわめて明瞭に次のことが分かる。それは精神の決意ないし衝動と身体の決定とは本性上同時に在り、あるいはむしろ一にして同一物なのであって、この同一物が思惟の属性のもとで見られ・思惟の属性によって説明される時、我々はこれを決意[デクレトウム]と呼び、延長の属性のもとで見られ・運動と静止の法則から導き出される時、我々はこれを決定[デテルミナテイオ]と呼ぶということである。(スピノザ『エチカ』第三部 感情の起源および本性について 定理二 備考 岩波文庫上巻p.174 訳・畠中尚志)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

携帯電話で話すひとの声。それは、わたしのなかにはわたしはいない、あなたもいない、わたしのなかよりもなかにはわたしでもあなたでもない複数の顔を持たないものたちが、たとえばきのう、とあるカフェ(ていうか、渋谷のドンキホーテの隣りのフレッシュネスバーガー)では見知らぬギャルがソファの上で膝を抱えて手をたたき、大口をあけ馬鹿話をしていることを教えてくれる。また別の日、別のカフェ(ていうか、代々木八幡のフレッシュネスバーガー)では、全身これア・ベイシング・エイプに身を包んだおにいちゃんが脱いで左手にすぽっとはめた真新しいアディダスのスニーカーを紙ナプキンで磨きながら携帯電話を右耳と右肩のあいだに挟んで「あ、ほんと、ほんと、あ、そうなんだ、そうなんだ」と上擦った声をループさせながら、今夜クラブには誰が来るのか来ないのか、気でも違ったのではないかと心配になるほど何度も何度も確認している。いまここで不協和な音たちも、その背後では協和する音を、友だちとかいつもの仲間とか家族と呼ばれる和音を束で抱えて生きている。自動音楽[バロック・ミュージック]。携帯電話で話すひとの声でない、いまここで目の前にいる者同士話をしている声も、目には見えない携帯電話でつねに誰かと話をしている。対位法[カウンター・ポイント]。カフェの音楽の技法。きのうわたしは代々木上原のサンマルク・カフェの喫煙席で、新聞に載るような事件を起こしてしまった次男から電話があったんだけど、ちょうどそこへ救急車が通りかかって、え、聞こえない、もっとおおきな声で話してと話してもうまく聞き取れなくて、いらいらしている感じになっちゃったからかしら、ろくに話しもできないまま切られてしまった、携帯電話って嫌ねと一方的に旦那に話しつづける、ちょうどわたしの母親と同じくらいの年齢の女性の話のつづきを聞きながら読んでいた高村薫の『マークスの山』の刑事・合田雄一郎がひとり夜中に風呂場で白いスニーカーを磨いているのを見ていた。原宿のほうから滑り込んできた千代田線が頭の上を通過する。向かいのテーブルでは、おおともさんが、おおともさんがと、大友良英と知り合いであるのが自慢の男の話を、背を見ただけでは聞いているのかいないのかわからぬ男が、ぺぺん、ぺぺんとさっきから左の靴底を床に打ち鳴らしている。怪訝な顔してそれを見ていた若白髪の、縁なし眼鏡を掛けた男と不覚にも目が合う。新聞に載るような事件を起こした(らしい)次男の両親は、いまは光が丘にあるスーパー銭湯「おふろの王様」まで車で出掛けるか、幡ヶ谷にある普通の銭湯で済ませるかどうかの話し合いをしている。どうやら今夜長男一家が東北の、とある被災地から避難してくるみたいだ。わたしは小説の構想めいたものをメモするためオレンジ色のポメラを開く。自由間接話法とは隣人愛の技法である。

動物であれ人間であれ、その身体をそれぞれがとりうる情動群から規定してゆこうとした研究にもとづいて、今日エトロジー[動物行動学、生態学]と呼ばれるものは築かれてきた。それは動物にも私たち人間にもそのまま通用する。とりうる情動を誰もあらかじめ知りはしないからだ。[…]たとえばある動物についてなら、その動物が、無限の世界のなかで何にかかわらないか、何に対して正または負の反応を示すか、どんなものがその食物となるか、どんなものが毒となるか、それは、何を自分の世界に「とらえる」か。どんな音符も、それと対位法の関係をなす音符をもつ。植物と雨、クモとハエというように。すなわち、どんな動物も、どんなものも、それが世界と結ぶ関係を離れては存在しない。(ジル・ドゥルーズスピノザ 実践の哲学』第六章 スピノザと私たち 訳・鈴木雅大)

スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))

スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))




マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(上) (講談社文庫)

s(o)un(d)beams

s(o)un(d)beams

存在論的なまどろみの中で〜『天使の囀り』を読む〜

いま、シーズン1から、ドラマの『相棒』を観ながら、その卓越した構成を、杉下右京言うところの「動機」を軸にした図にして分析しています。これが気味が悪いほど楽しい。たとえば、シーズン2第14話「氷女」の図はこんな感じです。

"凍死事故"=凍死事件←(動機)過去の凍死事故←「夫」の左遷←セクハラ冤罪←会社の出世争い

"○○"は「事件」の最初の様相です。この第14話のように事故として処理されようとしていたとしても「事故として処理されようとしていた」ことそのものを事件化する(=問題にする)ことではじめて捜査は開始されるという意味で、事故か事件かは事後的に、当事者ではない者たち、第三者によって決められる。第14話「氷女」でいえば凍死「事故」として捜査一課は処理しようとしていた。だが「凍死した死体の心臓まで凍っていた」という検死結果と「まだ彼は生きていたように見えた」という証言に違和感をおぼえた特命係のふたりは捜査し始める。気をつけなければならないのは、杉下右京の言う、そしておそらく考えているところの「動機」という言葉の射程のひろさであり、その深さです。極めて物理的かつ合理的に彼は「動機」を考えている。それは「凍死した死体の心臓まで凍っていた」のはなぜなのか、の「なぜ」であり、なにが凍死した死体の心臓を凍らせたのかの「なに」であり、さらに言えば「なぜ」よりも「なにが」に重みを置くところ(=構造主義的な思考)に杉下右京の天才はあります。右京にとって「動機」とは、不確かなひとの気持ちなどではなく、むしろ確かすぎるほど確かなこの世界の気持ちとしての存在(ハイデガー)、その構造と力のことなのです。

わたしはこの(「この」の後に、どんな名前も入れることのできない)力のことを『ユリイカ 特集*貴志祐介』に寄稿したエセーの中で「構造」と書きました。日本語で書く、実にたくさんのひとが「構成」を「構造」と書く取り違え、あるいは混同をおかしているようにわたしには見えるのですが(ニーチェなら、原因と結果を取り違えていると書くでしょう)、それこそまさに「動機」を見ずに「凍死」と断定し捜査を打ち切ろうとする『相棒』の警視庁捜査一課のひとたちと同じです。目に見えるもの=構成されたものから目に見えないもの=構造へ遡行する意志を、批評=空間を、距離を持たず、原因と結果という二項の、もはや関係と呼ぶことのできない関係、取り結び、癒着のみで処理しようとする者たちの思考に穴を穿ち(再)捜査するきっかけになる「ささいなこと」をいつも「違和感」と杉下右京は表象する。第14話「氷女」で言えば、酔っぱらって(原因)凍死した(結果)というように。当然ですが、結果と言えばすべては結果なのです。原因であると見るならすべては原因で、なにかを「なにか」として見つめるわたしたちの思考はどこまでも遡らざるをえない。原因の原因の原因の原因の……の原因という「原-原因」という「結果」の現前、その風景(「氷女」の夫への愛)が、優れたミステリの「トリック」と呼ばれるものの正体、図そのものではないでしょうか。

探偵という語り手によってはじめて現れる、語られる風景。ミステリと呼ばれるジャンルの門外漢だったわたしもいまやこの風景を愛する者のひとりです。それは上に書いたような図をひとり眺める者の視線でありその自由です。より自由に語るためにはきっと語り手や語り口の手や口が邪魔になる。そしてもはやなにものでもない「語り」そのものになる。やはりわたしは谷崎潤一郎の「母を恋ふる記」を思い出しています。「母」の現前というこの小説の結果を、つまりは最後の最後に見えてくる風景を原因と取り違えている谷崎の研究者たちは『相棒』の捜査一課のひとたちに似ている気がします。元捜査一課の特命係にしか立ち合うことのできない、誰もいない風景こそ小説、あるいはブランショが物語[レシ]と呼んだものなのではないのか。オデュッセイアユリシーズの瞳は、この世界をいつでも事件後の世界として見る/見つめられることで思索(=詩作)を始める。テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』をミステリ映画として観る視線がわたしたちには必要なのではないでしょうか。

ところで、あらゆるものに先立って「存在している」ものは、存在である。思索というものは、その存在の、人間の本質に対する関わりを、実らせ達成するのである。思索は、この関わりを、作り出したり、惹き起こしたりするのではない。思索は、この関わりを、ただ、存在から思索自身へと委ねられた事柄として、存在に対して、捧げ提供するだけなのである。この差し出し提出する働きの大切な点は、思索において、存在が言葉となってくる、ということのうちに存している。言葉は、存在の家なのである。言葉による住まいのうちに、人間は住むのである。思索する者たちと詩作する者たちが、この住まいの番人たちである。[…]思索は、そこからなんらかの結果が出てくるとか、あるいは思索が適用されるとかいうことによって初めて、行動になるのではない。思索は、みずからが思索することによって、行為しているのである。この行為は、おそらく、最も単純でありながら同時に最高のものである。なぜなら、それは、存在の人間への関係に関係するからである。(マルティン・ハイデガー『「ヒューマニズム」について』渡邊二郎・訳)

「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡 (ちくま学芸文庫)

「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡 (ちくま学芸文庫)

天使の囀り (角川ホラー文庫)

天使の囀り (角川ホラー文庫)

トンちゃんをお願い

すばる 2011年 03月号 [雑誌]

すばる 2011年 03月号 [雑誌]

ひとりで生きていけるなら、お金なんていらなかった。いま自分が生きてゆくために最低限必要な三万円ですらきっと必要なかった。語学のクラスでゆうなと出会わなければ、サークルにだって入りきらなかったかもしれない。かもしれないならいくらでも考えることができた。考えるだけならタダだから、いつもそんなことばかりひとりで考えていた。

2月5日発売の文芸誌『すばる 3月号』に新しい小説を発表しました。トンちゃんをお願い。トンちゃん「に」お願いでも、トンちゃん「の」お願いでもなくて、トンちゃん「を」お願い。……といま(この小説の文体について、この小説を書き終えた時点で自分なりに書いて考えた)告知を書き直しています。というか、いつもしょっちゅうわたしはブログの記事を書き直しています。

担当に渡す前から、そして渡したあとも、何度も何度も書き直すことで、この小説はこの小説になりました。書き直す度に小説は仮死状態になります。仮死と仮死のあいだにあるのが小説の「生」で、生きるで、自分で自分を書き直すとき小説が小説になるのは知るよりも早く経験してきました。きっと「トンちゃん」も同じです。トンちゃんがトンちゃんでないものになるとき(=トンちゃんをトンちゃんでないものがトンちゃんにするとき!)はじめてトンちゃんは「トンちゃん」を生きることになるのでしょう。

学童保育に毎日夜遅くまで預けられ、母親が迎えに来るのを、庭のまん中にあるケヤキの縦に流れる枝と枝のあいだをこぼれ落ちるように沈んでゆく夕日を眺めながら待っていたころからトンちゃんは、ひとりで過ごすのは嫌いじゃなかった。むしろ好きなくらいで、母親が迎えに来るのが少し遅くなっただけでぎゃーぎゃー泣き叫ぶ他の子供のようには泣いたことなど一度もなかった。ただときどき自分でも、いまなぜ泣くのかわからぬタイミングで涙が流れた。

だからお願い。トンちゃんをお願い。トンちゃんはトンちゃんひとりきりしかいないからこそ、トンちゃんでないすべてのひとに、ものに、いや、ひとやものですらないものにこそ、トンちゃんをお願い。

ただなかで、その傍らで

ユリイカ1月号 特集*ジャン・ジュネ "悪"の光源・生誕一〇〇年記念特集』にエセーを発表しました。どんな読書もそうであるように、ジュネとわたしの関係も私的です。ジュネと随分長いあいだ格闘してきました。それを直接書ければいいに越したことはないのだけれど、いまもやはり格闘中で、思いはつのるばかりで複雑怪奇なので、あくまでもその途中経過として「ただなかで、その傍らで」ジュネについて書かせてもらいました。わたしは登場しません。わたしはジュネの「ただなかで、その傍らで」立ちつくしていました。

思えばジュネのように、わたしにとって重要な作家がほかにも幾人かいます。いや、幾人もと書くべきなのかもしれません。ひとりいるだけでも身に余るほどの作家とのそれぞれの関係の「ただなかで、その傍らで」わたしは仕事をしてきました/まだなにも仕事をしていません。ジュネをやるならジュネ以外のすべての作家との関係を捨てなければジュネをやることはできません。ドストエフスキーもまた然りです。ピンチョンもカフカもまた然りです。ジュリアン・バーンズと別れて最近ほっとしたところです。最初に断った通り、もちろんこれは私的なことです。ジョイスとは、よくわからないまま疎遠になりました。ピンチョンは、こっちから振ってやったくらいの気持ちでいます。そうやって英米文学から遠ざかってゆくのかと思った矢先に谷崎潤一郎の大正期の作品群となって不意にわたしの前に現れたのは五年前のことでした。いまは富岡多恵子の短編小説と毎日のように言葉のやりとりをしています。パヴェーゼは、チェーザレパヴェーゼのことは一度も他人のことと思ったことも感じたこともありません。

アラビア語に翻訳されることは決してなく、フランス人にも、どんなヨーロッパ人にも読まれることはなく、それでも、それを承知で私は書いているのだとすると、この本はいったい誰に向かって語りかけているのだろう。……ジャン・ジュネ『恋する虜』鵜飼哲・訳

ジュネはこの長大な回想を書きながら幾重にも回想しつづけていたことが、この回想の「ただなかで、その傍らで」震えるように聞こえてくるこの嘆息にも似た叫び声から伝わってきます。ジュネはつねに自分の仕事の「ただなかで、その傍らで」仕事をしていました。すでにして反省し回想していたのがジュネの仕事です。そしてそれこそが文学をする、文学を反復する、何度でも文学を生き直すことなのだとわたしに教えてくれました。「いったい誰に向かって語りかけているのだろう」というこの叫びの激しさ、その深さはすべての文字を、すでに書かれたものを消し去るほどの強さを、純粋に暴力的な、極々々々……私的な関係を、経験を、秘密を持っています。どうかわたしが「言おうとしないことを許してください……」*1。わたしには書くことしか、秘密を守ることしかできないのです。

*1:ジャック・デリダ『死を与える』廣瀬浩司 林好雄・訳

新しい時間

鏡を割っても割っても、小さな破片のなかに空が映っている。巣のないツバメ、もちろん聞きおぼえのない女の叫び、今シャッターを閉めたのか開けたのか、朝なのか夕方なのか、姿の見えない救急車は病人を迎えに行くところなのか搬送するところなのか。モンマルトルの墓地に居並ぶ小さな教会のような霊廟は、死者を忘れぬ記憶ではない。死者だけが記憶なのだ。墓前で枯れてゆく生け花も、十字架をかたどった墓石に咲いた陶器のバラも、周期が少し違うだけで、それぞれがそれぞれのリズムで、思い思いの死のなかにいる。自分自身を記憶として、記憶自身として、いつまでも青い夏の夕暮れのなかを漂っている。霊廟の扉に、背に、その壁に、美しく描かれたステンドグラスの彩りのなかにではなく、射し込む光を困惑させるガラスの歪みや、欠損、変色、破れた扉から吹き込む枯葉や紙屑、汚れきったマリアの像だけが、墓石に刻まれた人間の名とともに地上の音楽を奏でつづける。生前も死後も変わらぬ心優しき悲惨のなかで。
ここがパリのアパルトマンの八階でなくても、それはどこでも同じこと。いつでもこの世界は持ち主の分からぬ記憶と記憶が永遠の夜のなかで語り合うカフェなのだ。
誰を記憶するでもなく、誰に記憶されるでもなく、自分自身を記憶する光の情景。私たちが記憶と呼ぶもの、それは単なる記憶の記憶で、記憶の痕跡に過ぎない。記憶にラベルをつけて整理整頓し、お行儀良く過去から未来へ一直線に並べ直すことがもし記憶であるなら、世界は何と貧弱で頼りなく、暗く悲しいものだろう。忘却。記憶の本当の名前。光り輝く彼だけがこの世界を愛しつづける。
午前七時にセットした目覚まし時計が鳴り響き、甘い夢から、つらい夢から、目覚めたと思い込んでいるだけで、私たちは再び覚めることのない夢を見始めている。永遠の目覚めのなかで記憶を真っ白にする。まるで読書をするように。あんなに興奮しながら読んだはずなのに忘れてしまった自分の記憶力のなさを嘆くのは、忘れてしまった夢を本気で悔しがる偽小説家と同じくらい滑稽なのだ。また読めばいい。書けばいい。言葉という記憶は最初から最後までそうした行為のなかにしかない、一瞬の、そして永遠の、忘却なのだから。
忘れることでしか、何かをすることでしか、私たちはその〈何か〉を思い出せない。それが私たちという千の身振りの蠢く場所のない空間、身体なのだ。私たちが「生きる」と呼んでいるものこそ忘却の時間。自分自身が生まれたときから遠い昔の誰かの記憶であり、これから会うこともない未来の誰かの記憶であることを、私たちは知らない。知らないだけで本当は何もかもが今ここにある。私たちが今食べているパンとワインは、旧約聖書という記憶のなかで食べていたパンやワインと、新約聖書など読んだこともない記憶が食べているパンとワインと、同じもの。いつでもこの世界は最初にして最後の晩餐なのだ。私たちの血と肉、それが私たちの記憶。誰かを記憶することに使命を感じ(記憶しないことに罪責感を覚え)、誰かに記憶されることに誇りを感じ(記憶されないことに怖れおののく)私たちの見えないところに記憶はある。忘却だけが、それを知っている。私たちを、知っている。
記憶のなかに私たちを記憶として還すとき、また何かが始まる。終わりのなかで復活する新しい時間が、今また始まろうとしている。
一日中開け放たれた白い扉の向こうに二段ベッドの見える向かいのアパルトマンの窓辺から、白と黒の猫が私たちを見ている。あなたがカメラを探しているうちにいなくなってしまった小さな亡霊。いつでも古くて新しい私たちという窓辺で揺れる白いカーテンが、見えない何かを見せてくれるかのように、光とともに、優しくあなたを包み込む。忘却のなかに、記憶のなかに、今、私たちはいる。

(……以前は降誕祭の夜には必ず足を運んでいた(市ヶ谷の、あるいは四谷の)カソリックの教会に、もう何年も足を運んでいないわたしの記憶として、八年前の真夏に雑誌『すばる』に寄稿したエセーを、いまのわたしが書いたものとしてここに転載します。忘却。記憶の本当の名前。光り輝く彼女だけがこの世界を愛しつづける。『埋葬』を書き終え発表したいま、まったくその通りだと思う。)

埋葬

あたしが死んだことを受け止めてくれるなら、あたしのことを思い出さない日は一日だってないままあたしのことを忘れてくれると思う。植物が日の光に向かって葉をひろげるように、あたしのことを思い出せば思い出すほど忘れてくれると思う。

『埋葬』はどこから来たのか。なにがわたしにこの本を書かせたのか。誰がわたしの死者なのか。わたしは死者たちを思い出さないことは一日だってないまま忘れている。忘れていることのゆるしを乞うこともなく忘れている。植物が日の光に向かって葉をひろげるように。どの廃墟の中庭も奇妙なくらいいつも明るいように。新木場のビッグサイトのコンクリートで区切られた空のように。死者たちのことを思い出せば思い出すほど、書けば書くほど忘れている。なぜなら書くという行為もまた死者になることなのだから。思い出される死者たちの側に移りゆくことなのだから。死者は誰よりも後からやって来る。生きている限りわたしたちは彼女たちのことを知らない。死者たちの中に男性はいない。なぜなら誰もがアンティゴネーのように「婚礼の歌も聞かずに、閨も見ず、夫婦の縁も結ばぬうち、子の養育も許されずに、このように、親しい者にも見捨てられ、みじめな運命に、生きながら、死人たちの籠もる洞穴に出掛ける」者なのだから*1。自分だけはそうでない死者に、なにごとかのことを為してから死ぬ者に、名を為す男になるという夢は、ただひとりの例外もなく夢のまま終わる。女の夢とは……。


『埋葬』の装画(の樺の森の、生い繁る草の前に=中に佇む赤いスカートの女の子の背中の、まるで彼女の感情としか思えない樺の森の、生い繁る草の前に=中に……)を提供してくださった上村亮太さんが日記に、ブログというよりネット上の日記に『埋葬』の感想を寄せていただきました。→上村亮太"day by day"

「読み進んでいくと、ちょっと狭い場所になって、それから、やがて、見晴らしのよい草原のような広い場所になって」……まさにそれこそが上村さんの仕事に、特にネット上に、もう何年もずっと、ずっと毎日二枚ずつ発表しつづけているドローイングの連作にわたしが感じていたこと、見ていたことでした。上村さんがいまなお、きっとあしたもあさってもずっと、間違いなく自身の死後もずっと発表しつづけてゆくことになるにであろう仕事こそ"純絵画"だと、つまりは絵画の運動、絵を生きることだとわたしは思います。

切り崩された崖の上の、廃墟のような平屋の家屋と石の階段。フレームの外から絵の中に「お邪魔しまーす」な女の子の足。見たことがないお伽噺の、桃太郎の前か後ろの語りの顛末、線画の紙芝居。工場の、ベルトコンベアーの、あるいは生コンの、工事現場の、切り開かれた大地の、噴火する火山の、ダムの谷の水の、蛍光の水色の、そして黄緑色の流出。スカートやブラウスの中の蝶の舞、花の咲き乱れはスカートの、そしてブラウスの線を越え、ドローイングのフレームすら越えて流れ出し、パソコンのモニターの光に透かしてその絵を、その色を見ているわたしの目の中に滞留する。サンダルの、足の甲からにょっきり生えた茎の先の黄色い花が、その女の子の足が、その遠慮がちな、絵の天からの差し出し方が好きでした。樹林帯ベイビーの樺の森は、これが初めてではないですよね。水色の靴下を、手袋をした女の子の樹林帯も、このベイビーも好きでした。いまJim O'Rourkeの"Life Goes Off"を聴きながらこれを書いています。上村さんの絵を初めて見たのは六本木クロッシングでした。驚きました。紙テープで貼られた絵が、ビルの空調の風になびいていました。それは六本木ヒルズの、森美術館の中に出現した新しい自然でした。描いている自分の手の先の、目の先だけがいつも充実している。上村亮太さんの感情としての風景を、ぜひこの機会にご覧下さい。→上村亮太・DAY BY DAY

参照→「感情としての風景

富岡多恵子初期短編

群像 2010年 12月号 [雑誌]

群像 2010年 12月号 [雑誌]

11月7日発売の『群像 12月号』のコラム「私のベスト3」に「富岡多恵子初期短編」と題したエセーを発表しました。原稿用紙換算三枚の中に思いの丈のすべてとは言えないまでも、いま富岡多恵子の小説についてわたしが"語る"ことができるすべてをぶつけることができたので、とても満足しています。

ベストなものについて、つまりは好きなものについて"語る"ことはとても難しいことです。好きなのですから、難しいどころか、原理的に言えば不可能なことです(不可能でないなら、それは単に好きでもなんでもないことです)。けどそれを可能にするのが"語り"なのではないか。不可能なものと可能なものは、無意識と意識と同じで、対称的なもの(=反対の概念)ではないのだから、不可能なものを不可能なまま可能にすること、目に見えるものにすること、つまりはかたちにすること。それは、できるできない以前以後の問題で、つまりはやるかやならないか、ちゃんと嘘をつくかつかないかの違いしかないのではないかと、富岡多恵子の小説を読み始めてからつとにわたしは考えるようになりました。語ることは文学の実践、倫理以外のなにものもでもないのではないか。嘘をつくことにどこまで正直であることができるのか。

実はまだわたしが富岡多恵子の小説を読み始めてから三ヶ月も経っていません。けどこの三ヶ月はわたしにとって、めくるめく小説の、そして"語り"の季節でした。それはいまもまだつづいています。なんだか小説の青春時代のまっただ中にいるような気分なのです。やばい。富岡、やばい。ほんとにやばいから、ぜひ彼女の本を手にして欲しい。まずは『動物の葬禮/はつむかし 富岡多恵子自選短篇集』の「動物の葬禮」と「末黒野」を読んで欲しい。これでハマらなかったら諦めます。いや、絶対、小説が好きなあなたならハマるはずです。そしたらこのエセーで論じた『当世凡人伝』をネットのusedでも、古本屋でもいいから、がんばって手に入れて読んでください(いまのいま、11月8日の午前2時38分の時点では、アマゾンのusedで、215円で売られています!)。

ちなみにわたしはいま『仕かけのある静物』という1973年に出版された短編集を読んでいます。どれも素晴らしいけど、最初に収録されている「子供芝居」が好きです。三度つづけて読みました。未来の富岡多恵子の読者になるはずのあなたのために、その一節を引用します。

その上に、芝居に出てから一年近くたつにつれて、はじめはいやいややっていた芝居に、知らぬ間に熱中していることで、その熱中の中身を、キンは芝居の外側からふいに見られるのは、便所にしゃがんでいるのを他人にのぞかれるよりもっと屈辱に思ったのである。相手の女の子に、役の上で思い切り悪態をつく時、恋人との別れを悲しんで泣く時、借金が返せなくて身売りをさせる親をふりかえる時、そういうどんな役も、おっしょさんや若センセが教えてくれた所作をし、覚えたせりふを大声でいうのに、自分でも知らぬ間に、それは時に自分のあのおかんの叱る様子の真似であり、シズカさんのものをいう時の、ちょっと首をかしげた様子であり、父親と母親のやりとりの調子があったのだ。キンは、盗人のように自分が思えた。自分が母親に叱られて泣いた時のことまでも、その夢中で泣きわめいていた時のことまでも、自分はふいにもう一度芝居をしていた。……「子供芝居」

嘘をつくことにどこまで正直であることができるのか。『群像』のこの号には、彼女の対談が掲載されています!

当世凡人伝 (講談社文芸文庫)

当世凡人伝 (講談社文芸文庫)

動物の葬禮・はつむかし 富岡多惠子自選短篇集 (講談社文芸文庫)

動物の葬禮・はつむかし 富岡多惠子自選短篇集 (講談社文芸文庫)

体の畑

なんか最近、畑のような感覚で、自分の体のことを考えています。体内環境、とでもいいますか。ビタミン剤やゴマのセサミンのカプセルみたいなサプリメントが体にいいと信じているひとは、一度それを畑に撒いてみるといいと思います。かならずや無駄だと実感することができるでしょう。

おとといは麺と一緒に茹でたホウレンソウを、にんにくオイルで軽く炒めたパスタとともに、体の畑に散布しました。そこに釜ゆでシラスをのせて、いちめんにパルミジャーノ・レジャーノを振りかけました。畑の畝に、雪が降り積もるようにたっぷりと。

自分の体という畑は、わたしたちにとって、最も近い〈外〉であるどころか、直接手を加え、つまりは〈内〉在的に耕すことができる唯一の〈外〉なのではないでしょうか。

さきおとといは、豚肉の代わりに厚揚げを使ったゴーヤチャンプルー*1を、大根おろしを添えたイワシのフライパン焼き*2とともに体の畑に散布すると、豆腐、ゴーヤ、卵、カツオ節、イワシ、大根と、普通名詞で並べただけでも複雑過ぎて、そこでなにが起きているのか、すべてを把握することはできない無数の出来事が〈外〉の〈内〉で起きているはず。栄養素なんて所詮、普通名詞です。いやどんな固有名詞も、普通名詞の中にあります。そこに「固有」を見るも見ないも、わたしたちの思惟次第なのですから。自然数みたいなものです。自然がその通りのものであるとは思ってはならない。あくまでもわたしたちの理解を助けるためのものです。

わたしたちの体という〈外〉の〈内〉では*3まだ発見されていないものも含めたたくさんの細菌やウィルスが棲息しています。言うなら、わたしたちの体は苗床なのです。たくさんの生き物がそこで暮らしています。空き地みたいなものです。草がぼうぼうに生えているのです。ヤゴやタニシが棲息している川床の石の上に苔がびっしりと生えた沼地みたいなものなのです。

これからわたしは、畑のような感覚で、他人の体のことを考えてみようと思っています。それはおそらく〈演出〉と呼ばれる行為をする者の感覚のことです。なにが起きるかわからないという意味では、他人の体も自分の体も同じことです。この〈同じ〉は実に爽快で、孤独よりも絶望的な気分をわたしたちに与えてくれます。孤独は他人の体という畑のような感覚で。

きのうは半月切りにした茄子に、塩揉みするように醤油をかけて、少し置いてから絞った琥珀色の汁ごとご飯に載せて、大葉を刻んだのと貝割れ大根の粗みじんを振りかけてイワシの代わりにサンマを使っただんご汁と一緒に体の畑に肥料を与えました。ベランダの朝顔は、まだ花を咲かせています。ツルの先端を切っても脇からまたツルが出てきて、次々花を咲かせて昼には萎んで落ちているのです。彼女の脇から流れ出ているのは、きっと体の畑なのです。……神里雄大の演劇のトーク・イベントにふたたび、いや、みたび呼ばれて、なにを話そうかと考えていると、ふとこんなことを書いていました、考えていました。

→岡崎藝術座 『古いクーラー』@シアターグリーン BIG TREE THEATER (池袋) 2010年11月19日→11月28日 http://okazaki.nobody.jp/old-airconditioner/

*1:植松良枝・著『畑のそばでうまれたレシピ 温かい野菜料理』より

*2:高山なおみ・著『おかずとご飯の本』より

*3:この場所なき場所、運動を「内在平面」とジル・ドゥルーズは名づけました。

新刊

本日、ただいま、入稿しました。予定通りに行けば、11月25日に、早川書房から新刊が出ます。はじめて書き下ろした小説です。タイトルだけでもお知らせしようかと思ったのですが、やはり本の姿というか顔である装丁とともにお知らせしたいと思います。

(→新刊を出すにあたって、参照にしてもらえると思った過去のエントリ(「傷」「女子への鎮魂歌」)へのリンクをここに貼っていたのですが、新刊のタイトルと間違われるとの指摘があったので改めました。タイトルは、……すでに早川書房のweb site等で明かされています!)

きみをも私をも超越したこの贈り物

わたしたちは、経験でないものまで経験することができる。これはなにより精神分析学によるところが多い発見であり実践でした。そしてその解明であり治療でした。それはもちろん、いまなおつづく旅である*1

ストレスというなんともゆるい言葉に一手に担われてはもったいないほどの謎が、力が、たとえば胃痛という経験にはある。わたしたちはもうすっかり慣れてはいるけど、わけてもこの「ストレス」という言葉によって抑圧されているだけのことで、よくよく考えてみれば不思議なことである。まるで花を見つめ過ぎたために溶けてしまうようなことが(花が? それともわたしが? あるいは花でもわたしでもないものが?)、わたしたちの精神と胃とのあいだで起きている。それが胃痛と呼ばれる経験でないことを経験することなのだから。

腹部を切開するような大手術を見学すると、特に男性は、十人中九人、つまりはほとんどのひとが失神するという。これもよくよく考えてみればおかしなことである。いわゆるところのカリスマ的な人気を誇るロックのコンサートで、特に欧米の女性たちが失禁するのも、おかしなおかしな、とてもおかしなことである。失神。そして失禁。茫然自失の体。もはや精神と身体の繋がりを考えるだけ無駄だろう。もったいぶらずに言えば、まちがいなく、それは同じものである。精神と呼ぼうが身体と呼ぼうが、繋がりと呼ぼうが同じことである。

その根底には、まちがいなく自殺という企てがある*2。ただし、いま書いたように、精神と身体の繋がりを企てるのではなく、というか精神も身体も、そして繋がりという言葉をも無効にすること。それが自殺という企て、経験でないものまで経験することである。なぜなら、それを媒介してしかなにも経験することができないにもかかわらず、あるいはもしかしたら、だからこそ唯一それ自体を経験することができないもの、それがわたしの死であるのは、死とはわたしの経験そのものだからである。当たり前である。死を死ぬことはできない。経験を経験することはできない(直接的なものを直接受け取ることはできない、受け取るためには間接的なものが、表象されたものが/されることが、他者が必要である)。

経験を経験するためには、経験でないものという余地が、表象が必要なのである。ここまで書いてきて気づいたのだが、驚いたことにわたしたちは、経験でないものまで経験することができるどころか、経験でないものしか経験することができないのである。他人の手術を見学することは経験できても、自分の身体に施された手術を経験することはできない。いや、自分は確かに手術された、大手術を経験したのだと言うなら、それはまるで他人の手術を見学するように手術後に、あるいは手術前に経験した、経験でないことを経験した、まるで他人の手術を見つめるように想像した、つまりは表象したのである。いずれにしてもわたしたちは他人の手術という(わたしの)経験でないものしか経験することができない。他人の死を目撃すること。そこに立ち合うこと。その傍らにあること。見つめること。これがわたしたちの経験と呼べる唯一のものであることを、まるで証言するかのように書いたのは、モーリス・ブランショである。

だが、死に瀕してきみはただ遠ざかってゆくわけではない。きみはなお、ここにいる。なぜなら、きみは今、この死ぬということを、あらゆる痛みを受け渡す同意であるかのようにして私に委ねている。そして私はそこで、身を引き裂かれながらそっと身震いし、きみとともにことばを失い、きみの助けなしできみとともに死に瀕し、きみのかわりに死に身を委ねて、きみをも私をも超越したこの贈り物を受け取ろうとしているからだ。(モーリス・ブランショ「彼方への一歩」『明かしえぬ共同体』ちくま学芸文庫より)

きみをも私をも超越したこの贈り物とは、経験でないものまで経験することである。それを長年わたしたちは「わたしたちは表象を食べて生きている」と言ってきた(ただの思いつきでふと口にしたこの言葉を、渡邊聖子が折に触れ思い出してくれたことでこの言葉が押しひらく意味に、余地に、地平のはるけさに気づかせてくれた)。写真を見ることは、経験でないことを経験すること、きみをも私をも超越した贈り物を受け取ろうとすることである*3

わたしは小学五年生のとき、はじめて見たヒロシマのことを思い出している。それはアメリカ人というヒロシマ人でないひとたちが記録のために撮影したフィルムであった。そんなものは所詮フィルムじゃないか、写真じゃないかと言うなら、フィルムや写真以外にわたしたちが経験することができるものをわたしの目の前に持ってきて欲しい。見せて欲しい。経験させて欲しい。殺されるのは簡単だ。死ぬのも実にたやすい。経験することだけが、いつも難しい。なぜなら経験とは、自分の死でない死を、他人の死を死ぬことだからである。

[石の娘]渡邊聖子 2010年9月4日 18:00 開場 @BlanClass

*1:十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』参照

*2:それをフロイトは「死の欲動」と呼んだ

*3:受け取ることは不可能である。あるいは、不可能なものをわたしたちは受け取る、つまりは表象する。

わたしの目の前に、まるで本のように 表象論3

一人の死者を注意深く眺めていると奇妙な現象が生じる。体に生命がないことが、体そのものの完全な不在と等しくなる。というよりも、体がどんどん後ずさっていくのだ。近づいたつもりなのにどうしても触れない。これは死体をただ見つめている場合のことだ。ところが、死体の側に身をかがめるなり、腕か指を動かすなり、死体に向けてちょっとした身ぶりを示すと、途端に彼は非常な存在感を帯び、ほとんど友のように打ち解ける。(ジャン・ジュネ「シャティーラの四時間」訳・鵜飼哲 『インパクション51』所収)

死体のある死と、死体のない死。死体は思うこと*1と見ること*2のタイムラグ*3である。そのときわたしは、いまこの瞬間に死のときを迎えたあなたがずっと、あなたの代わりを演じていたこと*4を知るのである。

わたしはずっとあなたを見ていた。あなたをあなたと思って、あなたを見ていた。だけどそれはあなたでなかったことを、死体[body]となって横たわるあなたを、あなたの死体を見たとき、わたしは知ったのだった。

確かにそれはあなただった。けどそれはあなたではなかった。わたしはずっとあなたではないものをあなたと思って見ていたことになる。

そんなおかしなことがあるだろうか。まるでマトリックスの世界をはじめて知ったときのネオのような気分である。肉ではない肉を、肉の表象に食らいつき、咀嚼しながら「無知は幸福」とつぶやく裏切り者と同じ絶望にわたしは嘔吐する。

つまり、いまここにある=見えるものはすべて、それでないことでそれであるものrepresantationである。現前するものはすべてなにかの代わりでありその痕跡である。だからといって、その「なにか」が先にあって、そのなにかの「代わりのもの」をわたしたちは見ているのではない。「……の代わり」という運動自体が「なにか」をいまここに、たとえばあなたの体[body]をいまここに、わたしの目の前に、まるで本のように開いて見せてくれているのである。だからこそ腕か指を動かすなり、本に向けてちょっとした身ぶりを示すと、途端に彼女は非常な存在感を帯び、ほとんど友のように打ち解ける。

本も体も痕跡である。あなたはあなたの傷である。あなた「の代わり」の、余白*5の傷である。わたしたちはその傷から読書という、あるいは生きるという果てのない旅に出る。

パレスチナ人たちのかたわらで──彼らとともにではなく──過ごした時間の現実が、もしもどこかに留まるとするなら、うまく言えないが、この現実を語り伝えようとする一つ一つの言葉のあいだに保たれ続けるだろう。実際にはこの現実は、紙片のこの白い空間の上に、中をくり抜かれながら、というかむしろ、言葉のあいだにぴったりと把えられながら、身をちぢめ、おのれ自身に合体するまでになっている。言葉のあいだに、であって、この現実が消えていくために書かれた言葉自体の中にではない。あるいは、言い方を変えるとこうなる。言葉のあいだの規則正しい空間には、この言葉自体を読むのに必要な時間にくらべて、現実がより多く詰め込まれている、と。[…]私の本のこの最後のページは透明である。(ジャン・ジュネ『恋する虜』訳・鵜飼哲/海老坂武)

*1:思惟

*2:延長

*3:差延

*4:代補

*5:「彼女の余白」参照http://d.hatena.ne.jp/yokota_hajime/20081220/p1