いつも思うけど、旅先で、空港から宿泊先へ向かうときだけに感じる気持ちがある。もう着いてるのにまだ着いてない場所を眺めながら移動する、ふしぎな時間。ハバナなんだ、ここ、まじでハバナなんだ、ときょろきょろしながら驚いて、でもそのときに見ている風景は、あとから考えると全然ハバナじゃない(東京モノレールから見える風景が全然東京じゃないみたいに)。
宮崎大祐監督/映画『大和(カリフォルニア)』
ラップをしたいが語彙が足りない。圧倒的に足りない。言葉がすらすら出てこない。なら「言葉がすらすら出てこない」と歌えばいい。「語彙が圧倒的に足りない」と叫べばいい。人間がなにかを言うための道具としての言葉ではない言葉。言葉の純粋にしてその起源である暴力が、神奈川県大和市在住、夜な夜なひとりで英語を勉強中、バイト先は開店休業中のうなぎ屋、移動手段は原付、平屋の実家暮らしでオタクの兄貴と部屋をシェアしている十代のラッパー、サクラの沈黙、その葛藤となって立ち上がる。『大和(カリフォルニア)』は言葉を持たない者たちのための映画だ。
例えばそれはドンキホーテのレジ袋としか言いようのないあの黄色のことだ。基地の滑走路の点滅なら朝までずっと眺めていられる自信がある。聞かれてもないのに急にそんな話をし始める少女と呼ぶにはいささか歳をとり過ぎた女のことだ。外壁の塗り替えなどしようと思ったことさえない家ばかりが並ぶ住宅街の外灯はただちょっと薄暗いだけでなにも言わない。相鉄線の駅を地下にして水はけのよいブロックを敷き詰めた遊歩道にしてみたもののいまだに使いあぐねている駅前の広いスペース。あの宇宙と同じくらいなにも言わない。ただそこにある。地元の悪口を言おうと思えばいくらでも言えるのにひとに言われるとムカつくのはなぜなのだろう。『大和(カリフォルニア)』は生まれ育った街を憎むことでしか愛せないあなたのための映画だ。
わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。/こばやしあんぬ
タクシーの窓から、白くてぼんやりとした満月が見えた。今夜はブルームーンだと言っていたのに、まるではっきりしないおぼろな月だった。チューブの中の赤い血液をわたしはおもった。わたしのまぶたのうらにはずっと、一定の量のなみだがあって、病棟をうろついて、入院中のこどもたちを見ても、のゆを遊ばせたり抱いていても、それはなくならないのに、漏れてくることもない。
『落としもの』の補助線2
ちょっと考えてみて欲しい。「あなたの内なる声で黙読される誰かの内言」と、「あなた自身の内言」とを区別することはできるだろうか? あなたはあの子たちのひとり語りを黙読する中で、あなた自身の内言と同じようにしてあの子たちの声を聞きはじめる。聞いていたはずのあなたが今まさに語っているような気がしてくる。
メタモルフォーゼの縁側/鶴谷香央理
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