Naked Cafe

横田創(小説家)

いまは夜である

まみの背中のほうからぐるりと光を投げかけてくる灯台のあかりが夜の雲を照らしていた。まみは夜空で、弁天橋で、江の島ビュータワーで、いま抜け出してきたばかりの民宿だった。ビールを買ったコンビニの前でたむろしていたBボーイたちも、彼らの車も、信号機も、茅ヶ崎のほうに、遠くに見えるラブホもマックも、海岸線に並んだオレンジ色の外灯、あのきれいな首飾りも、見るものすべてがまみだった。

知ってるひともいるかと思いますが、わたしは短編が嫌いでした。読むことも、書くことも、嫌いでした。特に(日本版でなくて、本家本元の)Esquireに載ってるみたいな、短編の名手、とか言われちゃうひと(良くてサリンジャーの系譜、悪くてヘミングウェイの末裔、あとは全米の文学賞を総なめにした、みたいなひと)がものしたものが嫌いでした。けどいまは読むことも、書くことも、好きです。もちろんそれは、うまい短編、じゃなくて、ある一瞬を見事な筆致でとらえたもの、でもなくて、なにが書かれていたというわけではないけど印象的でちょっと考えさせられるもの、なんてものが急に好きになるはずなどなくて、尻切れトンボのような? あとは読者の想像にまかせる? 書きすぎない? 余韻のあるものなど、ただの散文作家であるわたしに書けるはずもなく、たのしく読めるはずもなく、ただ文体がそこに転がっていて、あるひとつの出来事の論証として機能しているようなものです。あれ? もしかして、そういうのを、うまい短編、とひとは呼んでいるのかな? だとしたらなんの問題もないのですが。

いちおう読み切であり、連作のつもりで書いたわけではないのですが、同じ感触の複数の着想が、いまのところ四つ、あらかじめあるところに「いのち」というテーマの依頼があって、選ばれたのが「いまは夜である」だった、という意味では、あるいはそうかもしれません。その全貌はいつあらわれるのか。わたし自身それを楽しみにしているのですが。

群像 2008年 01月号 [雑誌]

群像 2008年 01月号 [雑誌]

ということで、12月7日発売の『群像 1月号』に「いまは夜である」というタイトルの短編を発表しました。いまは元旦ではないけれど、その小説の中の、いまは夜で、大晦日で、元旦です。