Naked Cafe

横田創(小説家)

究極の一日

今月はいろいろ観るものがあって、この週末は四日連続で舞台を観に行っているとMちゃんが言っていました。そういう意味では今度の週末の29〜30日は、ただでも年度末である上に桜も満開になると予測されているので、池袋や新宿、渋谷の駅のホームはいまにも線路に転がり落ちそうなひとたちでいっぱいになるのでしょう。馬場に住んでいたころを思い出します。大股をぶっぴろげてぶったおれている大学一年生の女の子のパンツの白さに何度ぎょっとしたことか。ちいさいときからお勉強してきていい子でありつづけてきた彼女たちの人生に訪れたはじめての週末。なぜに週末はひとのテンションをあげるのでしょうか。それこそ愚問というものでしょうか。週末は、末というだけあって週の終わりなのでしょうか、それともこころもからだもリセットしてしゃきっと出社するための始まりなのでしょうか。そのどちらでもないとわたしは思います。たとえて言うなら、週末は海のようなものだと思います。週の合間にわたしたちは働いているのではなくて、週末の合間に働いているのだと思います。ときどき月曜日とか水曜日に祭日という名のもとに週末が訪れるのは、もともとそこが海であったことをわたしたちに教えてくれているのではないでしょうか。ピナ・バウシュの舞台を観るために訪れた新百合ヶ丘もそうでした。あれは大学の敷地内に降る雨ではありませんでした。激しさや量の問題ではありません。ノリが違うというか、そこが都市化され、駅前として機能していることなどつゆ知らず、武蔵野の雑木林であることを疑ったことなど一度もないというような降り方なのです。ビックサイトに降る雨がそうでした。あの雨に驚かないのはカモメか都鳥くらいのものです。そこに人間の住み処を、街を作ってはならないと言いたいのではありません。ただどちらがどちらのフィクションで、写像であるであるのか、好きで勝手に始めたのはどちらであるのか知っているべきだと思うのです。色即是空機。どうか地震で崩れた街を眺めて悲劇と言うのはやめていただきたい。都市と呼ばれる仮想空間に住んで久しいわたしたち。そろそろ白昼の通り魔に慣れてきてもいいころではないでしょうか。週末をあなどるなかれ。どんなひとにも一度や二度は訪れる、来るべき人生の週末のためにこの週末を、今週末を去勢する訓練をいまからちゃんとしておくべきではないでしょうか。

『究極の一日』というテーマでパーティを企画して「あなたの究極の一日はどんな一日ですか?」というアンケートを依頼して、そのどれもが意外な原稿を受け取り目を通しながらわたしが感じていたのは意外にも上に書いたようなことでした。おそらくわたしたちの安息日は平日なのです。いつからこんなことに、とはつまり、なにかをせずには生きられないなんてことになってしまったのか知りませんが、悪くはないとわたしは思っています。

あなたの手帳は基本的に白いですか、黒いですか。そこが島であることを忘れるほどぎっしりつまってますか、それとも島の影もかたちも見えないほど太平洋ですか。高校生のころが懐かしいと思いますか、二度とあんな時代に帰りたくないと思いますか。ていうか、いまあなたは高校生だったりしちゃいますか。わたしは高校三年の夏休み明け、サッカー部の練習と深夜の読書を両立することの苦しみから解放されたとき、確かあのとき突風が校舎と武道場のあいだを、渡り廊下を枯れ葉や誰かのジャージと共に吹き抜けていきました、県の予選で、それも二回戦か三回戦で負けて、わたしのサッカー人生はあえなく終焉を迎え、永遠の週末にわたしは落ちた気がします。わたしにとっての大学は、演劇活動という果てしない海に浮かんだペットボトルか魚影でした。余計なことばかりしてきた気がします。けど、その余計なことにずいぶんたくさん救われてきた気がします。感謝はしません。けど、否定もしません。それはわたしの肉体に対する態度と同じ。この余計なものに、あまりものに、ずいぶんわたしは救われてきた気がするから。

彼は創造のあらゆる側面のあいだを綱渡り的に歩む。終末を生きるように世界の始まりを生き、必然と自由の二律背反を共に体現し、動物=黄道十二宮=星であり、決断の永遠のエネルギーである。したがって天使はあの開かれに身を晒しているのだーーそれが単に決断、何ものとも関係をもたない無の上に築かれた決断なら、彼はそこに安んじて寛いだことだろう。だが決断はつねに他と関わるのであって、絶対的な決断は存在しない。もし絶対的なものなら、それは必然と同義であり、自己矛盾に陥るだろう。天使的な存在の次元のなかでは、他の被造物においては共存できない事柄が並び立ち同時に共鳴する。……マッシモ・カッチャーリ『必要なる天使』訳・柱本元彦

浮かれているのは週末なのか平日なのか。むしろ表象なのは平日なのではないのか。共存できない事柄が並び立ち同時に共鳴する! 共存できない事柄が並び立ち同時に共鳴する! 共存できない事柄が並び立ち同時に共鳴する!!! 都市に降る自然の雨。こころとは裏腹な言葉。予定外の仕事。わたしは彼女たちのパンツの白さを馬鹿にしないし、したくない。魂の鳥たち。ゲッセマネの園での祈り。いま生え際に、おでこにかいているこの脂汗は、週末人としての覚悟によるものなのか、それともまだ平日人への未練なのか。動物にワーキングプアなどいない。そもそもワークすることがなにかをリッチにしてくれたことなど歴史上一度たりともあったのか。貧しさは高貴の象徴であることはあっても卑賤の現実であったことなどなかったではないか。あなたがあなたをadjustするべきなのはどちらなのか。平日なのか、週末なのか。そのどちらでもないとわたしは思う。ただ海であるのはどちらであるのか、知っておけばじゅうぶんだと思う。海に降る雨。地中の骨壺。夜空の黄砂。平日に週末の憂さを晴らすために、わたしは週末のパーティにあなたを誘う。浮かれているのは週末なのか平日なのか。チェインスモーキングするように仕事してはいないかチェックするための機関が、帰還が必要。草をはむ牛のようにビールを飲んで、春に芽吹く庭木のようにいま流れている音楽に向かって叫ぶ。するとときどきわたしの言葉には値段がつくことがあります。けど、気にしません。気にしているのはいつも週末の予定だけだから。

Parties presents
究極の一日 A PERFECT DAY
3/29 Sat. 22:00〜
@渋谷UNDERBAR
Click→http://www.geocities.jp/anagmacafe/

必要なる天使

必要なる天使