Naked Cafe

横田創(小説家)

四人のマウマ

パラレルワールド」という言葉が、その概念が、物理学の量子論のレヴェルでも思弁的な哲学のレヴェルでも文学のレヴェルでもわたしは嫌いで、なのになぜこんなにも多くのひとを魅了し、そういう思考をせずにおれなくさせるのか、ずっと考えてきました。もちろんひとくちに「パラレルワールド」といっても、さまざまな論理がそこにはあり、この言葉を好んで使うひとの中には、お願いだから同じ言葉では呼ばないで欲しいと思うような稚拙な思考もたくさんあるでしょう。けれど、どうやら共通しているのは「可能」もしくは「可能性」という言葉の使い方であり、その解釈の仕方に"違い"はないようです。

わたしたちはなにかを「なにか」として知ったあと、それを「なにか」と知る前のそれにその「なにか」を代入するようにして、最初からそれが「なにか」であったと知っていたかのように思考する癖があります。多くの親の子供に対する接し方がその典型です。たとえば、シマウマを「マウマ」と呼んでいる子供がいたとしましょう。すると母親は「違うでしょ、マウマじゃないでしょ、シマウマでしょ」と教えます。けどそこに、母親より少し反省することができる父親がいたとしましょう。すると彼はこんな言葉で母親を叱るかもしれません。「シマウマがマウマだなんて、個性的でいいじゃないか。僕たち大人と違って子供には無限の可能性があるのだから」と。

すぐに気づくことですが、この母親も父親も、それはシマウマであるのに自分の子供が「マウマ」と間違って呼んでいる、という認識においては一致しています(それを子供の個性として受け入れるか受け入れないかの違いこそあれ)。仮にもしその父親が、自分の子供と同じように子供のころ「マウマ」とそれを呼んでいたことを子供に話すとしたら、きっとこんな言葉を口にすることでしょう、「お父さんもおまえと同じように子供のころ、シマウマをマウマと呼んでいたんだぞ」と。わたしはこの文章を「かわいそうなマウマ」にしたい衝動にかられます。いや、ほんとうに、かわいそうなマウマ。かつてそう呼んでいた者にまで否定され、誰もその存在を信じてはくれない、かわいそうなマウマ。

もし、生きているのに「死んだ」と勘違いしたのなら、被害者の女性の首を絞めた男は、彼女を生かしたまま立ち去るなんて愚行を犯したりせずに、さらに彼女の首をきつく、きつく絞めたことでしょう。彼はただ「死んだ」と思ったのです。彼女はまだ生きている「のに」死んだと勘違いしたのではなく、けど実際はまだ「生きていた」という事実と同じ事実として「死んだ」と思ったのです。それ以外の可能性などないと思った? 思うことですべての可能性を尽くしたのです、消尽したのです、シマウマと思うことで、シマウマがシマウマでない現実がもはや現実ではなくなる(=間違いになる)ようにして。誰の現実であったとしても、わたしたちの現実に「のに」はありません。その子はシマウマな「のに」マウマと呼んだのではありません。ただ「マウマ」と呼んだのであって、大人になってそれがマウマではなくてシマウマであると知ったいまでもこころのどこかで「マウマ」と思わずにおれないことこそ彼の現実なのです。

一度間違って歩いてしまった道を、また間違って、それも以前に間違ったとおりに、正確に同じ道を間違って歩いたことは誰しもあるでしょう。これもまたひとつのパラレルワールドなのでしょうか。違います。現実はひとつです。ただし、間違った道だけが私にとっての現実なのです。この「私にとっての」に気づいたところから「パラレルワールド」という思考は始まったのでしょう。けど、私にとってのそれが現実であるならほかには現実などありはしないことをわたしたちは忘れがちです。なぜなら、その内容がどうであれ、なんであれ、たとえ事実に反したものであれ、間違っていると言われるものであれ、この「私にとっての」という条件それ自身がわたしたちの現実だからです。そこには知識と現実の違いがあるだけだって、ふたつの現実が並行してあるわけではありません。事実であるのかどうかなど、この際どうでもいいというのではありません。ただ、事実を「事実」として認識できるのは、それが「私にとっての=現実」になったときだけであるがゆえに、事実を「事実」として認識できないのもまた現実なのです(南京大虐殺、沖縄民族自決問題、……わたしはこの国の歴史修正主義者たちのことを思い出しています)。もう一度言います、何度でも書きます。あのとき別の選択をしていたらそうならなかったかもしれないけれど、私は別を選択はしなかったのです、別の選択をしなかったのがこの「私」です。私は、確かに、そうしなかったのです。なにげなくであれ、意識的であれ、たとえ強制されたのであれ、ただ私はそうしたのです。そしてそのとき、そのときどきのなかで、私の「可能性」はすでに尽くされているのです。尽くされたもの、それが「私」です。

「可能」とは尽くされたものの、尽くされた状態に、かたちに、或るひとつの限界につけられた名前であって、その準備に、待機につけられるものではありません。もちろん、過去を未来のように思考することで別の可能性を考えるのは自由です。というか、自由とは、意志とはいつもそういうものです。そして、ここにもまたひとつの現実があります。なぜ、私はそうした、ではなく、そうしなかったら? とか、そうでなかったとしたら私はどうなっていた? などと消極的にしか意志の力を発揮することができないのか。なにげなくであれ、意識的であれ、たとえ強制されたのであれ、殺されたのであれ、ただ私はそうしたのだと、そうしたかったのだと、ニーチェのロバのように言うことが、思うことができないのか。私の「可能性」をさらに、さらにと尽くすことができないのか、キルケゴールのように絶望することができないのか。私の消尽だけが「私」の解放だというのに、「パラレルワールド」などという言葉に飛びつき、その概念にしがみつき、私をこの私「でない」私として保存することでしか「私」を語ることができないのか。という現実が、わたしを悲しくさせるのです。

わたしのこの悲しみは、アインシュタインの悲しみとどこまで同じでどこから違うのだろうか。たとえば、こんな小説があります。この連作集の中で描かれている「パラレルワールド」は、シュレーディンガーの猫よりもむしろアインシュタインの悲しみに近いような気がします。神はサイコロを振るのかどうかわたしは知りませんが、この世界を観察はしない、見はしない、見てはいないと思います。ただ経験していると、考えていると、考えさせられていると、思います、「進路研究クラブ」の四人のマウマように。高校時代を反省しこそすれ、いや、あれから数年たったいまでも、つねに反省しているからこそ、いや、あのころだって、あのころの中にいながらあのころのことをつねに反省していた彼ら/彼女らだらからこそマウマであった自分をシマウマという知識に置き換えたりしない、ゆえにいつまでたっても和解しない=ひとつの人格を形成しない。だから高校時代と数年後のいまが同じ紙の上に、溶け合うことなく、けど同じひとつの小説として、パラレルに、こうでなかったかもしれないけれど、こうであるほかなかった四つの「私」が語られています。

このパラレルワールドは、いわゆる「パラレルワールド」とどこまで同じでどこから違うのだろうか。いまもわたしは考えています。

たとえば、世界が無数にあるとして

たとえば、世界が無数にあるとして