Naked Cafe

横田創(小説家)

未開の映画

4月26日発売の『ユリイカ 特集*ポン・ジュノ』にエセーを書きました。『グエムル 漢江の怪物』を観て以来なんだかずっと、ほかの監督の映画を観ているときもポン・ジュノの映画について考えさせられていたような気がします。それくらいインパクトがあったのはもちろんのこと、ただインパクトがある/あったというだけでは言い表せないなにかがポン・ジュノの映画にはあるのは確かで、いや、確か過ぎるくらいで、それはなになにであると言い切ることができないのは百も承知の上で書きました。きのうも西川美和監督の『ディア・ドクター』を観ながら『母なる証明』を思い出していました。伊野治(いのおさむ)が白衣を着た怪物に見えました。

それがなんであれ、たとえどんなに否定したいものであっても、目に見えるすべてのものはそれの代わりの隠れ家であり、そこに住む人間がどんなに変わっても、変わったかに見えても、それは寝ずの番をしていることをポン・ジュノの映画はつねに心得ている。それは何の怪物であるのかと問うことは一見まじめに見えるがその実、ただ単に答えが欲しいだけのわたしたちの弱いこころのあらわれであることを忘れない。怪物は何の怪物でもない。あるいは同じことだが、何の怪物でもあるからこそ怪物なのだ。