Naked Cafe

横田創(小説家)

ただなかで、その傍らで

ユリイカ1月号 特集*ジャン・ジュネ "悪"の光源・生誕一〇〇年記念特集』にエセーを発表しました。どんな読書もそうであるように、ジュネとわたしの関係も私的です。ジュネと随分長いあいだ格闘してきました。それを直接書ければいいに越したことはないのだけれど、いまもやはり格闘中で、思いはつのるばかりで複雑怪奇なので、あくまでもその途中経過として「ただなかで、その傍らで」ジュネについて書かせてもらいました。わたしは登場しません。わたしはジュネの「ただなかで、その傍らで」立ちつくしていました。

思えばジュネのように、わたしにとって重要な作家がほかにも幾人かいます。いや、幾人もと書くべきなのかもしれません。ひとりいるだけでも身に余るほどの作家とのそれぞれの関係の「ただなかで、その傍らで」わたしは仕事をしてきました/まだなにも仕事をしていません。ジュネをやるならジュネ以外のすべての作家との関係を捨てなければジュネをやることはできません。ドストエフスキーもまた然りです。ピンチョンもカフカもまた然りです。ジュリアン・バーンズと別れて最近ほっとしたところです。最初に断った通り、もちろんこれは私的なことです。ジョイスとは、よくわからないまま疎遠になりました。ピンチョンは、こっちから振ってやったくらいの気持ちでいます。そうやって英米文学から遠ざかってゆくのかと思った矢先に谷崎潤一郎の大正期の作品群となって不意にわたしの前に現れたのは五年前のことでした。いまは富岡多恵子の短編小説と毎日のように言葉のやりとりをしています。パヴェーゼは、チェーザレパヴェーゼのことは一度も他人のことと思ったことも感じたこともありません。

アラビア語に翻訳されることは決してなく、フランス人にも、どんなヨーロッパ人にも読まれることはなく、それでも、それを承知で私は書いているのだとすると、この本はいったい誰に向かって語りかけているのだろう。……ジャン・ジュネ『恋する虜』鵜飼哲・訳

ジュネはこの長大な回想を書きながら幾重にも回想しつづけていたことが、この回想の「ただなかで、その傍らで」震えるように聞こえてくるこの嘆息にも似た叫び声から伝わってきます。ジュネはつねに自分の仕事の「ただなかで、その傍らで」仕事をしていました。すでにして反省し回想していたのがジュネの仕事です。そしてそれこそが文学をする、文学を反復する、何度でも文学を生き直すことなのだとわたしに教えてくれました。「いったい誰に向かって語りかけているのだろう」というこの叫びの激しさ、その深さはすべての文字を、すでに書かれたものを消し去るほどの強さを、純粋に暴力的な、極々々々……私的な関係を、経験を、秘密を持っています。どうかわたしが「言おうとしないことを許してください……」*1。わたしには書くことしか、秘密を守ることしかできないのです。

シャティーラの四時間

シャティーラの四時間

*1:ジャック・デリダ『死を与える』廣瀬浩司 林好雄・訳