- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2011/02/05
- メディア: 雑誌
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ひとりで生きていけるなら、お金なんていらなかった。いま自分が生きてゆくために最低限必要な三万円ですらきっと必要なかった。語学のクラスでゆうなと出会わなければ、サークルにだって入りきらなかったかもしれない。かもしれないならいくらでも考えることができた。考えるだけならタダだから、いつもそんなことばかりひとりで考えていた。
2月5日発売の文芸誌『すばる 3月号』に新しい小説を発表しました。トンちゃんをお願い。トンちゃん「に」お願いでも、トンちゃん「の」お願いでもなくて、トンちゃん「を」お願い。……といま(この小説の文体について、この小説を書き終えた時点で自分なりに書いて考えた)告知を書き直しています。というか、いつもしょっちゅうわたしはブログの記事を書き直しています。
担当に渡す前から、そして渡したあとも、何度も何度も書き直すことで、この小説はこの小説になりました。書き直す度に小説は仮死状態になります。仮死と仮死のあいだにあるのが小説の「生」で、生きるで、自分で自分を書き直すとき小説が小説になるのは知るよりも早く経験してきました。きっと「トンちゃん」も同じです。トンちゃんがトンちゃんでないものになるとき(=トンちゃんをトンちゃんでないものがトンちゃんにするとき!)はじめてトンちゃんは「トンちゃん」を生きることになるのでしょう。
学童保育に毎日夜遅くまで預けられ、母親が迎えに来るのを、庭のまん中にあるケヤキの縦に流れる枝と枝のあいだをこぼれ落ちるように沈んでゆく夕日を眺めながら待っていたころからトンちゃんは、ひとりで過ごすのは嫌いじゃなかった。むしろ好きなくらいで、母親が迎えに来るのが少し遅くなっただけでぎゃーぎゃー泣き叫ぶ他の子供のようには泣いたことなど一度もなかった。ただときどき自分でも、いまなぜ泣くのかわからぬタイミングで涙が流れた。
だからお願い。トンちゃんをお願い。トンちゃんはトンちゃんひとりきりしかいないからこそ、トンちゃんでないすべてのひとに、ものに、いや、ひとやものですらないものにこそ、トンちゃんをお願い。