Naked Cafe

横田創(小説家)

自分をエディットする男

丘の上のパンク -時代をエディットする男、藤原ヒロシ半生記

丘の上のパンク -時代をエディットする男、藤原ヒロシ半生記

『新潮 6月号』に『丘の上のパンク 時代をエディットする男・藤原ヒロシ半生記』(監修・藤原ヒロシ 編集・川勝正幸)の書評を書きました。
新潮 2009年 06月号 [雑誌]

新潮 2009年 06月号 [雑誌]

田中康夫の初期の小説に負けないくらいこれは「東京廃墟」な本で、十年、二十年たったら「東京はなかった」と、いま四十代、五十代の(八十年代の東京を生きた)ひとたちが思うのも無理ないどころか思って当然で、わたしなんてまだ生まれてなかったころの六十年代の渋谷や戦後まもないころの新宿を歩くたびになつかしく思い出したりもします。それにくらべて、わたしが行ったり見たりそして住んだりしている東京は相変わらずです。なにも変わりません。好きだったカフェがふいになくなったり百回その前を通り過ぎても入ることはないなーと思う"おされーな"カフェがひょこりできていたりします。

実はドラマが死ぬほど好きで、期待しているから番組改編時期が訪れるたびにガッカリさせられることしきりなのだけど、いまは『白い春』が好きです。阿部ちゃんの顔を、あのなんともえろい口元を真正面からじっくり見ることができるこの時間が好きです。このドラマは調布あたりが舞台に設定されているのに、まだムショから出たばかりの阿部ちゃんはたびたび代々木公園の芝生の上でぼーっとしてます。『スマイル』はあまり楽しみではないけど舞台は代々木上原でご近所なので、もう何度も見上げた駅前の商店街の坂のショットが登場するのでドキドキします。東京に出て来たばかりのころ(1990年初頭)は、ドラマの原作を買って読んではバイクに乗って舞台となった街を見てまわることばかりしてました。ドラマは生きた古地図です。そして、どのインデックスも最初から宛先不明の言葉であることを教えてくれます。調布に代々木公園があったり、実際そこに小学校はあっても起きたこともこれから起きることもない食中毒事件がすでに起きていたりします。どうしても「あのころはよかった」的な思考から抜け出せないおじさんたちは、そんなものは最初からなかった、どこにもなかった、自分が勝手に作り出したドラマに過ぎなかったと認めることができない寂しがり屋なのかもしれません。

すべては消えてしまったのだ。新宿や千駄ヶ谷、西麻布や渋谷に同じ建物が残されていたとしても、いまはディスコでもクラブでもなくメキシコ料理のレストランであったり(日本初のクラブ、ピテカントロプス・エレクトスのことだ)、たとえ当時と同じクラブが、同じ名前で、同じ経営者で、同じ場所にあったとしても、同じクラブであるはずないのだ。体が、顔や名前が同じであっても、かつての友だちがかつての友だちのままであるはずないように。徐々にではなく、ごっそりと、一瞬にして……。