Naked Cafe

横田創(小説家)

転調のためらい

たとえばクラシックと呼ばれるジャンルのピアノ曲のワルツだったとして、トン、タンタン、トン、タンタン、とベースを刻む左手が、何小節目かの「トン」で転調するのをためらうかのように、あるいは次のコードを踏むのを躊躇したかのように粘るその瞬間がわたしは好きで、できることならそのまがどこまでも引き延ばされればいいと思う。と言いつつ、いま聴いているのはラヴェルの「ピアノ協奏曲 ト長調 第2楽章」の導入部。

ピアノであれギターであれ、実際その瞬間、演奏者は、次のコードを押さえるのに必死なのだからまがあいて当たり前と言えば当たり前で、でもその当たり前を当たり前のまま包み隠さず表現してくれると、聴いているほうはこころがどこかへ飛躍するのです。クラシックギターで言えば右手の親指がその役割を果たすコードの杭を、たくさんの層からなる音色の海に打ち込むときは、誰だってためらうものではないでしょうか。同じ理由で、ゆったりとした二拍子(pavane)で、慎重に、一歩一歩コードの地雷を踏みながら道なき道をすすむ「亡き王女のためのパヴァーヌ」が好きです。何度聴いてもドキドキします。ぜひ左手にご注目を。そして転調のためらいにご心酔を。


これは、検索してたら、たまたま見つけたもの。もう東京では見かけることができなくなったほど立派な柳の位置と、老人のランナーや自転車が通り過ぎるタイミングが絶妙。あと風の音と画面の揺れの関係のなさそうな関係も、後ろの山も、ラストの強引なハモりアレンジも。それにしてもなぜ女子はリコーダーでこうも友情をあたため合うのか。不思議、ではないけど、うらやましい。たのしそう。