Naked Cafe

横田創(小説家)

批評

雨の音

雨が降るのは、なにも空からだけではないことが、きょうのような雨の音を聴いているとわかります。隣りの一戸建ての屋根からも、いまわたしがいるマンションの屋上からも雨は降ります。ベランダの手摺りにたまって、わずかな傾斜を察知して、移動した先で出…

囁くような関係

この二年、いや、三年、それまでのわたしでは考えられないほどたくさんのアニメーションを観てきた。テレビ版を一秒も観たことがなかったわたしが映画館で「エヴァンゲリオン〈序〉」を観た感想は、おそらく賛否両論あるであろう、テレビ版とはくらべられな…

詩=私

端的に言って、詩とはなにか、という問いになるのかならないのかはなはだ心もとない問いは、わたしたちをドツボにはめます。ならやめておけばいいのに、ほかの多くのドツボがそうであるように、ふと気づくとわたしたちはまた「詩とはなにか」を語り始めてい…

詩=人

現代詩手帖 2008年 04月号 [雑誌]思潮社Amazon『(世界記録)』の翻訳論の中で展開されていたわたしの詩論を最初の最初に批判してくれたのは山城むつみさんでした。二度読んだ、のひとことにも驚かされましたが(その後、彼の読書にとって「二度」は当たり前…

究極の一日

今月はいろいろ観るものがあって、この週末は四日連続で舞台を観に行っているとMちゃんが言っていました。そういう意味では今度の週末の29〜30日は、ただでも年度末である上に桜も満開になると予測されているので、池袋や新宿、渋谷の駅のホームはいまに…

感情としての風景

感情でありながら、いやむしろ感情であるからこそ風景であり、その風景は感情の反映でも、投影でも、比喩でも象徴でもなくて、そのもの、なんてレトリックではいまこれを書いている自分を騙し、納得させて、信じさせることなどできない力が、或るひとつの、…

死に化粧

いま、エロさ、エロい、という言葉が好きです。それは、目に見えないものを見る、という言葉と同じで、書けばすなわち嘘になります。忘れたい、と言うことで、言うことの中で、忘れられないなにかのように。正直、わたしの小説のことはよくわかりません。で…

熱量だけがそこにある

10月25日発売の『ユリイカ11月号 特集*ドストエフスキー』のアンケート「永遠のドストエフスキー」に文章を寄せています。アンケート、といっても、もはやエセー、論考並の分量を掲載していただきました。ユリイカ2007年11月号 特集=ドストエフスキー…

キリンは首の長い動物である?

言いかえると、尺度によって測られるべきものが、吟味に堪ええない場合には、その吟味の尺度がかわるのである。吟味は知の吟味であるだけでなく、尺度の吟味でもあるわけである。(G.W.F.ヘーゲル『精神現象学』緒論 訳・樫山欽四郎) キリンは首の長い動物…

死を耐え、死のうちで自らを維持するもの

意味という言葉に、わたしの知る限り、もっとも積極的な意味を与えたヘーゲル論は、ジャン=リュック・ナンシーの『ヘーゲル 否定的なものの不安』である。 なにがこうして「存在なるもの」──存在そのものの固有──であるかといえば、それは、意味へと生成す…

朝よりもっと早い朝

気づけばいつもなにかを待っている。たぶんそれは文体[style]と呼ばれるもので、そのときどきの、いまのわたしのすべてであり、その"いま"を除くすべてのわたしの解放のとき。ゆえにその"いま"だけは救われない。文字通り"救いようがない"。現実的なもの、…

実践的、あまりに実践的な風景

肯定と否定を力(への)意志の質として考察した場合、この二つのものは包括的な関係にあるのではないということがわかる。否定は肯定と対立するが、肯定は否定とは異なる。肯定を、肯定自身のために否定と「対立する」ものとして考えることはできない。そう…

性=差について

ル・クレジオ 地上の夢―現代詩手帖特集版出版社/メーカー: 思潮社発売日: 2006/10メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (7件) を見る性差。性とは差であり、差異そのものであり、つまり性差とは性=差であること。……ぼんやりとわか…

失われた直接性を求めて(reprise)

サルトル―失われた直接性をもとめて (シリーズ・哲学のエッセンス)作者: 梅木達郎出版社/メーカー: 日本放送出版協会発売日: 2006/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 12回この商品を含むブログ (14件) を見るそうとは知らずに、やはり最初は誰も彼もが…