Naked Cafe

横田創(小説家)

関係について

関係には親子関係と恋愛関係しかないという確信がわたしにはある。

人間関係に限った話ではない。すべての関係は親子関係(ずっと永遠にこのまま)と恋愛関係(いまこのときがすべて)のどちらかであり、どちらでもあることもできる。異なる2つの愛のかたち(運動)。

親子の中にも恋愛(いまこのときがすべて)はあるし、恋愛の中にも親子(ずっと永遠にこのまま)はある。親子ではないひとの子供になることもできる(そのときは限りなく恋愛みたいな関係になる)し、恋人でもなんでもない、ただの友達と恋愛することもできる(そのときは限りなく親子みたいな関係になる)。できるというか、なるというか。なってることのほうが多いというか。自然というか。

親子関係(ずっと永遠にこのまま)の中に恋愛関係(いまこのときがすべて)が発生しなければ親子が抱えるすべての問題は解決するだろう。恋愛関係(いまこのときがすべて)の中に親子関係(ずっと永遠にこのまま)を求めるようにならなければ恋愛が抱えるすべての問題は生まれないはずだ。

だが、親子関係(ずっと永遠にこのまま)になることが御法度の恋愛関係とは? 恋愛関係(いまこのときがすべて)のない親子関係が成立するなら家族の中で起きるすべての問題はたちどころに消滅する。異なる2つの嫉妬のかたち(運動)。

微塵も恋愛をしない夫婦。嫉妬し合わない兄妹。姉妹。2度と会うことができない、会ってはならないという契約の中でしか会うことがゆるされない恋人たち。そんな純粋な関係はこの世界には存在しない。どの関係も、ずっと永遠にこのままと思いながらそうはならない関係であり、いまこのときがすべてと思いながらも永遠にこのままであることを願わずにはいられない関係である。

ここに友達と呼ばれる関係が割って入ることはできない。なぜならすべての関係は友達だからである。友達ではない関係など存在しない。

友達になることは関係することであり、友達にならないことは関係しないことである。嫌いな関係とは嫌いな友達であり、好きな友達とは好きな関係である。ほんの少しでも親子関係(ずっと永遠にこのまま)か恋人関係(いまこのときがすべて)が発生すればたちどころに純粋な友達のままではいられなくなる。友達とは関係そのものである。

ゆえに純粋な友達など存在しない。すべての関係は親子関係か恋愛関係と呼ばれる闘争(愛という名の戦争)の中にある。つまりは不純で複雑な関係である。なんとなくいつも集まってしまう地元の友達は親戚よりも近い存在で常に兄妹姉妹のような嫉妬が渦巻いている。自分だけが連絡をとることに必死になっている恋人みたいな友達はきょうもLINEの返事が遅い。