Naked Cafe

横田創(小説家)

雨の音

雨が降るのは、なにも空からだけではないことが、きょうのような雨の音を聴いているとわかります。隣りの一戸建ての屋根からも、いまわたしがいるマンションの屋上からも雨は降ります。ベランダの手摺りにたまって、わずかな傾斜を察知して、移動した先で出会った水の表面張力を破って、落ちる雨。いまごろ代々木公園の森は大騒ぎだろうなー、と思います。家の中で聴く独特の、くぐもった雨の音も好きです。円く輪になり、筒となり、つねに空洞をつくりながら地面に吐き出される雨樋の破廉恥な音も好きです。空の上で、雨と雨が触れ合うひそやかで、きっと淫靡な音を想像します。

浜名湖で、むかし、遠くから雨が近づく音を聴いていました。録音するとどうしても(天ぷらを揚げる音のように)角が立つその音も、風に吹かれるように触れると実にやさしく、透明でした。わたしはそれを工事現場にあるような簡易トイレのなかで、ドアを開けっ放しにして聴いていました。入り江のようなちいさな海水浴場の管理人と思われる家族の母親と娘が、そこかしこに雨の波紋のひろがる波打ち際で遊んでいました。黒いワンピースの水着をきた母親は、美空ひばりのリンゴ追分を歌っていました。赤い浮き輪にしがみつく、まだ小学校にあがったばかりくらいかと思われる娘のバタ足の音は、すぐ近くにある森の隙間に吸い込まれていました。

わたしは風景を聴いていました。それは言葉でできていました。音が言葉のふるさとであるのを知ったのはこのときです。宇野千代の『雨の音』という小説が好きで、くりかえしわたしは聴いてきました。

雨の音 (講談社文芸文庫)

雨の音 (講談社文芸文庫)