Naked Cafe

横田創(小説家)

魚介のマリネサラダ ……自家製ドレッシングのすすめ

さすがにわざとというわけではないけど、うちの冷蔵庫は高さ八十センチほどの、それはそれはちいさいもので、置き場がないからというわけではないけど、市販のドレッシングは買いません。その場で作って、使い切ります。気分と食材に合わせて組み合わせることができるし、いくらでも調整できるところが利点です。わたしが最初におぼえたドレッシングは神楽坂のフレンチレストランでバイトをしていたときにシェフに教えてもらったものです。そして毎日仕込みの手伝いで作ってました。「魚介のマリネサラダ」はその基本中の基本のドレッシングを使うものなので、レシピと一緒に紹介します。
「魚介のマリネサラダ」の作り方(2〜4人分)
刺身(ホタテや平貝やツブ貝などの貝類、または鯛や平目やサーモンといった白身魚、鰺や鰯の青魚、要するに赤身じゃなければなんでも) 好きなだけ
水菜 半束
貝割れ大根 1束
プチトマト 10個


「フレンチドレッシング」の作り方
マスタード(できればディジョン・マスタード) 小さじ1
レモン汁(またはお酢、あれば白ワイン・ヴィネガー)  大さじ1
EXオリーブオイル 大さじ1
 ひとつまみ
胡椒 少々

 野菜の仕込みをする。水菜と貝割れ大根を洗って、根元を切って、ボールの中で立てるようにして水にさらす。10分もすればシャキッとする。野菜は市場に出荷するとき、いたまないように水分を抜かれているので、スーパーや八百屋さんでへなへなしているからといって新鮮でないわけではない。ちゃんとこうして水にさらせば生き返る。できれば、特に夏場は、ボールの中に氷をどさっと入れると、さらにシャキッとする。レストランのサラダがやたらとしゃきしゃきしているのはこれをしているから。
 フレンチドレッシングを作る。あとで野菜を入れて混ぜることができるくらいのおおきさのボールにマスタードと塩、胡椒を入れて、泡立て器でよーく混ぜる。次にレモン汁(またはお酢)を入れて、やっぱりよーく混ぜる。けっこう丁寧に、がんばって、空気を入れるようにして混ぜる。最後にオリーブオイルを入れて、さらにがんばって混ぜる。なんというか全体的に白っぽくなって、とろみが出てきたら完成。
 魚介を薄切りにする。透けるほどではないけど、ホタテなら斜め切りにして二枚か三枚にしする感じ。スーパーで売ってるサーモンや鯛の刺身なら一枚を二枚に。鰺や鰯の刺身ならパックから出してそのまま使ってよい。それを2のフレンチドレッシングの中に入れて、常温で30分ほどマリネーゼする(時間がなければ10分でもよい)。
 水気をよーく切って、ざく切りにした水菜と、やっぱり水気をよーく切って、根元を切った貝割れ大根と1粒を半分に切ったプチトマトを3のボールに入れて混ぜる。手で混ぜる。だからお皿を先に用意しておく。手で混ぜて、上へ上へ盛るように、クリスマスツリーにするくらいの気持ちで、混ぜた手のまま、手で盛りつければ完成。

簡単、ですよね。マリネーゼした刺身はさらに柔らかくなって臭みも抜けて最高においしいです。特に夏場はおすすめ。食事の最初に食べると口の中がすっきりして、お酢で食欲も増してメインのおかずが待ち遠しくなります。わたしは先にこれを作っておいて穴熊に、またはお客さんたちに食べていてもらっているあいだに心おきなく料理をします。冷やした白ワインが合います。一本500円のワインでも、辛口なら文句なしに合います。ビール派のわたしもこのときばかりはいただきます。

さて、ドレッシングです。そもそもドレッシングというものは野菜の味をつけるうんぬん以前に野菜を柔らかくするために必要なので、油が入ってなければドレッシングではありません(ノンオイルのドレッシングが有効なのは、ワカメサラダのときくらいかな?)。そして食卓で直接サラダの上に振りかけるのはめんどくさがり屋のアメリカ人が発明したもので、こころに余裕があるならボールの中で野菜にからめてから盛りつけたほうが絶対においしいです。実は基本は簡単です。お酢と油を、塩と胡椒で混ぜればいいのです。それさえわかっていれば、中華風も和風もすぐにできます。たとえば……。


「中華風ピリ辛ドレッシング」の作り方
豆板醤  小さじ1
お酢   大さじ1
ごま油  大さじ1
塩    ひとつまみ
煎りゴマ 大さじ1

これをトマトとワカメのサラダに和えてみるのはどうでしょう。うまいに決まってます。わたしなら、鶏のささみをさっと湯がいて手で裂いて、細切りにしたきゅうりと一緒に和えたりします。もちろん本格的なくらげのサラダもこれでできます。次、行きます。


「和がらしドレッシング」の作り方
和がらし  小さじ1
お酢    大さじ1
サラダ油  大さじ1
塩     ひとつまみ
 
これでタマネギの千切りと水菜とハムのサラダを作ってみるのはどうでしょう。和がらしのつんとしたところがなんとも頼もしいので、だいたいどんな野菜でも合います。和がらしですから、とんかつの横にこのドレッシングで作ったクレソンのサラダを添えてもいいです。なんなら上にのっけても。実際ラ・ベットラ落合務さんのレシピ本(『ちゃんと作れるイタリアン』)の中に、薄くして細かいパン粉をつけて揚げたミラノ風カツレツの上にサラダをのせちゃうレシピがあって、サラダと一緒に食べると油っこさが見事に消えて、あっというまに食べてしまうので、すっかりいまではうちの定番料理になってます。

「マヨネーズ風ドレッシング」の作り方
フレンチドレッシングを作ったら卵の黄身をひとつ落として、よーく混ぜればかなりマヨネーズなものができます。それをロメインレタスに和えて、パルメザンチーズ(パルミジャーノ・レッジャーノ)を振りかければ、かなりシーザーサラダなものに変身します。そうです、マヨネーズなんてそんなものです。油と卵とお酢さえあれば、誰にだって作ることができるのです。
切りがないのでこれくらいにしますが、最後にひとつだけ。ぜひ一度、ディジョン・マスタード(moutarde de Dijon)を買ってみてください。まさにこれこそパリの味です。ディジョン・マスタードで作ったドレッシングのサニーレタスのサラダがまるでメインのように平たくて丸いお皿のまん中にでんとのったそのまわりに五種類のハムが添えられたモンマルトルのカフェで食べたワンプレートが忘れられなくて、わたしはドレッシングを自分で作り始めました。日本ではあまり多くの種類が売ってませんが、本家のフランスではびっくりするくらいろいろな種類のマスタードが売ってて、滞在してるあいだいろいろ買って試してみんな持って帰ってきました。サニーレタス。スーパーではしんなりしてますが、ざくっと根元をもぎ取って氷水につけて、手で、親指で弾くように千切ればもうそれだけで最高のサラダの材料になります。野菜と言えば植松良枝さんです。彼女は野菜の魂を知っています。今夜はサバのグリル モロッコ風アリッサソース×春菊とサニーレタスのビネガーサラダにしてみようかな。

さっそく作っちゃいました。これ、まじでうまいです。植松さんの言うとおり火加減だけ気をつければ誰でもおいしくつくれるので、このモロッコ料理きっかけでスパイスを四種類手に入れて挑戦してみてください。わたし、これ好きです。

畑のそばでうまれたレシピ 温かい野菜料理 (オレンジページブックス)

畑のそばでうまれたレシピ 温かい野菜料理 (オレンジページブックス)

要するに、馬鹿なのである ……小説のまなざし

 なにかを見て思い出すのでも、思い出したいなにかがあるのでもなく、ただ「思い出す」という欲望だけが先に作動している。だから小説にとっては、すべての言葉がなつかしい。I Guess Everything Reminds You of Something=なにを見てもなにかを思い出す。これはアーネスト・ヘミングウェイの言葉だが、この言葉をタイトルにした短編小説はあまり好きではないどころか大嫌いだが、この言葉は見事なまでに小説のこころもちというか、こころここにあらずな感じをあらわしている。
 小説はいつもそわそわしている。なにを見ても自分はそこから来たのではないかと思う。生まれてはじめて来た街なのに自分のふるさとに見えるどころか、自分のふるさとなのに忘れてしまった街の中に自分はいるように感じる。言葉に折り畳まれて、忘れ去られた記憶の風景。わたしはそれを知っているような気がする。小説はいつもそこから始まる。すでに始められていたものに気づくことから始まる。

國文學 臨時増刊 特集:小説はどこへ行くのか 2009』に、わりと長めの小説論を書いたこともあって、最近つとに思う。というかなにを見ても思う。ドラマを見ていても思う。乳母車の中で新種の動物みたいな奇声をあげている赤ちゃんを見ても思う。その乳母車を押している母親のちょっとがんばっちゃったふたつ結びを見ていても思う。世界はあまりにかわいすぎると思う。かわいすぎるからわたしはいろいろ考えてしまうのだと思う。はっきり言って、迷惑どころの話ではない。このかわいさにさんざん苦しんできたしこれからもまちがいなく苦しみつづけると思う。

たぶん小説とは愛におびえる精神のおののく姿そのものなのだろう。そして愛を一方的に切り捨てるか高らかに謳い始めたときその使命を終える、どっちつかずのものなのだろう。
参照→「これは、誰の、風景なのか

大根おろしのっけ納豆チャーハン ……大根おろしがやばめ

きょうのひとり昼ご飯は「簡単チリトマト・ヌードル」を辛ラーメンで作りました。トマトの酸味が韓国料理独特の優しさがある唐辛子の辛さをさらに引き出してくれます。辛ラーメンは煮込むラーメンなので、こっちのほうがさらに簡単です。ざく切りにしたホールトマトのトマト1個を加えるだけであとは規定通りの作り方をして一緒に煮込むだけです。万能ネギの小口切りを、それもかなりこまかめに切ったのをまわりに散らしてまん中に煎りゴマをひねって(とはつまり、親指と人差し指で摘んで精一杯の握力、指力? で潰しながら散らして)みました。これってもしかして鍋にすることもできるかも。考えてみます。

紹介するならに旬にしろと穴熊先生につねづね言われているのですが、我慢できないほどここのところずっとわたしの旬でありつづけている大根おろしを使った料理を紹介します。まずはレシピから。

「大根おろしのっけ納豆チャーハン&大根のお吸い物」の作り方(1〜2人分)
ご飯 1合
大根 小分け売り分(15センチくらい)
 2個
納豆 1パック
 ひとつまみ

ごま油 大さじ 1
黒胡椒 少々
醤油 小さじ 1

 ご飯を普通に炊く。1合だから2人ならちょこっと、1人ならがっつり食べる感じ。チャーハンはいっぱい作って食べると後半が労働めいてくるので2人で1合。そのあいだに大根の3センチ分くらいを輪切りにして皮を剥いてから半分にして厚ぼったい半月みたいなかたちにする。それをさらに1センチの厚さに切る。その三枚を重ねてまな板に置いてに四分の一、八分の一と放射状に切っていって、最終的に十六分の一のイチョウ切りにする。それをちいさめの鍋に入れて水300ccを注ぎ、極々弱火で煮て大根の出汁を取る。かならず水から。時間をかければかけるほど大根の良い出汁がでる。
 残りの大根を粗めの大根おろしにする。チャーハンの上にのせるので、べちゃべちゃさせたくないからいつもよりぐっときつめに、なんならキッチンペーパーに包んで、めいいっぱい絞って水気を取る。このとき出た大根の汁を捨てないで煮ている途中の1の鍋の中に入れる(だから水は400ccじゃなくて300ccなのです)。
 チャーハンを作る。卵2個と納豆1パック、塩ひとつまみをボールの中に入れてかき混ぜておく。炊いたご飯をすぐに入れられるようガスコンロの近くに待機させておく。あとは一気に。フライパンにごま油大さじ1を入れて強火にして、その中心に注ぎ込むように卵納豆を入れる。オムレツみたいにまわりが焼けてまるく盛り上がってきたら(火をつけてからここまでで約30秒)、強火のまま、あくまでも強火のまま卵のまん中にご飯を投入して、木のしゃもじのようなもので切るようにしてご飯や卵に焦げ目を作りながら、混ぜながら何度かフライパンを返して炒める(この間1分、合計1分30秒)。それぞれのお皿にこんもり盛って大根おろしをのせて、黒胡椒を上からがりがりやればチャーハンの完成。醤油をお好みでふって食べてください。
 大根のお吸い物を仕上げる。大根が柔らかくなっていたら一度味見をして、大根の出汁ってこんななの? とびびって、リスペクトしてから塩をちょっとちょっと入れては味見しをくり返しながら大根の出汁の香りと甘み浮き立つポイントというか境目が「あ、ここだ」と感じられるまでゆっくりと、あわてることなく味を調え、火を止めてから香りづけのために醤油小さじ1を加えれば完成。

どっから話そう。このレシピには話したいことがたくさんあります。やっぱりまずは大根おろしの話から。実は大根おろしがこんなにもいろいろ使えて効果絶大なことを知ったのは雑誌の『オレンジページ』で紹介されていた「大根おろし入りのなめこ汁」なのです。早い話がなめこの味噌汁に大根おろしを入れただけなの郷土料理なのですが、あのぬめりのあいまあいまに口に入る大根おろしのしゃきしゃき感とさっぱり感はわたしを大根おろしの虜にするにはじゅうぶん過ぎるものでした。なんというか、料理に緩急がつけられるのです。わかります? こってりとさっぱりを同時に味わえるというか、一種のどころか究極の薬味であることを知ったのです。ご飯にかける納豆の中にもよく入れます。ミョウガの千切りと一緒に混ぜたらそりゃもう最高です。このブログの最初に紹介した「半熟目玉焼きご飯」の上にものせます。いや、これほんとにおいしくて、むかしの日本人がご飯の上に大根おろしをのせて醤油を掛けて食べていたという話がいまでは信じられるどころか、そりゃうまいに決まってる、と思うくらいです。

とにかくまずは味噌汁の中に大根おろしを入れてみてください。おすすめはたくさんあるけど、いくつか書いておくと、ナスとミョウガの(赤だし)味噌汁、納豆としめじの味噌汁、豚汁あたりでしょうか。粗めにおろして汁ごと入れてください。出汁で具を煮て味噌を溶き、味見をしてから大根おろしを入れて、ひと煮立ちしたら完成、というイメージで。煮すぎたらさっぱり感もしゃきしゃき感も消えてしまうので。

もったいないから大根おろしを吸ったときの汁を捨てないでと言っているのではないことは、いま紹介した大根のお吸い物を作って食べてもらえばわかります。大根おろしの辛みは火を通して甘みに変化してもなお残る野菜の香りというか根性があって、それだけでもうじゅうぶん出汁になります。きのこの出汁と同じです。だからかならず水から煮てみてください。びっくりするほど灰汁が出ますよ。それを丁寧に掬っているうちに愛情も湧いてくるというものです。豚汁が、出汁らしい出汁をとらなくてもあんなにうまいのはきっと大根の出汁のせいなのではないかといまではすっかり信じてます。大根おろしの使い方がうまいというかその効用を、効果を誰よりも信じているとわたしが勝手に思うのは「分とく山」の野崎洋光さんですが、彼の「塩ざけのみぞれ煮」を作って=食べてみてください。そしたらぜったい彼がNHKの「ためしてガッテン」で紹介していた「みぞれ豚しゃぶ」を作って=食べてみたくなるはずです。作り方は簡単です。2人で食べるなら、土鍋に水1カップを入れて沸いたら大根おろしを大根半本分摺って入れて蓋をしてひと煮立ちしたら白ネギの小口切りを投入して豚バラ肉の薄切りでしゃぶしゃぶするだけです(ひとり鍋のときは水100ccに大根四分の一分にしてください)。肉で大根おろしとネギをを一緒に巻いてポン酢につけて食べる究極のシンプル鍋というわけです(シメはご飯でもうどんでもなくて蕎麦です!)。大根の中に含まれる酵素が肉をやわらかくしてくれるので、あっというまに食べてしまいますよ。ダイエット食としてもおすすめです。あ、いま思いついた。今度味噌ラーメンに入れてみよう! ホウレンソウと豚と一緒に食べたらおいしそう。もしかしたら辛ラーメンに入れてもおいしいかもしれない。明日のアレンジはトマトの代わりに大根おろしだ!

自分をエディットする男

丘の上のパンク -時代をエディットする男、藤原ヒロシ半生記

丘の上のパンク -時代をエディットする男、藤原ヒロシ半生記

『新潮 6月号』に『丘の上のパンク 時代をエディットする男・藤原ヒロシ半生記』(監修・藤原ヒロシ 編集・川勝正幸)の書評を書きました。
新潮 2009年 06月号 [雑誌]

新潮 2009年 06月号 [雑誌]

田中康夫の初期の小説に負けないくらいこれは「東京廃墟」な本で、十年、二十年たったら「東京はなかった」と、いま四十代、五十代の(八十年代の東京を生きた)ひとたちが思うのも無理ないどころか思って当然で、わたしなんてまだ生まれてなかったころの六十年代の渋谷や戦後まもないころの新宿を歩くたびになつかしく思い出したりもします。それにくらべて、わたしが行ったり見たりそして住んだりしている東京は相変わらずです。なにも変わりません。好きだったカフェがふいになくなったり百回その前を通り過ぎても入ることはないなーと思う"おされーな"カフェがひょこりできていたりします。

実はドラマが死ぬほど好きで、期待しているから番組改編時期が訪れるたびにガッカリさせられることしきりなのだけど、いまは『白い春』が好きです。阿部ちゃんの顔を、あのなんともえろい口元を真正面からじっくり見ることができるこの時間が好きです。このドラマは調布あたりが舞台に設定されているのに、まだムショから出たばかりの阿部ちゃんはたびたび代々木公園の芝生の上でぼーっとしてます。『スマイル』はあまり楽しみではないけど舞台は代々木上原でご近所なので、もう何度も見上げた駅前の商店街の坂のショットが登場するのでドキドキします。東京に出て来たばかりのころ(1990年初頭)は、ドラマの原作を買って読んではバイクに乗って舞台となった街を見てまわることばかりしてました。ドラマは生きた古地図です。そして、どのインデックスも最初から宛先不明の言葉であることを教えてくれます。調布に代々木公園があったり、実際そこに小学校はあっても起きたこともこれから起きることもない食中毒事件がすでに起きていたりします。どうしても「あのころはよかった」的な思考から抜け出せないおじさんたちは、そんなものは最初からなかった、どこにもなかった、自分が勝手に作り出したドラマに過ぎなかったと認めることができない寂しがり屋なのかもしれません。

すべては消えてしまったのだ。新宿や千駄ヶ谷、西麻布や渋谷に同じ建物が残されていたとしても、いまはディスコでもクラブでもなくメキシコ料理のレストランであったり(日本初のクラブ、ピテカントロプス・エレクトスのことだ)、たとえ当時と同じクラブが、同じ名前で、同じ経営者で、同じ場所にあったとしても、同じクラブであるはずないのだ。体が、顔や名前が同じであっても、かつての友だちがかつての友だちのままであるはずないように。徐々にではなく、ごっそりと、一瞬にして……。

無頭鰯、ふたたび

文学2009 (文学選集)

文学2009 (文学選集)

短編のアンソロジーに「無頭鰯」が再録されました。雑誌で読み逃した方はぜひこの機会に(などと言うと演劇とか展覧会みたいだけど、本です、これは)。詳しいことは下記のサイトで。
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2154285&x=B

海南チキンライス ……蒸し煮、蒸し茹でのすすめ

カレーも鍋も味噌汁も煮魚も、煮汁をたくさん入れすぎていたことにわたしが気づいたのは、高山なおみさんのレシピを読むようになってからなのですが、それはもう劇的に料理の仕方が、味が、おいしさが変わりました。一度おもいきって煮汁の量を見直すことをおすすめします。ほんと、それだけでおいしく煮物ができるようになるはずです。

たっぷりのお湯で煮ると具材のうまみが全部そこへ逃げ出すだけなので、はっきり言って、いいことなんてひとつもありません。うまみの薄いスープに具がぷかぷか浮かぶだけです。さらに味付けをするときが大変で、経験したことあるひとは多いと思うけど、たとえば肉じゃがを作っているとき、味が薄いと思ってミリンを入れても醤油を入れても、もう、えーってくらい調味料をいろいろ入れたのに味がちっともつかなくて、砂糖とか塩とか入れているうちにわけがわからなくなってきて、もういいやって感じで料理があえなく終了するのは、レシピなしでなんとなく作ったときの常なのです(そんな失敗をしないためのおすすめレシピは、小林ケンタロウ×カツ代親子の「フライパン肉じゃが」です)。かく言うわたしも、レシピなしで作れば多少の差こそあれそうなります。しかも盛りつけたあと、鍋の中に残った大量のスープの中には、ついさっきあなたの手により無闇に投入された醤油やミリンがほとんど全部入っているのです。それを流しに捨てる。これを悲しいと言わなくてなにを悲しいと言うのでしょう。

ということで、煮ると言えばもう蒸し煮で、蒸すように煮るか茹でるかわたしはします。たとえば、鶏肉を茹でれば自動的にチキンスープが鍋の中にできます。それを使わない手はないし、使うならベストな状態でできるように水の量を計算しましょう(今回は、そのチキンスープで米1合を炊くので水はカップ1杯でじゅうぶんなのです)。お湯が少ないからちゃんと煮えないのではないか、茹でられないのではないか、と心配する必要はありません。蒸気の力は、すごいです。死ぬほど熱いのは、一度でも蒸し料理をしたことがあるひとなら知っているはずです。ちゃんと蓋をすれば火が通らない心配よりも火が通りすぎる心配をしたほうがいいくらいです。

昼はいつものことなのだけど、穴熊が会社の送別会で外で食べてくるとのことなのでその日は晩ご飯をひとりで食べることになりました。冷蔵庫の中になにがあるかと思って開けてみると、きのうケンタロウの「バリバリ揚げ(=鶏もも肉を醤油とお酒で漬け込んで、片栗粉をまぶしてまるのままフライパンに薄く強いた油で揚げたもの、ビールのつまみに最高ですよ!)」を作ったときに使った鶏のもも肉が一枚あまっていたので、海南チキンライスを作ることにしました。海南はシンガポールのこと。鶏肉の煮たときにできるスープをそのまま出汁にして米を炊く、見た目よりずっと簡単なのに鶏のうまみをまるごと味わえる、わたしのような鶏肉好きにはたまらない料理です。

わたしの海南チキンライスとの出会いは、西荻窪にある夢飯(むーはん)(←盛りつけの参考に!)という海南チキンライスの専門店です。会うひと会うひとに「おいしかった」と言い触らしたほどの衝撃でした。鶏を煮ることでできるスープでごはんを炊いたりお粥にしたりして、とにかく鶏を楽しむ素敵な料理。今回は、蒸し煮したあと鍋に残るスープをでお米を炊いてチキンライスを作りますが、炊いたお米を鍋の中に入れてことこと煮れば絶品の鶏がゆにもなります。わたしと穴熊は、お粥にするときはいつもパクチーとザーサイのみじん切りをトッピングにして食べます。あとこれから下に書くタレを作って、ちょっとずつ、ちょっとずつ、スプーンですくってかけて、味を調節しながら食べます。もう中華なのかアジアンなのかわからない絶品お粥がすぐに誰にでもできます。こんな鶏の食べ方を、楽しみ方を教えてくれたむーはんに、ほんと感謝です。

海南チキンライス」の作り方
鶏もも肉 1枚
ショウガ薄切り 1枚
ネギの青いところ 
パクチー(もしくは、三つ葉) 好きなだけ
 1合

タレ
醤油 大さじ1
豆板醤 小さじ1/2(辛さはお好みで調節してください)
ごま油 小さじ1/2
 写真のように、なるべくちいさな鍋に鶏もも肉とショウガの薄切りとネギの青いところ(あればパクチーの根)を入れて、水を1カップ入れて蓋をして強火にかける。沸騰したら灰汁を取ってからまた蓋をして、コンロの限界まで弱火にして15分蒸す。さらに5分ほど蓋をしたまま余熱で火を通す(と、高山さんのレシピに書いてあるけど、ほんと? とわたしも不安でしたが、だいじょうぶ、ちゃんと火は通ります! むしろ火の通しすぎに気をつけてください)。
 蓋を取って、煮汁につけたままあら熱が取れたら(とはつまり、手で触れるようになったら)蒸し鶏を鍋から取りだし、鍋に残ったスープで米を普通に電子ジャーで炊く(足りないようだったら水の量は調節してください)。
 炊けて保温になったご飯の上に切る前の蒸し鶏をまるのままのせて5分から10分あたためる。そのあいだにタレの材料をざざっと混ぜて小皿に入れる。ご飯の横に半分のせるように薄切りした蒸し鶏を盛りつけ、ざく切りにしたパクチー(もしくは三つ葉)をたっぷり添えたら、完成。

高山なおみさんの「蒸し鶏」(『うちの玄米ご飯』)のレシピを参考にして夢飯の味を再現してみたレシピです。というか、最初に書いたように、高山さんのレシピが蒸し煮=蒸し茹でのおいしさというかノリを教えてくれました。その料理は『おかずとご飯の本』に載っている「鶏レバーのしょうゆ煮」なのですが、それはまた今度作ったときに書きます。酒のあてに最高なので、まちがいなくわたしはまた作るので。煮汁が蒸発して米を炊くのに足りなくなったときは水を足してください。けど、べちゃっとするより、ぱらぱらっとしてたほうがおいしいので、ちょっと足りないくらいがちょうどいいです。今回はキュウリが冷蔵庫の中にあったのでピーラーでしましまに皮を剥いてから厚めに切って一緒に盛りつけました。あとレモンもあったのでくし切りしました。鍋から先に取り出した蒸し鶏が冷めたままではもったいないので、電子ジャーでご飯が炊けて保温になったらお皿に盛りつける前に炊けたご飯の上にのせて5分か10分でいいので一緒に蒸してあたためてください。切るときは皮目を上にして、ゆっくり包丁を動かせばうまく切れるので、できるかぎり薄く切っるようにしてください。

この日のわたしのようにひとりで贅沢に全部食べてしまうのもいいし、ほかにもう一品作って、友だちと2人か3人くらいで食べるのも楽しいです。そのときは、ぜひタレをもう一種類、ショウガ・レモンを作ってみてください。作り方は簡単で、ショウガ一片をすってレモンを半分搾って、塩少々くわえて混ぜるだけ。豆板醤のタレよりずっとすっきりしていて、シンプルな分、鶏の味をダイレクトに味わうことができるのでおすすめです。

愛することは怒ることである

わたしのような愛し方をすることだけが愛することだとは思わないが、自分なりの愛し方が、いくら考えても見いだせないときわたしはどうしようもなく暗い気持ちになる。どのような愛し方であれそれがキリスト教の隣人愛と呼ばれるもの以上のものでも以下のものでもないからだ。隣人愛とはなにか。それはイエスの言うように「自分を愛するように他人を愛する」ことだ。具体的かつ現実的に言ってなにをすることなのか。それは怒ること以外にないとわたしは思う。ものごころついた小5か小6のころからわたしはずっとそう考えてきた。もちろんわたしなりに最大限疑いつづけ直感的に抱いた自分のその考えを批判しつづけてきたつもりだ。そのたびごとに更新されはしてもいまだに真理としてわたしの中に居座っている。

自分を愛するように他人を愛することは怒ることである。わたしのような怒り方をすることだけが怒ることではないにせよ、怒ることなく誰かを愛することは不可能であるとわたしは思う。それは愛することなく愛することくらいおかしなことだと思う。愛することはすなわち怒ることだとわたしは思う。怒るという行為の中にも愛するという行為とイコールで結ぶことができないものもある。わたしに言わせればそれは怒るでも愛するでもないただの八つ当たりだ。反省して今後しないようにすれば済むだけの話である。反省しても、してもしてもしてもしても済まない問題があらわになるのが隣人愛だ。愛しているから怒らずにおれないのか。それとも怒らずにはいられないほど愛しているのか。おそらくそのどちらでもない。愛すると怒るは同じ行為につけられた別の名前なのである。怒るは愛するの顔なのである。わたしたちは怒ることでしかそのひとへの自分の愛に気づくことができない。自分を愛するように他人を愛する自分は他人を愛することの中でしか見つけることができない。

高校生のとき。たくさん聞いた同級生の男子や女子の恋愛にまつわる悩みの中でびっくりするほど多かったのが「まだ一度もケンカをしたことがない」というものだった。わたしは「それは好きではないからだ」といつも答えた。「本当に好きではない、てこと?」と聞き返されれば「本当もなにも好きではないんじゃない?」と、こころを鬼にして答えた。すると「そうかもしれない」という意外なくらい素直な答えがほとんどの相手からかえってきた。驚いた。おそらくその相談をした時点でうすうす感じていたのだろう。けどいま付き合っているそのひとだけではなくて、むかし付き合っていたカレシ/カノジョともケンカしたことがないのだから、そんなこと言われても途方に暮れるしかないようだった。だからわたしは「誰になら怒ったことがある?」と、別の質問をぶつけてみることにした。

仮にもし八つ当たりでも鬱憤晴らしでもない怒るという行為があるとするなら、仮にもしわたしがあなただったらこうするのにこうしないのにという助言、提案をされた相手に自分は強制されていると、こうしろ/こうするなと脅されていると受け取られても仕方ない断定をともなう命令、あるいは裁きとなるはずだろう。たとえどんなにソフトな言い方をしたとしても、他人になにかを言うことは怒ることである。なぜなら、それは八つ当たりでも鬱憤晴らしでもなく、他人のことをまるで自分のことのように考えることだからである。「こうしてみたら?」と「こうしろ!」の差違は、他人に言う/言わないの差違の前では同じ「言う」という行為である。「仮にもし」もなにも、万が一にも、天と地がひっくり返っても他人は他人で、自分であるはずないのに他人のことをまるで自分のことのように考え、こうしろ/こうするなと言うことは命令することであり、わたしはいまそれを「怒る」と呼ぶことをあなたに提案しているのである。わたしと同じように考えろとあなたに命令しているのである。わたしはあなたに怒っているのだ。

わたしならそうしないけどあなたがそうしたいならそうしたら? この言葉に愛を感じるひとはいないだろう。恋人と思っていたひとにそう言われたら、まちがいなくこのひとは自分のことを愛していないのだと思うはずだ。恋人とケンカを一度もしたことがないのが悩みである彼や彼女も家ではけっこうやんちゃしていて、親に「うざい」とか「死ね」とか罵声を浴びせかけたり兄弟姉妹に「ばっかじゃないの?」と思慮の欠けた言葉を口にして取っ組み合いのケンカをしたことなんて一度や二度ではないからこそ「結局自分を愛してくれているのは親や兄弟であり家族だけだ、いくら愛しているとかずっと一緒にいるとか言ったって恋人や夫婦なんてしょせん赤の他人だ」という絶望的で悲しい結論にたどりつくのだ。親や兄弟が「うざい」けど「ありがたい」のは他人であるはずの自分のことをまるで自分のことのように考え、こうしろとかこうするなとか激しい口調で怒って命令してくる存在だからだ。ただし、この愛は「追いはぎに襲われたひとの隣人」となる通りすがりの愛*1ではなく、追いはぎに襲われた肉親の復讐を誓う愛である。「自分を愛するように他人を愛する」ではなく「自分を愛するように愛することができるひとを愛する」愛である。なんて青ざめた愛の顔だろう。自分の子どもなのに他人のようにしか感じられず、自分を愛するように愛することができない自分を責め立てる母親の倒錯に気づくどころかあなたどこかおかしいんじゃないの? 自分の子どもが愛せないなんて、普通じゃないとメンタルクリニックに通うことをすすめる母親にとってその娘は自分の延長以上でも以下でもない存在であることは確かだ。自分の子どもを愛するように他人を愛する者は、他人を愛するようにしか自分の子どもを愛せないのは当然のことだし至極まっとうなことだ。そしてその愛以上に美しい愛を、純粋ではないにしても必死な愛を、死を賭した愛をわたしは知らない。隣人愛。自分を愛するように他人を愛することは、他人を愛するように自分を愛することなのだから。

おまえ女なんだから少しは料理くらいできるようになれよと怒る恋人も、会社の同僚と一緒にいるときくらいはオレを立ててくれよと怒る旦那もまちがいなくあなたを愛してなどいないし怒っているのでもない。男のオレはそんなことしないけど、女のおまえはそうしろと言っているのだから、そうする/そうしない、こうする/こうしないがふたりのあいだで、ふたつの「わたし」のあいだで一致していないからだ。同じ「わたし」を賭けていないからだ。オレはここで死ぬ、だけどおまえは死ぬな。生きろと言われて自分は愛されているのだと感じたあなたがその男を愛していないのがあきらかなのと同じこと。恋人だからって、夫婦だからってなにもかも一致する必要はないのでは? と思った現実的なあなたはそのひとを愛していないとは言わないが、その程度の愛であるとは言わざるをえない。まちがいなく、どんなふたりの愛もその程度の愛である。もしその程度の愛ではなく純粋で絶対的な愛であるならいますぐ刺しちがえるか心中するかしているはずだ。「自分を愛するように他人を愛する」とはそういうことだ。他人だけが自分となり、自分がもっとも遠い他人となる。そんなわたしの世界ではもはやただ自分である自分もただ他人である他人も存在しない。カフェでたまたま隣りに座って会話を聞いてしまっただけの女子高生にいますぐそのクラスメートに謝りに行きなさい、そして二度とそんなことはしないようにしなさいと命令するイエスのように、もって三年の命で、テロリストとして十字架にかけられ隣人愛のあらたな始祖として、始祖の更新として祭られることになるだろう。

怒っている相手に、なんでそんなに怒るの? 怒る必要なんてないじゃないのと怒るのもまた愛だろう。けど、怒る必要がないのに怒られているのに怒らないのはなにがあっても愛ではない。別にいいもわるいもない。ただ、そのひとを愛していないだけのことである。愛するために怒ろうと思えば、がんばれば怒れるものではないのは誰もが知るところだろう。怒らずにはいられないからこそあなたはそのひとを愛している。愛は積極的に語ることはできない。怒ることでしか表現できないものであり、それはかならず怒られる他人の顔としてあらわれる。わたしはこうしたい、こうしたくない、だからあなたもこうしなさい、こうするのをよしなさいとわたしたちは思い、思ったように他人に言うのでも強制するのでもない。なぜなら「わたし」は積極的に語ることができない、行為する前に用意することができないものだからである。こうしなさい、こうするのをよしなさいと他人に言う。その「言う」の中にしか、行為の中にしか「わたし」はいない。「わたし」は自分がなにをしたかったのか、なにをしたくなかったのか。なにを善と思いなにを悪と思っているのか。なにを美しいと思いなにを醜いものだと思っているのか。他人に言うことの中でしか、怒ることの中でしか知ることができない。いや、それは知るというより怒ることであり愛することである。

腹が立つのはいつも他人ばかりであるのは他人を自分を愛するように愛せとつねに命令されているのも同然である。その機会は嫌になるほど転がっている。この命令にこたえることがひとを愛することだと言っていい。どんなささいなことでもそうである。腹が立ったことを腹が立ったと、会社の上司に伝えることはもうそれだけで愛である。愛されていると勘違いされたら困ると直感的に思うのはまちがいどころか大正解で、怒ったということはあなたはその上司を愛したのである。わたしたちは多くの時間を、愛しているどころか大嫌いで、死んでもらいたいと思っている人間のことばかり考えて過ごしている。いまどこでなにをしているのか。なにを考えているのか。むしろ恋人のことより、いつもしょっちゅう考えている。こんなとき、合コンで出会って、週末に会ったり会わなかったりするだけの恋人の立場は微妙なんてものではない。なにせ会社の上司とは週に5日、1日に8時間も9時間も顔をつきあわせているのだ、圧倒的な力を持っている。好きであろうが嫌いであろうが、測られるべきはその振幅である。それはつまりそこにどれだけの力がかかっているのか知ることである。隣国が侵攻してきて地上戦に突入した夜、ちょっとおしゃれな居酒屋で合コンが開かれたのであれば、そこで演出された出会いは戦争よりもきっと強い力を持つことになるだろう。愛は積極的に語ることができない。ひとを愛そうと思って愛することができないのは、なにも嫌いになろうと思ってひとを嫌いになるのではないのと同じだ。すべては外からの力によって/において「わたし」の行為は決定させられているからだ。あなたが大嫌いなその上司を愛するのか愛さないのかは賭けられていても、ケンカしたことがないのがちょっとした悩みのその彼氏を愛するのか愛さないのかは、残念ながら賭けられていない。あなたの命は、魂はそんな弱い力に左右されない。なぜその恋人にあなたは腹が立たないのか。生きている限り永遠に自分から逃げられないように、あるいは会社で働いている限りその上司から自由になることができないようにはその恋人にあなたが巻き込まれていないからである。あなたはその恋人から自由だ。だからあなたは愛していない。その恋人を愛する必要がないからである。

隣人愛。それは「自分を愛するように他人を愛する」ことの強制である。選ぶことのできないものを選び、これは自分が望んでいたことであると意志することでその責任をとれという命令である。わたしたちは愛しているからそのひとのことを考えるのではない。そのひとのことを考えずにおれないその限りにおいてそのひとのことを愛しているのである。それは記憶の中にではなく、思い出すという行為の中にしかない愛や怒りと呼ばれる感情である。たとえ目の前にいても「わたし」は愛するそのひとを思い出すことしかできないのである。会うたびに、公共事業の無駄遣いか官僚の渡りの話しかしない(=思い出さない)サラリーマンのその恋人は、やつらだけいつもいい目を見ていると歯ぎしりしている政府や官僚に巻き込まれていても、いま目の前にいるあなたにはいっさい巻き込まれていない(=あなたのことを思い出してはいない)。彼にとっては天下国家という亡霊だけが恋人なのだ。いますぐそこから立ち去ることをすすめる。いや、命令する。そうでなければわたしはあなたに怒ると思う。あなたを愛しているから怒るのではない。怒ることの中にしか、言うこと、あるいは書くこと、いまここでかわされる言葉の中にしか愛は存在しないのだから。

*1:すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある司祭がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」……ルカによる福音書 10 25-37

キャベツのステーキ……野菜炒めの問題と解決

隣りの晩ご飯的なテレビ番組を見ると、かならずと言ってもいいほど登場するキャベツの「野菜炒め」。それを見るたびいつからこんないかにもおいしくなさそうな料理が日本の食卓の定番になってしまったのか考えさせられます。わたしがその全体の指導者なら、頭をかかえると表現してもいいほどの惨状です。しかもそれが都会で一人暮らしを始めた男の子や女の子の手により再生産されて増殖されてゆく。あの「野菜炒め」をわたしなりに考察して、その改善策を提示したいと思います。

発端はおそらく、料理の鉄人として知られる赤坂・四川飯店の陳健一の父親である陳健民が、回鍋肉を日本に紹介するとき、当時もいまも日本のスーパーでは入手しにくい「ニンニクの芽」の代わりにキャベツを採用したことでしょう。あまり知られてないようですが、中国で炒め物としてキャベツが使われることはめったにないようです。英語でChinese Cabbageと呼ばれるように、白菜は意外とよく使われるし、実際炒めてもおいしい。けど白菜はキャベツ以上に水分の多い野菜ですから、家庭で作る野菜炒めの食材としては不向きかもしれません。ならどうすればいいのか。わたしなりの考えを示す前に「野菜炒め」の問題点を少し整理することにします。

問題点1 ごった煮
残り野菜を使った料理というイメージと、野菜をできるだけ食べて欲しいという親心からだと思うのですが、日本の食卓の野菜炒めには、キャベツやらもやしやらニンジン、タマネギと、やたらといろいろな野菜が放り込まれています。これまた和製中華の象徴である「中華丼」のイメージも影響しているのでしょう。なかでも特にいただけないのが、タマネギです。炒め物と言えばタマネギというイメージがなぜか強固に、そして頑固にあるようですが、タマネギは生で食べると辛い分、炒めるとめちゃめちゃ甘くなります。しかもくたくたになる前の、まだ形状がはっきりしている、つるっとしたタマネギには味がつきにくいとくるので、はっきり言って、いいことなんてひとつもありません。たぶん、これは、カレーですね。最初によーく炒めようが、あまり炒めずに具として入れられようが、日本の「カレー」にはかならずタマネギが使われているので(と、ここで、カレー問題も発覚しました)。このように、いろいろな料理のイメージの「ごった煮」として野菜炒めは日本の食卓に登場することになったのでしょう。根は深いです。そしてこれはなにも料理の話に限ったことではない「翻訳」の問題であるような気がします(肉じゃがが、シチューの「翻訳」だったと知ったときは、ほんと驚きました)。

問題点2 べちゃべちゃ、ぱさぱさ
日本の食卓にのぼる野菜炒めがべちゃべちゃしていることはよく知られていることです。もはや諦めの境地と言ってもいいほど、それはいつもべちゃべちゃしていて、食べ終わったさらには大量の水分が残されています。けどむしろ注目して欲しいのは、にもかかわらず肉は、その多くは豚肉ですが、ももだろうが肩肉だろうが、ぱさぱさしていて、かっちかちになっていることです。塩こしょうすらされずに、スーパーの白い容器から直接フライパンに投入されるのですから当然と言えば当然の結果。低温でじっくり、時間をかけて(煮るんじゃなくて)焼かれればどんな高級な肉であってもかならずかたくなります。一般家庭の火力ではこれが限界、本格的な中華を作ることなど無理な要求なのだと思っているひともいるかもしれませんが、そんなことはありません。そもそも日本の一般家庭の火力が「強火」であることが、主婦の手によりその能力を限界まで引き出されることが少ないことをわたしは知っています。いやむしろ、調理器具は立派すぎるほどのものがキッチンにはあるのに、ないのはノリだけ。完成予想図というより、どんな料理を食べたいのか、どう料理を楽しみたいのかという欲望の縮図です。あの店で食べたあの味を、できれば自分の手でつくって子どもに、旦那に、恋人に、友だちに食べてもらいたい、なにより自分が食べたいという外からの力が「料理をする」には必要なのです。

解決策1 シンプルに、使う野菜は基本1種類だけで
キャベツを使うならキャベツだけで、ピーマンを食べたかったらピーマンだけを買うことにして、食べたい野菜と肉の組み合わせだけを楽しむ。たとえ冷蔵庫の中にあまった野菜があったとしても、フライパンの中に放り込まない。そう、あくまでも、ピーマンと牛肉しか使わない野菜炒め、青椒肉絲(チンジャオロースー)のノリで。

解決策2 肉に下味をつける
豚肉に塩こしょうするだけでなく、たとえば、ショウガやにんにくをすったものを入れてお酒と一緒にごま油や片栗粉を入れて揉み込み漬けておくと、それだけで仕上がりが劇的に変化します。焼けばショウガやにんにくの香りがどんどん立つし、片栗粉にコーティングされた豚肉はふっくら、しっとりするし、味もつきやすいのでアクセントになります。全体に同じ味が、同じようについている必要はないどころか、ついていないほうが食べるときにいろいろたのしめるので、味が薄いところと濃いところがあっていいのです。鮭の炊き込みご飯を食べているときの、鮭で塩分が濃いところと、白いご飯の塩分が薄いところを同時にたのしんでいるときのノリというか、口の中のたのしさと同じです。だから中華では、肉にわりとしっかり目の味をつけておきます。そうすれば、言うなら味がつきにくい野菜という「白いご飯」と、わりとしっかり味のついた肉という「おかず」をひとつの皿の中で交互に食べることができます。

解決策3 炒めるのは強火で、あっというまに
思い切って油を多めに入れて、そして強火で、一気に炒める。そして、あらかじめつくっておいた「合わせ調味料」を入れて、一度か二度フライパンを返せばそれで完成。これは中華料理全般に言えることですが、フライパン(中華鍋)を手にしたときにはもう終わり間近というか、勝負はほぼ決まっていて、炒めるというより食材に味を絡ませるだけの行程なのです。だから中華料理のシェフたちは、それだけでは火が通らない野菜は先に湯通ししておくか、油通ししておくのです。下味をつけた肉と、あらかた火の通った野菜の入ったボールを並べて、フライパンにごま油を入れて、強火で熱して、よーいドンです。

以上をふまえて、わたしがおすすめする野菜炒めは、キャベツ「ではない」野菜の野菜炒めです。キャベツは、炒めるのにあまりむいてません。蒸したり煮たり、千切りにしたりちぎったりして生で食べたほうがおいしく食べることができます。ただひとつだけ例外があって、おすすめできる、それも「え?」てくらいおいしい焼くキャベツは「キャベツのステーキ」です。たとえばケンタロウの「キャベツステーキベーコン添え」。わたしはベーコンの代わりに「柔らかタンドリーチキン風フライドチキン」と一緒に食べました。あ、あと、スライスチーズを上にのせています。

「野菜炒め」としておすすめなのは「もやしと豚バラ肉の紅ショウガ炒め」とか「長ネギと豚こまの塩炒め」とか、あと代々木上原の居酒屋でいつも頼む「ナスとピーマンのみそ炒め」とか、高山なおみさんの「ゴーヤーと豚こまの塩炒め」とか、……切りがないほど思いつくので、炒め物にキャベツを使う必要はないと思います。

簡単チリトマトヌードル ……トマト缶のすすめ


すぐにでも作れるものから紹介したいのもあるけど、インスタントのものであっても、ちょっとアレンジを加えるだけでこんなにもおいしく、たのしくなるコツというかノリみたいなものについて書きたいのでひきつづき、ひとりご飯を紹介します。

インスタントの塩ラーメンを使った「簡単チリトマト・ヌードル」です。そうです、あれです。けっこうファンなひとが多い気がするカップヌードルのchili tomatoみたいなラーメンです。じゃあカップヌードルを買えばいいじゃないと言われそうですが、作ることも食べることの一部というか、同じたのしみの中にあると思うので、インスタントじゃなくてペーパーでコーヒーを淹れるくらいのノリで鍋を火にかけて、かるく料理をしてみてください。トマトの酸味がきいていて、見た目よりずっとあっさりしてるので、飲んで帰ったあと小腹がすいたときとかおすすめですよ。写真は1人分のインスタントラーメンを穴熊とふたりで分けて食べたときのものです。



簡単チリトマト・ラーメンの作り方(1人分)
インスタントの塩ラーメン 1袋
トマトの水煮缶のトマト 1個
赤唐辛子 1本
万能ネギ 好きなだけ
煎りゴマ(白) 好きなだけ

 袋に書かれている分量よりちょっとだけ少なめの水を入れて鍋を火にかける。そこへ赤唐辛子を一本そのまま入れて煮る(辛いのが好きなひとは2本でも3本でも)。沸騰したらまな板の上でざく切りにするか手で握りつぶしたトマトの水煮(ホールトマト)を入れて弱火で3分煮込む。
 味を見ながらインスタントラーメンのスープの素を入れてゆく。お好みですが、半分くらい入れればきっとじゅうぶんでしょう。トマトの酸味がスープの素のうまみ成分の代わりに活躍してくれるので全部入れる必要はないはず。味に納得がいったら乾麺を入れて固めに茹でる。
 器にうつして、刻んだ万能ネギと煎りゴマを散らせば完成。

家でトマトソースのパスタを作るか、レシピをちゃんと見ながらインドっぽいカレーを作ったことがあるひととかでなければおそらく買ったことがないであろう「トマトの水煮缶(ホールトマト)」は家に常備しておくことをおすすめします。これからもたびたびこのブログに登場すると思うし。ほんと、いろいろ便利だし、どこのスーパーでも1缶100円から140円くらいで売っているし、なによりわたしは最近のトマトに不満がありました。青い、かたい、水っぽい、そして高い。だから買うのはいつもサラダ用のプチトマトくらいですが、スープやシチューに使うわけにはいかない。で、あるとき思いついたのが、イタリアンでなにかとお世話になっていたトマト缶でした。

トマト缶のトマトは日本のトマトではありません。ポモドーロ[Pomodoro]。ピザやパスタソースに使うイタリアの長細いトマトを使っています。だから日本のメーカーの缶詰である必要はないどころか、イタリア製かスペイン製のトマト缶があればなおさらよしです。缶詰ですから、生野菜よりデキが安定してます。どれを買ってもだいたい赤くて、柔らかくて、濃くて、そして安いです。使わない手はありません。

ラーメンの中にトマト? と思ったひとには少し説明する必要があるかもしれません。中華にはトマトと卵のスープという、どこの中華料理屋さんにもある定番メニューがあります。トマトの酸味とショウガの香りがとってもおいしいスープなのですが、それに麺を入れて、レタスをさっと茹でたチキンスープのトマトラーメンがわたしは好きで、いま高層ビルの中に移転してしまってもう十年以上食べに行ってないのですが、新宿の中央公園と成子坂下のあいだにあった白龍館のトマトタンメンを思い出します。新宿の珈琲屋でバイトをしていたときよく店長に連れて行ってもらっていたのですが、大酒飲みで熊みたいにおおきな体をした店長はかならず豚足も頼んでました。中華料理屋というより定食屋って感じのコンクリートの床で、ひろくて、客が勝手に冷蔵庫から瓶ビールを取って、ひもでぶら下がった栓抜きであけて飲むような店で、厨房のガラスはいつも麺や餃子を茹でるためのおおきな鍋の湯気で曇っていました(ウェブ・サイトを見る限り、その当時の面影は見る影もないようですが、味は変わってないといいなー)。

残りのトマトの水煮はタッパーに入れて冷蔵庫に入れれば五日くらいはもちますが、トマトソースにして保存することをおすすめします。うちではトマトと卵のスープを作るときも、トマトの冷製パスタを作るときもトマトの水煮缶を使います。普通のトマトよりも赤くて柔らかくて、味が濃くて安くておいしいので。

半熟目玉焼き丼 ……とにかく、半熟がやばめ

仕事がら、昼間家にひとりでいることが多いのだけど、おなかがすいた、けどあまり料理に時間をかけたくないときはご飯を炊いて「半熟目玉焼きご飯」にします。穴熊の休日の日はふたりでブランチみたいに食べたりもします。

ポイントは黄身が半熟で、ちょっと贅沢な卵かけご飯みたいになることと、目玉焼きの下にもみ海苔を敷くことです。というのも実はこれ、卵かけご飯のわたしなりの改良版なのです。わたしは生卵の卵かけご飯の白身のずるずるっとした感じがあまり好きではなくて、全部捨てるとさすがにぱさぱさするから黄身と一緒に半分だけ残してご飯の上に落としていたのですが、やはり白身がもったいない。で、焼いてみようと思ったわけだけど、元が卵かけご飯だから黄身がとろっとしている半熟でないと意味がないのです。箸で割るようにご飯とまぜると、醤油が沁みた黄身とご飯のところと、白身だけのところと、白身も黄身もない海苔だけのところができて、シンプルな割りに意外なくらいムラができるのが気に入っています。



半熟目玉焼き丼の作り方(1人分)
ご飯 お茶碗1杯
 1個
焼き海苔 半枚
万能ネギ 好きなだけ
醤油

 ごくごく少量の油をフライパンに垂らす。ほんの一滴。なら入れなければいいじゃないと思うかもしれないけど、入れないと蓋を閉めて蒸し焼きにするときのフライパンの中の温度が上がらないので入れないわけにはいかない、けど入れすぎると水を入れたときばちばち言って怖い、けど目玉焼きのふちをカリっとさせたいので入れる、というか垂らす。
 中強火で熱したフライパンの上の一滴の油の上に卵を割って落とす。五秒か十秒してから水を大さじ1投入してガラスの蓋をする。中弱火にして眺める。すると透明だった卵の白身が外側からだんだん白くなってくる。その白い波が黄身のふちに達した瞬間、迷うことなく火を止める。蓋はしたまま。蒸らしているあいだにご飯をよそって、海苔を揉んで散らす。万能ネギを刻んでなければちょっとだけあわてて刻む。
 半熟になった目玉焼きをご飯の上にのせて、万能ネギを散らす。潰した黄身に染み込ませるように醤油でムラを上手につくりながら食べる。

器はなんでもいいけど、ちいさいほうがなお良しです。というか、器はなんでも、どんな料理でもちいさいほうがいいかも。サイズをちいさくするだけで、あれってくらい気分がおいしくなります。わたしは無印良品の白いどんぶりを使っていて、このサイズより上のサイズがあるけど、断然こっちの、中くらいのサイズがおすすめです。夜食でインスタントラーメンをふたりで1食を分けて食べるときもこのサイズの器を使います。なんでなんだろう。おおきすぎる器は中身を貧相に見せるからかもしれません。

最後の詩

生活について考えることがほかのなににも増しておもしろいのは、水を抜いて水槽の掃除をするみたいに一度なしにするというか、リセットしてから改良したり、工夫をこらしたりすることができないからだと思います。すでにしてつねに始まってしまっているわたしたちの生活はどうあっても、なにがあっても止めることはできない。だからやりながら考え、考えながらやるしかなくて、お風呂に入りながらお風呂掃除をするのが生活の考察&改良の基本で、あるべき姿であるような気がするのです。なんだか手術に似ています。生活はわたしたちの内臓なのかもしれません。

内臓といえば、料理も同じなどころか、かれこれもう二十年近く料理をしていますが、いまだにふとしたとき、いま自分はすごいことを平然としている、世界の中に直接手を突っ込み、切ったり焼いたり煮たりしていると思うときがあります。それはまるきり音楽と同じで、ドラマーのひとがスティックで力いっぱいシンバルを打ち鳴らすみたいに、インドクジャクが猫みたいな声で動物園の空を震わすみたいに、ひとくち大に切って醤油を染み込ませて片栗粉をまぶした鶏の胸肉をフライパンの油の中に入れるとじゅーって言います。たまに家の中で火をつけたりして、なにしてるんだろう、と思ったりします。火と水と包丁の鉄とまな板の木と器の土と、これからも美辞麗句抜きで遊んでいけたら、戦っていけたらいいと、思っています。

すべては同時に、どーっと横一線に並んで流れてゆきます。誰の部屋にも布団があって、姿見の鏡は手の脂で汚れていて、床には毛がたくさん落ちています。だから否定しだしたら、掃除し出したら切りがないのもあるけれど、なんだかそれだけとは思えないくらいどうしようもなくわたしはきれいに片づいて汚れた下着の一枚落ちてない部屋が好きではないのです。世にも奇妙な散文的な暮らし。油まみれのフライパンみたいな音楽。料理はわたしに残された最後の詩なのかもしれません。だからこそ強烈な否定を、理性をともなうレシピが、小説的な技術が必要なのです。もうこれからの人生ずっと、ずっとずっと、わけがわからないまま生きていたいと思っています。生きる必要はもうありません。料理小説を書きたいと思っています。仕事をすることは生きることではありません。死ぬことでもありません。生きるとか死ぬとか関係ないところで息を、呼吸をすることです。

意志と自然の極北

わたしたち人間は意志する。意志しない人間など「人間」と呼ぶに値しないと言われるほどに意志する。つまり意志は人間にとって人間であることのあかしであり根拠である。当たり前だが、意志は自動的ではないし自然に準ずるものでもない。むしろそれに立ち向かい、従わないために行動する。やらないよりはやることを選び、意志によって変えられないものなどないと信じる。それはかならず法(ノモス)という、あらたに準ずるもの、感覚あるいは思考の図式・枠組みとしてあらわれ、わたしたちを自動的にする。つまりはわたしたちの自然(ピュシス)となる。かくしてわたしたちの「意志」と「自然」は、互いの極北*1によって/において互いの中に転落し合う関係になる。関係するのでも関係させられるのでもない、関係「になる」のだ*2

We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us : we made the System.

多くの日本人が惜しみない賛辞を贈った村上春樹エルサレム賞受賞式のスピーチの一節である。彼はあえて"go there"して"do that"した。つまりは多くの反対や警告があったにもかかわらず、いや、あったからこそエルサレムに行き話すことにした、やらないよりやるを選んだという彼の小説家としての「意志」表明でありアンガージュマンである。だがすべての問題は、問うべきことは"The System did not make us : we made the System"という一節にある。

The System did not make us : we made the System.
システムがわたしたちを作ったのではない、わたしたちがシステムを作ったのだ。

違う。端的にわたしがそう表明し、このヒロイックで単純な責任論に、ヒューマニズムに反論するからといって、その逆であると言いたいのではない。

The System made us : we did not made the System.
システムがわたしたちを作ったのだ、わたしたちがシステムを作ったのではなく。

アンチ・ヒューマニズムとしての構造主義的な、ポストモダンと呼ばれた言説の終焉を唱える反動的な者たちが、おそらくそう考えているであろう無責任論、晩年のデリダが多くの時間をさいて反論した「脱構築=非正義」論がこれだが、わたしはもちろん、このどちらもとらない。なぜならもし"The System"と、文字通り大文字で呼ぶべき「自然」があるとするなら、まちがいなくそれは"We"の、わたしたちの「意志」であるはずだし、あるべきだからだ、アンティゴネーの「自然=意志」、掟そして行動のように。よってわたしならこう書く。

The System made us : we made the System.
システムがわたしたちを作った=わたしたちがシステムを作ったのだ。
→システムが作ったわたしたちが作ったシステムが作ったわたしたちが……。

すべてはわたしたち人間という尺度の問題なのだが、そもそも「人間」とは、個々の人間の「意志」つまりは認識のことでもなければ、個々の人間の「自然」つまりは存在のことでもない。なぜなら個々の人間を横断する「意志=自然」こそが「人間」であり、それは言語や無意識と呼ばれるシステムだからだ。単純なヒューマニズムにとらわれた者たちの思考がおかす最大の誤謬は、個々の人間の「意志」あるいは「自然」があるという思い込みである。議論をしているのは個々の人間ではない。個々の人間を、個々に横断している議論の枠組みと枠組みが議論しているのだ。ありとあらゆる分野の言説の蛸壺化が唱えられ、警鐘を鳴らされるようになってひさしいが、そもそもその蛸壺化した個人なるものが存在しないのだから、わたしは危惧もしていなければ憂えもしていない。百歩譲って蛸壺化ししつつあるのだとしても、その無数の蛸壺たちは『マトリックス』の人間電池の装置のようにシステムに横断されているのだから、皮肉なことに蛸壺化など心配するに及ばないのだ、ちゃんといつでもひとつの蛸壺なのだ。わたしたちがシステムの外に出られることなど、わたしたちがわたしたちである限り永遠にない。なぜならシステムとはわたしたち人間のことであり、わたしたちとはシステムのことだからだ。

ヒューマニズムを突き詰めれば、まちがいなくアンチ・ヒューマニズムという絶望に突き当たるだろう。わたしたち人間は言語や宗教や経済というシステム(「自然」)に考えさせられているだけで、なにひとつ考えていないし決めてなどいないのだから責任をとることなど夢のまた夢で、自由(「意志」)などありはしない奴隷であることを知るだろう。かといって、アンチ・ヒューマニズムを突き詰めればまたヒューマニズムという絶望に突き当たるだろう。わたしたち人間は、人間という尺度、言語や宗教や経済というシステム(「意志」)の外で考えることなどできないのだから物それ自体を知ることなど夢のまた夢で、実在(「自然」)など一片たりとも知ることができないことを知るだろう。あるのはただ揺れであり、不安であり、このふたつの絶望という名の極北から極北へ行き交う関係という名の運動だけだ。よってわたしたちが断固とした態度をもって退けるべきなのは、この不安を、運動を否定する単純化=全体化すること、つまりは知ること、知ってしまうことであり、知識にすることだけではないかと最近、そう、最近、ここ数年、いや、ここ数日のわたしは思う。

システムか、わたしたちか。壁か、卵か。この「単純さ」には、ビン=ラーディンを、フセインを殺せば、ターリバーン政権を崩壊させれば、かならずや世界に平和が訪れると信じて行動したアメリカンヒーローの思考に等しいものがある。つまり、同じひとつの存在が「壁=システム」に見えたり「卵=人間」に見えたりすることこそが問題なのだ。そのことに無自覚であることにおいて両者に違いはない*3。断っておくが、サルトルが「単純に」ヒューマニストだったことなど一度も、一瞬もないし、フーコーが「単純に」アンチ・ヒューマニストだったことも、ただの一度も、一瞬もない。彼らは常に揺れていた。現象学の発見から実存主義におおきく振れたあともサルトルが思考することをやめなかったことは、彼の最晩年の仕事(『倫理学ノート』『真理と実存』)の研究*4によって、少しずつだがあきらかになりつつあるし、フーコーに至っては、一貫して自分が構造主義者であることを否定していた*5、あれほど構造主義的な、アンチ・ヒューマニスト的な仕事をしていたのにもかかわらず。いや、おそらく絶望するほどにしていたからこそ。

……福田和也・著『奇妙な廃墟』と、入不二基義・著『相対主義の極北』を読みながら。

相対主義の極北 (ちくま学芸文庫)

相対主義の極北 (ちくま学芸文庫)

“呼びかけ”の経験―サルトルのモラル論

“呼びかけ”の経験―サルトルのモラル論

*1:「絶対的な相対性」浅田彰

*2:これこそが止揚でありかつ脱構築である。もちろん、止揚脱構築は同じではない。違う言葉なのだから、同じであるはずがない。だがわたしは、脱構築ではない止揚になど興味はないし、止揚を「単純に」否定する最終解決策[holocaust]としての脱構築(「私」「いま・ここ」)などあるはずがないしあってはならないと思っている。

*3:わたしには理解しがたい「兵士/一般市民」という区別などまさにこれに相当する。近年のテロルはその区別がつかないことにアメリカをはじめとする西欧諸国は手をこまねいているのはこの詐術が通用しないからだ。いじめの問題も、万引きの問題も、死刑の問題も同じだ。だがそれ以前に、すべての問題は見えにくく、わかりにくいものではないのか。オーケー、これは人間ではない、システムだ、ただちに殺そう、破壊しよう。そうやってユダヤ人はユダヤ資本というシステムとして、少なくともその担い手=兵士として大量殺戮されたのではなかったのか。世界恐慌というシステムの瓦解のあとに。

*4:たとえば澤田直・著『〈呼びかけ〉の経験』人文書院

*5:たとえば「大がかりな習慣」『フーコー・コレクション4 権力・監禁』ちくま文庫所収

パンと友だち

新潮 2009年 04月号 [雑誌]

新潮 2009年 04月号 [雑誌]

「ほら見てごらん、風が吹いて、いま落ち葉がひらひら落ちてきただろ。きみもあんなふうに、夜はベッドの上に、落ちてみるのはどうだろう」

3月7日発売の『新潮 4月号』に、短編小説を発表しました。短編、といっても、七十枚ほど。百枚を超える短編というのも「あり」なのではないかと思うようになりました。なので「短編」と呼ぶことにあまり意味がなくなるかと思いきや、逆に意味を見出しつつあるのが最近の驚きなのです。裏を返せば長編の意味がまったくと言ってもいいほどわからなくなってきたので、二百枚とか三百枚の「短編」に挑戦してみようと思っています。などというと、冗談みたいですけど、これ本気です。いまは短編を書くことで長編/短編という区別を止揚することがわたしの目標なのです。

声の永遠回帰


ずっとむかしから、早逝したミュージシャンや伝説のバンドについて語るのも語られるのが苦手で、なぜかというと、正直、好きなミュージシャンやバンドについて語るひとたちのノリについていけなかったからで、けどそれは、なにもバンドに限った話でないことに最近気づいた。作品についてではなく、せめて作品「から」でもなく、大作家、天才作家を語るひとたち。往年の、いまの作家に憧れるひとたち。そこには作家本人がお互いのことを語り合うことも含まれているのだけれど、要するに、表現を人生に、誰かが誰かとして生きている/いた、たかだか数十年のわずかな期間に還元することでしか語ることができないヒューマニズム[人間中心主義]に取り憑かれたひとたちをわたしはいまでも軽蔑している。

天才の誰々、ではなく、誰々の天才、という言葉を知ったときの喜びをいまでもわたしはおぼえている。たとえば、坂口安吾の天才は、渡辺一夫に「ただこれは坂口さんにお尋ねしたいのですが、『ヒメ』とか『オレ』とか、なぜこんなに片かなを使われるのでしょうか」と『群像』の創作合評で言わしめた破天荒な文体にある、とか。このレトリックがあれば形式について考えることができる。そしてそれは形式である限りにおいて、安吾でなくても実践することができる(=安吾である必要はない)。だから、誰々にしかできないことを、誰々にしかできないからこそ意味があり価値があると興奮しているひとたちの話を聞いたりブログを読んだりすると「馬鹿だな」とわたしは思う。「そのひとが天才だったからそうすることができたのではなく、そうすることができたから天才と呼ばれるようになっただけのことなのに」とわたしは思う。主語と述語が逆転している。ユダヤ人を大量虐殺したから彼はヒトラーとして記憶されたのであって、ヒトラーだからそうしたわけではないのに、同じような原因と結果の履き違えが、誤謬が、人間の進化と発展、さらなる天才の出現を信じて疑わないヒューマニストの中でいまも起きている。

だが、いまのわたしの興味はここにはない。それらすべてのものを、わたしがいまここで書いているような正しさをすべて受け入れ、すべて認めた上でもなお「ヒューマニズム」を標榜する者がいるとしたら、そこにはどんな天才があるのだろうか。『実存主義とは何か』の中で「実存主義とは、ヒューマニズムである」と書いてハイデガーに破門されたころのサルトルはなにを考え、なにを志向していたのか。『作家は行動する』を書いていたころの江藤淳と、『漱石とその時代』を書き継ぎ、やがて『一族再会』へと向かおうとしていたころの"江頭"淳の中でなにが肯定されなにが連続しているのか。ヒューマニストは例外なく、アンチ・ヒューマニズムヒューマニズムの反動と捉える*1。それがヒューマニズムルサンチマンに貫かれた思考であることのわかりやすい、あまりにわかりやすい症例であるのはわかっているが、なぜ命はかけがえのないものなのか、かけがえのないものとアプリオリに思うわたしたちの理性の不思議は残る。かけがえのない命とひとは言うけど、その「かけがえのなさ」が言語や音楽、絵画や映画といった、ありとあらゆる表現の否定であることに、なんでそんな簡単なことに気づかないのか。その「かけがえのなさ」を当たり前のこととして、単純に信じるヒューマニズムには興味がないのは当然だが、いまのわたしは、単純にその「かけがえのなさ」を否定するアンチ・ヒューマニズムにも興味が持てない。入り口はどちらでもいい。突き詰めるか突き詰めないかだけが問われるべきこと。ニヒリズムの完成=絶望の果てに超人を、永遠回帰を見たニーチェのように。

だからといって、いまはもうこの世にいない伝説のミュージシャンであり、三十三歳という若さで死んでしまった彼の、佐藤伸治の声を生で聴くことは二度とできないと思うから、思うと悲しくなるから涙が流れるのではない。わたしには、涙も死も悲しみも同じものに思える。すべては声で、直接的で、雨が降るように近くて遠いものに思える。いまのわたしに言えることは、この声の「かけがえのなさ」は佐藤伸治という人間の「かけがえのなさ」から来るではなく、声の、声というありかたの「かけがえのなさ」から来るものであるということだ。彼は声になったのだ。Fishmansというバンドのボーカルとして、常に声になりつつ、生成しつつあったのだ。そのほかのことはすべて「おまけ」だ。少なくとも、彼にとってはそうだったのだろう。そうでなければ、こんな声になることができるはずがない。彼にとって死は、歌うのに、声になるのに構造的に、アンチ・ヒューマニズム的に(=現象学的に)必要不可欠だったのである*2。声の系譜学こそわたしの興味。この声に乗って、わたしたちはどこへ行こうとしているのか、どこへ連れて行かれようとしているのか。声をカヴァーするのではない、声にカヴァーされているのだ、わたしたちは。わたしたちというつねにしてすでに「新しい人」たちは。

Fishmans + 佐藤伸治 - Walking In The Rhythm

Fishmans + UA - Walking In The Rhythm

Fishmans + 佐藤伸治 - 新しい人

Fishmans + UA - 新しい人

*1:喪失を謳い、嘆き、懐かしむ疎外論的な共同体論は、失われたものを、誇りを、神話の中にしかない「あのころの僕ら」を取り戻すために、やむにやまれず打ち立てられる。

*2:私の死は、〈私〉という語を発するのに構造的に必要不可欠である。私もまた「生きている」ということ、そして私がそれを確信しているということ、そのことは、意-味のおまけとしてついてくるのである。……ジャック・デリダ『声と現象』「根源の代補」訳・林好雄 ちくま学芸文庫 p.216

イグアナの娘

女子にとって、この世界はつねに戦場であるがゆえに、いきおいどうしたって女子の文学は自然主義文学になる。だけど二葉亭四迷の言うところの「有の儘に、だらだらと、牛の涎のやうに書く」ような、ユーモアのない、単なる自己表現であってはならない、これが問題なのだ。そして、なにもそれは「女子」に限らず、ありとあらゆるマイノリティの表現の永遠の課題でもある。とはいえ、マイノリティの表現ではない「表現」などあるはずないので、つまりこれは表現一般の問題なのだ。

言わずと知れたことだが、女子には言いたいことが山ほどある。会社のエレベーターの中でふと耳にした男性社員の言葉にもムカっとするし、テレビなど見ようものなら「女子」である自分を意識している女子を怒らせる場面のダイジェスト版なのではないかと思うくらい「女子」であるのに女子を意識していない(つまりは男子の視線を意識して、男子の要求に常にこたえようといる)女子に違和感をおぼえるし、仕舞にはいつもそんなことばかり考えている自分にだって腹が立つ。のは当然のこととして、問題はその先なのだ。つまり、表現になにができるのか。

漫画やアニメに疎く、さらに少女漫画をまったくと言ってもいいほど読んでこなかったわたしには萩尾望都の『イグアナの娘』はあまりに衝撃的だった。まるで少女漫画の全体、というより全史を、この短編で一気に、ひと呼吸で経験させられたような気がした。そして、なぜこんな途轍もない「少女=漫画」が可能になったのか、わたしたちの前にその姿を現したのか、考えた。いや、これから考えてみる。

漫画やアニメにはいろいろな線がある。それぞれにそれぞれの線があり、それぞれの選択を、描く/描かれるそのつどしている。そして、そうやって描かれた世界にはもはや選択はなく、すべては同じ線で、同じように、同じ風景として(の感情として)描かれている。『よつばと!』の、よつばととーちゃんの住む家のフローリングの床にはゴミはおろか塵ひとつない。とーちゃんのTシャツの皺は実に丁寧に、そのつど描かれているけど、よつばがどんなに大暴れしても、どんなに派手な落書きをしても、壁やテーブルに汚れが残ることはなく、家はいつでも新築そのものだ。その代わりに、あのあまりに見事な「間取り」が現れる。『よつばと!』の本当のコマ割りはこの「間取り」なのだ。ふたりがファミレスに行っても、レンタルビデオ屋に行っても、電車に乗って海に行っても同じだ。海にも「間取り」があることをわたしたちは知る。その代わり、やはりここにもゴミはない。貝殻はあっても、ハングルの商品名が書かれた洗剤のペットボトルが砂浜に打ち上げられているようなことはない。

『思い出ぽろぽろ』を最初見始めたとき、どうして鼻の下にいちいち線を描くのかわからなかったというか、不可解だった。あれは「ほうれい線」と言うらしいが、あの線を描くと、どうしたって老けて見えるから、おそらくまだ二十代の「タエ子」が、四、五十歳くらいのおばさんに見えてしまう/なってしまう。あの線は、思い出の中の母親の顔にも姉たちの顔にもない。けど、見終わるころには、トシオの前で、蔵王のカフェテラスで、おんぼろ車の助手席で、タエ子が表情を変えるたびに、そのつど顔に描かれたあの線こそがこの作品の描きたかったものであることをわたしたちは知る。わたしはこの作品のほかのどの線よりあの線を愛する。「タエ子さんは〜」という「トシオ/柳葉敏郎」の声と同じくらいに。

萩尾望都の作品も含めた『イグアナの娘』以前の「少女漫画」が、その線が、なにを選択し、なにを抑圧してきたのか、わたしにはわからない。けど、少女漫画は、線だけで描かれた白い髪を持つプリンセスのような妹として現れ、屈託のない笑顔で愛嬌を振りまき、常にイグアナの娘の隣りにいて、いちいち比較されているのはわかる。写真や他人の、父親の目を通して見れば、イグアナの娘もちゃんと「少女漫画」をしているのに、つまりはゴミひとつない床であり、皺のない、つるっとした顔であるのに、黒髪のイグアナの娘と、黒髪の母親だけは、互いのゴミや皺だけを、自分の現実だけを、最後の最後まで、いや、そのさらに先まで、最後の先まで、その向こうでもまだ見つめつづける。

これを超越論的思考と言わずになにを「超越論的」と言うのだろうか。当たり前だが、黒人であれ、女性であれ、労働者であれ、マイノリティにはいつも言いたいことが山ほどある。だからいつもこころがざわざわしている。石を投げるなら、すべての道の、すべての石を投げ尽くすまで気はおさまらないはずだ。「萩尾望都」という名の少女は、漫画は、その石を、誰に向けて投げたのだろうか。少なくともその石は「少女」と「漫画」のキャンバスに、自分自身に、もう後戻りすることはできない穴をあけたようだ。象徴界現実界の穴をあけたのだと言いたいのではない。すべてを現実として、描けないものを描き、描かれる意志が、欲望が、線が『イグアナの娘』にはある。

イグアナの娘 (PFコミックス)

イグアナの娘 (PFコミックス)

*母と娘の物語ブックガイド・マンガ篇(編=ヤマダトモコ)の中で紹介されています(ていうか、それでわたしは知りました)。あと、萩尾望都×斎藤環の対談も収録されています。