Naked Cafe

横田創(小説家)

嘘でも言うこと、誰かを思い出すこと

嘘でも言うことが大事なことを知らないひとは、いかに「言う」ことが難しいか、困難なのかを知らないひとだと思う。それを言うなら、本当のことを言うことがいかに難しいか、その困難の中にこそ「言う」ことへの抵抗やの困難があるのでは? そう思うひともいるでしょう。それで言えば「嘘でも言う」の「言う」には、言うの「本当のこと」が潜在していると思う。そして逆ギレみたいな「実はあのときオレは」とか「むかしからわたしはあなたのことが嫌いで」みたいなものではない「本当のことを言う」があるとしたら、きっとそれは、いまわたしがここで言おうとしている「嘘で言う」ことと同じ地平にあり、同じ倫理に、実践に貫かれた行為であると思う。わたしたちは、本当に、言うべきなのです。全身で、全魂をもって、言うべきなのです。言うことは「本当のこと」を表象する二次的なものではなく、「言う」という行為そのものであり、食べたり歩いたり見たり聞いたりすることと同じ「すること」なのですから。

かく言うわたしも、いや、このわたしこそ「嘘でも言う」のが苦手で、上記の前者みたいな意味での「本当のこと」をぽろりと言ってしまったり、顔に出してしまったりすることが多くて、嘘でも「嘘でも言うこと」ができたことなどないと思うほどです。ついこのあいだも、一緒に(とはつまり、一緒の部屋で、家で)暮らしているひとが先に家を出て、カフェで絵を描いたり、本を読んだりしているところにあとから合流したことがあって、そのカフェに向かう途中で、ふと『蟲師』の10巻が発売されていたことを思い出して、駅前のちいさな本屋に入りました。そして平積みにされているそれを見つけて、手に取り、レジに向かおうとしたとき、頭をよぎると言うにはあまりに長い時間、下に書くような言葉をわたしは生きていました。

「確かきのうかおととい『蟲師』が発売されたこと、それが最終巻であることを言ったよな。てことは、家を出てカフェに向かう前に、すでにサヤカが買っているかもしれない。いや、それはない。なぜならそれは前に、同じ雑誌や本を買うようなことがないよう買ったときはメールするなりして相手に知らせることを決めたのだから、その連絡がないということは、買ってないということだ。けど、連絡し忘れた、もしくは連絡するのが遅れた、まだ連絡していないだけで、すでに買ってしまっているかもしれない。とすれば、わたしはどうするべきか。買って(かぶって)後悔するのか、買わずに(カフェで手元になくて)後悔するのか、そのどちらかを選ぶべきだ。さあ、どっちだ。どっちをおまえは選ぶ? きょうの、いまのわたしにとっての『蟲師』は俄然前者だ。つまりは買ってかぶっても惜しくない。だとすれば、もしそう決断して買ったのだとすれば、たとえ手に入れたそれを手にしてカフェに行き、サヤカが『蟲師』をすでに買っていた、読んでいたとしても後悔を匂わすようなことは自分の責任において言うべきではないし、嘘でも『あら、買ってたの』くらいのことを言うべきで、笑って済ませて、なにごともなかったように、ふたり並んで『蟲師』を読み始めるべきだ。うん、そうしよう。前にもそういうことがあったときはできなかったけど、今度こそ、そう、今度こそそうしよう。いや、そうすることができると、いまここで誓うことができるなら買うことを自分にゆるそう。言えるか? 言える。嘘でも言えるか? 言える。いや、言う。なにがなんでもそう言う。よし、なら買おう」と思って買って、初台のオペラシティの下のエクセルシオールカフェに入ると、奥の中庭を見下ろすカウンター席で彼女は案の定、案の定と言うにはあまりに案の定の案の定、読んでいました、いまわたしが右手に持っている『蟲師』の10巻を、最終巻を。そしてわたしは色濃い、あまりに色濃い落胆の色を顔の全面に出しながら「だと思った。いや、ほんと、思ったんだよ、買ってるんじゃないかって」と全身で「本当のこと」を言ってしまったのみならず、前述の約束のことさえ口にしたのです。「確か決めたよね、雑誌とか本を買ったとき、かぶらないよう連絡し合おうって」

彼女はそういうことを言われても気にしないことができるひとなので、ことはそれで済みました(と、わたしが勝手に思っているだけで、彼女の中では済んでいない可能性はもちろんありますが、そうは言われていないので、わたしにはわかるもわからないもないのです)が、済まないのはわたしのこころ、わたしとわたしの契約であり約束です。わたしはものの見事にわたしとの約束を、契約を反故にした。あれほど言ったのに後悔の念を匂わすどころか露骨に表した、嫌な顔をした。嘘でも「あら、買ってたの」くらいのことが言えなかった。後悔の念を全面に表すどころか、彼女を責めるようなため息をついてから、とってつけたように「でもいいよね、こうしてふたり同時に読めたんだから」などと口にした。情けない、なんて情けない魂なんだ、虫の息のような行為なんだ。

わたしの言う、嘘でも(本当に=実際に)言うことが大事、とはそういう意味です。思い当たるひとも多いかと思う。けど、わたしほど思い当たるひとはいないのではないかと思う。10巻の中では、いや、全巻通しても1位と言いたくなるほど「香る闇」が好きです。わたしは雨の音を聴くと、いつもなにかを思い出しそうになります。

蟲師(10) (アフタヌーンKC)

蟲師(10) (アフタヌーンKC)

9巻の「壷天の星」や、6巻の「天辺の糸」、5巻の「暁の蛇」、4巻の「虚繭取り」といった、たぶんほかにも、この漫画の中にはたくさんあるどころか、もしかしたらすべての話がそうであるかもしれない、不在と付き合い、いまここにあるすべてのものの喪に服し、いつも誰かを、そしてなにかを思い出すという行為が、生きるが、言うが描かれている作品がわたしは好きです。

『天辺の糸 A String in the Sky』……この話の中で執り行われる結婚式のほかに「美しい」と躊躇なく口にすることができる結婚式をわたしは知りません。なぜならこれはふたりが永遠に結婚しないことを誓うための葬式のような結婚式であり、描かれているのは互いに互いの喪に服し、縁側で星を一緒に眺めるような、魂の、ごくごく普通の生活なのですから。ギンコの言う「受け入れる」という言葉を、わたしはそんなふうに解釈しています。