Naked Cafe

横田創(小説家)

エリカについて/小野絵里華

絵里華のすること。やること(書くこと)にはいつも作為[Art]がある。たぶん本人はSFだと思っている(SFではない)。天然。自然。自由。奔放。鹿が新芽を食べる。むしゃむしゃ食べる。脱いだストッキングがまるまっている。夜中に台所で言いたい放題。言いたかったことではなくて。言いたいことを言いたいときに言いたいように言っている。ように見える彼女の親友になったつもりのあなたの目は節穴だ。すでにエリカに盗まれている(詩にされている)。

ひっさしぶりに鉛筆を握ったあの子は、
大の仲良し大親
けれどもなんということか
私は絵華になっている
おおワタシはこのさい絵華である
構わないのよ本当に
絵里子だって真里子だって何だっていいじゃないの(「エリカについて」)

絵里華はエリカに興味がない。蹴っ飛ばした石の行き先ほどの興味もない。そんなものは羽を毟り取られた鶏の肉か口からこぼれたパン屑だ。絵里華は「絵の上手な里に生まれた華やかな子」*1。絵里華はエリカを他人がどのように調理するかを見ていたい。他人の手により盛られた自分をこれが自分なのだと言ってのける。その覚悟だけで絵里華はエリカについて朝まで語る。それが彼女の死だ。詩に見えますか。そうですか。ならそうなのかもしれませんね。メニューにないものでもなんでも注文してくださいな。絵里華の開いた料理店のメニューにはエリカ(胃痛)しかないことに気づいた客はがたがた震え、泣き始める。泣いて泣いて泣いて泣いたあとエリカの菓子折り(胃痛)を持たされ、追い出される。

私はエゴイストなので、彼を見捨てて、もちろん、見捨てて、私の中には痛みしかなく、胃痛しかなく、私はもはやこのさい、胃袋で、祈りを込めている、かみさまかみさま、いがいたいいがいたい、いがいたい、胃袋の祈りは到底間に合わない、間に合わなくて夜は明けてしまうよ、早く伝えなきゃ、早く胃痛を伝えなきゃ、私はどこにいったらいいの、胃薬を求めて、失われし過去を求めて、失われてなんかいないわよ、現に私はいまいまこのとき、胃痛できりきりまいして、本当にきりきりぐにゃりキキキとなっているんだから、ね、おお、私は早く、胃薬を探さなきゃ、足は、裸足の足は、ひんやりと冷えて、土を踏んで、泥に触れて、時おり、草にささって血も流れる、けれどそんなのは痛みじゃないわ、と私は、不安症の私も、やっぱり根性を見せる、進む、森に進む、とりあえず進んでみるのは、いい考えだと思う。(「胃痛の夜」)

絵里華に見捨てられた人間にしかエリカを思い出すことはできない。絵里華をわかった気になりエリカの思い出話をする馬鹿な人間たちの馬鹿なところが愛おしい。愛おしくて愛おしくて胃痛の娘は自分でもよくわからないものをまた書いてしまう。書けたらなんとなく意味があり価値があるように思えてくる。泣けてくる。夜中に音だけの雪が降る。人工[Art]の岩場に本物の雪が積もった。まっ白な檻の中で小躍りしている。多摩動物公園ユキヒョウだけが彼女のいろんな気持ち(胃が痛い)を知っている。いろんな気持ち(胃が痛い)がいろんな気持ち(胃が痛い)のまま全部が全部本当の気持ち(胃が痛い)であるのを知っている。

絵里華についてわたしが知っている二、三十億の事柄。知れば知るほど知ることのできないエリカの本当。絵里華のことを本気で好きになる覚悟がないなら手に取らないで欲しい。読まないでください。ほめるな危険。死ね。甦れ。捨てられるくらいなら捨てる。喜んで捨てる。エリカの孤独を思い知れ。

sayusha.com

*1:初めましての彼女のあいさつ(自己紹介)はこれだった。