Naked Cafe

横田創(小説家)

自動音楽[バロック・ミュージック]


携帯電話で話すひとの声は、なぜあれほどまでに気になるのか、うるさいと思うのか。誰もが一度は考えたことがあるそんなことを、しつこくわたしは考えてきた。カフェで話しているのは、携帯電話で話しているその子あるいはそのおっさんだけではないというのに、ほかにもたくさんの声があり、話す相手が目の前にいるにしろいないにしろ誰かと話していることに変わりないというのに、なぜかその声だけが浮いたように気になる「携帯電話で話すひとの声」の秘密。たまたま同じカフェに居合わせた見ず知らずの他人であるのに他人であるままいさせてくれない言語の自動性。見ず知らずの他人の話す他人の代わりに話を聞いているわたしは見ず知らずのわたしで、すでに他人だ。すなわち第三者であるわたしにもわかる暗号で話すスパイがそこかしこにいるこのカフェのほうがどうかしていると言わざるをえない。コミュニケーションがうまくとれないことよりも、とれることのほうが不思議でならない、そんな気分にさせられる。などといまここに書くわたしは、言うなら、いまこれを読んでいるあなたと文字という名の守秘回線によってスパイ活動をしている工作員なのである。インターネットでなにをこそこそ見ているのかと気になり、パソコンの、あるいは携帯電話の画面を覗き込もうとしている恋人があなたの隣りにいるかもしれない。

それとは逆に、ビルや鉄道、高速道路に囲まれたちいさいおうちのように自分より頭ひとつ出たところで目配せし合う外国のひとびとに、わたしもこんにちはもさよならも愛しているもわからない外国語でなにやらひそひそ話をされているときはどうだろう。なにを話しているのかさっぱりわからないからこそ自分のことを話しているに違いない、いや絶対そうだ、そうに決まっていると思うかもしれない。そのなんとも言えない居心地の悪さの中に言語の自動性がある。意味と呼ばれるなにかがそこで作動している。たとえ母国語でも、話すたびに一から作り直しているわけではないどころか、そもそもわたしたちは、自分の意志で話をしてなどいない。言葉を話しているのではなく、まるで機械のように言葉に話をさせられ聞かされ意味の開けにさらされている。なるほどそうかと頷き、あるいはそうではないと首を振る。わたしたち自動人形は、誰でもいつでも声の化身だ。わたしもこんにちはもさよならも愛している知っている振りをして生きる。わけもわからないまま読み進めるミステリ小説を読んでいるときと同じ心持ちで、みずからの意志でみずからの意志を放棄し、この先どんな風景が見えてくるのかと目をこらし耳をすませる。そういえば『呪怨』は、あの世にも怖ろしい恐怖汚染の始まりは、とある高校の校舎の入り口に落ちていた、とある携帯電話を、とある女子高生が拾うことから始まるのだった。とある、とある、とあると登場する、なにも知らない自動人形たちによって、どことなく別荘を思わせる無国籍風の、とある一戸建て住宅の同じ風景の上に別の風景が同じ風景として(それこそが幽霊!)折り畳まれ上書きされ別名で保存される。物語のつづきが気になるのは、最初からなにかのつづきだったからだ。

表現すること/されることは、いまここで言うところの或る種の自動性に参加することである。スピノザにとってこの世界は、思惟であれ延長であれ、精神であれ物であれ神の表現であり自然の為せる技であることに変わりないのはそのためである。表現することは、なにかを作ることではない。一からやり直すにしても、一度目ではない。すでにそれはそこにあり、それはそれとして自動的に機械のように作動しているものを、出来事を身体として、あるいは精神として同時に表現し/されたものである。さて、携帯電話で話すひとの声である。それは剥き出しの自動性であり、誰も彼も、彼女も僕もきみもわたしもない、つまりは人称を無にする衝動、欲望そのものである。なぜなら声は言葉の運動、意味と呼ばれる実体であると同時に言葉としてわたしたち知覚される思惟と延長(精神と身体)という属性を同時に持つものであり、その様態として、ふとわたしたちは顔をあげ、居住まいを正し、首をまわして肩の凝りをほぐしながら、あれやこれやとあることないこと考える遠い目をして、注文カウンターの横の、男女それぞれひとつしかないトイレが空くのを待つあいだひそかに姿の見えない見知らぬ誰かの携帯電話で話す声を聞いている。なのにわたしたちは自分の意志で、精神の力によって/において自由に(とはつまり自己原因的に)行為していると根強く思い込みつづけるのはひとえに「身体が何をなしうるかをこれまでまだ誰も規定しなかったからである」とスピノザは言う。

このようにして、幼児は自由に乳を欲求すると信じ、怒った小児は自由に復讐を欲すると信じ、臆病者は自由に逃亡すると信ずる。次に酩酊者は、あとで酔いが醒めた時黙っていればよかったと思うようなことをその時は精神の自由な決意に従って話すと信ずる。同時に、狂人・おしゃべり女・小児その他この種の多くの者は、実は自分のもつ話したいという本能を抑えきれないで話すのに、精神の自由決意から話すと信じている。これで見れば、経験そのものも理性に劣らず明瞭に、人間は自分の行動を意識しているが自分をそれへと決定する原因は知らぬゆえに自分を自由だと信じているということを教えてくれる。それからまた精神の決意とは衝動そのものにほかならず、したがって精神の決意は身体の状態と異なるのに従って異なるということを教えてくれる。各人は自分の感情に基づいて一切を律し、さらに相反する感情に捉われる者は自分が何を欲したらいいのかを知らず、また何の感情にも捉われない者はわずかのはずみによってもこっちに動かされあっちに動かされするからである。
以上すべてからきわめて明瞭に次のことが分かる。それは精神の決意ないし衝動と身体の決定とは本性上同時に在り、あるいはむしろ一にして同一物なのであって、この同一物が思惟の属性のもとで見られ・思惟の属性によって説明される時、我々はこれを決意[デクレトウム]と呼び、延長の属性のもとで見られ・運動と静止の法則から導き出される時、我々はこれを決定[デテルミナテイオ]と呼ぶということである。(スピノザ『エチカ』第三部 感情の起源および本性について 定理二 備考 岩波文庫上巻p.174 訳・畠中尚志)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

携帯電話で話すひとの声。それは、わたしのなかにはわたしはいない、あなたもいない、わたしのなかよりもなかにはわたしでもあなたでもない複数の顔を持たないものたちが、たとえばきのう、とあるカフェ(ていうか、渋谷のドンキホーテの隣りのフレッシュネスバーガー)では見知らぬギャルがソファの上で膝を抱えて手をたたき、大口をあけ馬鹿話をしていることを教えてくれる。また別の日、別のカフェ(ていうか、代々木八幡のフレッシュネスバーガー)では、全身これア・ベイシング・エイプに身を包んだおにいちゃんが脱いで左手にすぽっとはめた真新しいアディダスのスニーカーを紙ナプキンで磨きながら携帯電話を右耳と右肩のあいだに挟んで「あ、ほんと、ほんと、あ、そうなんだ、そうなんだ」と上擦った声をループさせながら、今夜クラブには誰が来るのか来ないのか、気でも違ったのではないかと心配になるほど何度も何度も確認している。いまここで不協和な音たちも、その背後では協和する音を、友だちとかいつもの仲間とか家族と呼ばれる和音を束で抱えて生きている。自動音楽[バロック・ミュージック]。携帯電話で話すひとの声でない、いまここで目の前にいる者同士話をしている声も、目には見えない携帯電話でつねに誰かと話をしている。対位法[カウンター・ポイント]。カフェの音楽の技法。きのうわたしは代々木上原のサンマルク・カフェの喫煙席で、新聞に載るような事件を起こしてしまった次男から電話があったんだけど、ちょうどそこへ救急車が通りかかって、え、聞こえない、もっとおおきな声で話してと話してもうまく聞き取れなくて、いらいらしている感じになっちゃったからかしら、ろくに話しもできないまま切られてしまった、携帯電話って嫌ねと一方的に旦那に話しつづける、ちょうどわたしの母親と同じくらいの年齢の女性の話のつづきを聞きながら読んでいた高村薫の『マークスの山』の刑事・合田雄一郎がひとり夜中に風呂場で白いスニーカーを磨いているのを見ていた。原宿のほうから滑り込んできた千代田線が頭の上を通過する。向かいのテーブルでは、おおともさんが、おおともさんがと、大友良英と知り合いであるのが自慢の男の話を、背を見ただけでは聞いているのかいないのかわからぬ男が、ぺぺん、ぺぺんとさっきから左の靴底を床に打ち鳴らしている。怪訝な顔してそれを見ていた若白髪の、縁なし眼鏡を掛けた男と不覚にも目が合う。新聞に載るような事件を起こした(らしい)次男の両親は、いまは光が丘にあるスーパー銭湯「おふろの王様」まで車で出掛けるか、幡ヶ谷にある普通の銭湯で済ませるかどうかの話し合いをしている。どうやら今夜長男一家が東北の、とある被災地から避難してくるみたいだ。わたしは小説の構想めいたものをメモするためオレンジ色のポメラを開く。自由間接話法とは隣人愛の技法である。

動物であれ人間であれ、その身体をそれぞれがとりうる情動群から規定してゆこうとした研究にもとづいて、今日エトロジー[動物行動学、生態学]と呼ばれるものは築かれてきた。それは動物にも私たち人間にもそのまま通用する。とりうる情動を誰もあらかじめ知りはしないからだ。[…]たとえばある動物についてなら、その動物が、無限の世界のなかで何にかかわらないか、何に対して正または負の反応を示すか、どんなものがその食物となるか、どんなものが毒となるか、それは、何を自分の世界に「とらえる」か。どんな音符も、それと対位法の関係をなす音符をもつ。植物と雨、クモとハエというように。すなわち、どんな動物も、どんなものも、それが世界と結ぶ関係を離れては存在しない。(ジル・ドゥルーズスピノザ 実践の哲学』第六章 スピノザと私たち 訳・鈴木雅大)

スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))

スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))




マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(上) (講談社文庫)

s(o)un(d)beams

s(o)un(d)beams

存在論的なまどろみの中で〜『天使の囀り』を読む〜

いま、シーズン1から、ドラマの『相棒』を観ながら、その卓越した構成を、杉下右京言うところの「動機」を軸にした図にして分析しています。これが気味が悪いほど楽しい。たとえば、シーズン2第14話「氷女」の図はこんな感じです。

"凍死事故"=凍死事件←(動機)過去の凍死事故←「夫」の左遷←セクハラ冤罪←会社の出世争い

"○○"は「事件」の最初の様相です。この第14話のように事故として処理されようとしていたとしても「事故として処理されようとしていた」ことそのものを事件化する(=問題にする)ことではじめて捜査は開始されるという意味で、事故か事件かは事後的に、当事者ではない者たち、第三者によって決められる。第14話「氷女」でいえば凍死「事故」として捜査一課は処理しようとしていた。だが「凍死した死体の心臓まで凍っていた」という検死結果と「まだ彼は生きていたように見えた」という証言に違和感をおぼえた特命係のふたりは捜査し始める。気をつけなければならないのは、杉下右京の言う、そしておそらく考えているところの「動機」という言葉の射程のひろさであり、その深さです。極めて物理的かつ合理的に彼は「動機」を考えている。それは「凍死した死体の心臓まで凍っていた」のはなぜなのか、の「なぜ」であり、なにが凍死した死体の心臓を凍らせたのかの「なに」であり、さらに言えば「なぜ」よりも「なにが」に重みを置くところ(=構造主義的な思考)に杉下右京の天才はあります。右京にとって「動機」とは、不確かなひとの気持ちなどではなく、むしろ確かすぎるほど確かなこの世界の気持ちとしての存在(ハイデガー)、その構造と力のことなのです。

わたしはこの(「この」の後に、どんな名前も入れることのできない)力のことを『ユリイカ 特集*貴志祐介』に寄稿したエセーの中で「構造」と書きました。日本語で書く、実にたくさんのひとが「構成」を「構造」と書く取り違え、あるいは混同をおかしているようにわたしには見えるのですが(ニーチェなら、原因と結果を取り違えていると書くでしょう)、それこそまさに「動機」を見ずに「凍死」と断定し捜査を打ち切ろうとする『相棒』の警視庁捜査一課のひとたちと同じです。目に見えるもの=構成されたものから目に見えないもの=構造へ遡行する意志を、批評=空間を、距離を持たず、原因と結果という二項の、もはや関係と呼ぶことのできない関係、取り結び、癒着のみで処理しようとする者たちの思考に穴を穿ち(再)捜査するきっかけになる「ささいなこと」をいつも「違和感」と杉下右京は表象する。第14話「氷女」で言えば、酔っぱらって(原因)凍死した(結果)というように。当然ですが、結果と言えばすべては結果なのです。原因であると見るならすべては原因で、なにかを「なにか」として見つめるわたしたちの思考はどこまでも遡らざるをえない。原因の原因の原因の原因の……の原因という「原-原因」という「結果」の現前、その風景(「氷女」の夫への愛)が、優れたミステリの「トリック」と呼ばれるものの正体、図そのものではないでしょうか。

探偵という語り手によってはじめて現れる、語られる風景。ミステリと呼ばれるジャンルの門外漢だったわたしもいまやこの風景を愛する者のひとりです。それは上に書いたような図をひとり眺める者の視線でありその自由です。より自由に語るためにはきっと語り手や語り口の手や口が邪魔になる。そしてもはやなにものでもない「語り」そのものになる。やはりわたしは谷崎潤一郎の「母を恋ふる記」を思い出しています。「母」の現前というこの小説の結果を、つまりは最後の最後に見えてくる風景を原因と取り違えている谷崎の研究者たちは『相棒』の捜査一課のひとたちに似ている気がします。元捜査一課の特命係にしか立ち合うことのできない、誰もいない風景こそ小説、あるいはブランショが物語[レシ]と呼んだものなのではないのか。オデュッセイアユリシーズの瞳は、この世界をいつでも事件後の世界として見る/見つめられることで思索(=詩作)を始める。テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』をミステリ映画として観る視線がわたしたちには必要なのではないでしょうか。

ところで、あらゆるものに先立って「存在している」ものは、存在である。思索というものは、その存在の、人間の本質に対する関わりを、実らせ達成するのである。思索は、この関わりを、作り出したり、惹き起こしたりするのではない。思索は、この関わりを、ただ、存在から思索自身へと委ねられた事柄として、存在に対して、捧げ提供するだけなのである。この差し出し提出する働きの大切な点は、思索において、存在が言葉となってくる、ということのうちに存している。言葉は、存在の家なのである。言葉による住まいのうちに、人間は住むのである。思索する者たちと詩作する者たちが、この住まいの番人たちである。[…]思索は、そこからなんらかの結果が出てくるとか、あるいは思索が適用されるとかいうことによって初めて、行動になるのではない。思索は、みずからが思索することによって、行為しているのである。この行為は、おそらく、最も単純でありながら同時に最高のものである。なぜなら、それは、存在の人間への関係に関係するからである。(マルティン・ハイデガー『「ヒューマニズム」について』渡邊二郎・訳)

「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡 (ちくま学芸文庫)

「ヒューマニズム」について―パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡 (ちくま学芸文庫)

天使の囀り (角川ホラー文庫)

天使の囀り (角川ホラー文庫)

トンちゃんをお願い

すばる 2011年 03月号 [雑誌]

すばる 2011年 03月号 [雑誌]

ひとりで生きていけるなら、お金なんていらなかった。いま自分が生きてゆくために最低限必要な三万円ですらきっと必要なかった。語学のクラスでゆうなと出会わなければ、サークルにだって入りきらなかったかもしれない。かもしれないならいくらでも考えることができた。考えるだけならタダだから、いつもそんなことばかりひとりで考えていた。

2月5日発売の文芸誌『すばる 3月号』に新しい小説を発表しました。トンちゃんをお願い。トンちゃん「に」お願いでも、トンちゃん「の」お願いでもなくて、トンちゃん「を」お願い。……といま(この小説の文体について、この小説を書き終えた時点で自分なりに書いて考えた)告知を書き直しています。というか、いつもしょっちゅうわたしはブログの記事を書き直しています。

担当に渡す前から、そして渡したあとも、何度も何度も書き直すことで、この小説はこの小説になりました。書き直す度に小説は仮死状態になります。仮死と仮死のあいだにあるのが小説の「生」で、生きるで、自分で自分を書き直すとき小説が小説になるのは知るよりも早く経験してきました。きっと「トンちゃん」も同じです。トンちゃんがトンちゃんでないものになるとき(=トンちゃんをトンちゃんでないものがトンちゃんにするとき!)はじめてトンちゃんは「トンちゃん」を生きることになるのでしょう。

学童保育に毎日夜遅くまで預けられ、母親が迎えに来るのを、庭のまん中にあるケヤキの縦に流れる枝と枝のあいだをこぼれ落ちるように沈んでゆく夕日を眺めながら待っていたころからトンちゃんは、ひとりで過ごすのは嫌いじゃなかった。むしろ好きなくらいで、母親が迎えに来るのが少し遅くなっただけでぎゃーぎゃー泣き叫ぶ他の子供のようには泣いたことなど一度もなかった。ただときどき自分でも、いまなぜ泣くのかわからぬタイミングで涙が流れた。

だからお願い。トンちゃんをお願い。トンちゃんはトンちゃんひとりきりしかいないからこそ、トンちゃんでないすべてのひとに、ものに、いや、ひとやものですらないものにこそ、トンちゃんをお願い。

ただなかで、その傍らで

ユリイカ1月号 特集*ジャン・ジュネ "悪"の光源・生誕一〇〇年記念特集』にエセーを発表しました。どんな読書もそうであるように、ジュネとわたしの関係も私的です。ジュネと随分長いあいだ格闘してきました。それを直接書ければいいに越したことはないのだけれど、いまもやはり格闘中で、思いはつのるばかりで複雑怪奇なので、あくまでもその途中経過として「ただなかで、その傍らで」ジュネについて書かせてもらいました。わたしは登場しません。わたしはジュネの「ただなかで、その傍らで」立ちつくしていました。

思えばジュネのように、わたしにとって重要な作家がほかにも幾人かいます。いや、幾人もと書くべきなのかもしれません。ひとりいるだけでも身に余るほどの作家とのそれぞれの関係の「ただなかで、その傍らで」わたしは仕事をしてきました/まだなにも仕事をしていません。ジュネをやるならジュネ以外のすべての作家との関係を捨てなければジュネをやることはできません。ドストエフスキーもまた然りです。ピンチョンもカフカもまた然りです。ジュリアン・バーンズと別れて最近ほっとしたところです。最初に断った通り、もちろんこれは私的なことです。ジョイスとは、よくわからないまま疎遠になりました。ピンチョンは、こっちから振ってやったくらいの気持ちでいます。そうやって英米文学から遠ざかってゆくのかと思った矢先に谷崎潤一郎の大正期の作品群となって不意にわたしの前に現れたのは五年前のことでした。いまは富岡多恵子の短編小説と毎日のように言葉のやりとりをしています。パヴェーゼは、チェーザレパヴェーゼのことは一度も他人のことと思ったことも感じたこともありません。

アラビア語に翻訳されることは決してなく、フランス人にも、どんなヨーロッパ人にも読まれることはなく、それでも、それを承知で私は書いているのだとすると、この本はいったい誰に向かって語りかけているのだろう。……ジャン・ジュネ『恋する虜』鵜飼哲・訳

ジュネはこの長大な回想を書きながら幾重にも回想しつづけていたことが、この回想の「ただなかで、その傍らで」震えるように聞こえてくるこの嘆息にも似た叫び声から伝わってきます。ジュネはつねに自分の仕事の「ただなかで、その傍らで」仕事をしていました。すでにして反省し回想していたのがジュネの仕事です。そしてそれこそが文学をする、文学を反復する、何度でも文学を生き直すことなのだとわたしに教えてくれました。「いったい誰に向かって語りかけているのだろう」というこの叫びの激しさ、その深さはすべての文字を、すでに書かれたものを消し去るほどの強さを、純粋に暴力的な、極々々々……私的な関係を、経験を、秘密を持っています。どうかわたしが「言おうとしないことを許してください……」*1。わたしには書くことしか、秘密を守ることしかできないのです。

*1:ジャック・デリダ『死を与える』廣瀬浩司 林好雄・訳

新しい時間

鏡を割っても割っても、小さな破片のなかに空が映っている。巣のないツバメ、もちろん聞きおぼえのない女の叫び、今シャッターを閉めたのか開けたのか、朝なのか夕方なのか、姿の見えない救急車は病人を迎えに行くところなのか搬送するところなのか。モンマルトルの墓地に居並ぶ小さな教会のような霊廟は、死者を忘れぬ記憶ではない。死者だけが記憶なのだ。墓前で枯れてゆく生け花も、十字架をかたどった墓石に咲いた陶器のバラも、周期が少し違うだけで、それぞれがそれぞれのリズムで、思い思いの死のなかにいる。自分自身を記憶として、記憶自身として、いつまでも青い夏の夕暮れのなかを漂っている。霊廟の扉に、背に、その壁に、美しく描かれたステンドグラスの彩りのなかにではなく、射し込む光を困惑させるガラスの歪みや、欠損、変色、破れた扉から吹き込む枯葉や紙屑、汚れきったマリアの像だけが、墓石に刻まれた人間の名とともに地上の音楽を奏でつづける。生前も死後も変わらぬ心優しき悲惨のなかで。
ここがパリのアパルトマンの八階でなくても、それはどこでも同じこと。いつでもこの世界は持ち主の分からぬ記憶と記憶が永遠の夜のなかで語り合うカフェなのだ。
誰を記憶するでもなく、誰に記憶されるでもなく、自分自身を記憶する光の情景。私たちが記憶と呼ぶもの、それは単なる記憶の記憶で、記憶の痕跡に過ぎない。記憶にラベルをつけて整理整頓し、お行儀良く過去から未来へ一直線に並べ直すことがもし記憶であるなら、世界は何と貧弱で頼りなく、暗く悲しいものだろう。忘却。記憶の本当の名前。光り輝く彼だけがこの世界を愛しつづける。
午前七時にセットした目覚まし時計が鳴り響き、甘い夢から、つらい夢から、目覚めたと思い込んでいるだけで、私たちは再び覚めることのない夢を見始めている。永遠の目覚めのなかで記憶を真っ白にする。まるで読書をするように。あんなに興奮しながら読んだはずなのに忘れてしまった自分の記憶力のなさを嘆くのは、忘れてしまった夢を本気で悔しがる偽小説家と同じくらい滑稽なのだ。また読めばいい。書けばいい。言葉という記憶は最初から最後までそうした行為のなかにしかない、一瞬の、そして永遠の、忘却なのだから。
忘れることでしか、何かをすることでしか、私たちはその〈何か〉を思い出せない。それが私たちという千の身振りの蠢く場所のない空間、身体なのだ。私たちが「生きる」と呼んでいるものこそ忘却の時間。自分自身が生まれたときから遠い昔の誰かの記憶であり、これから会うこともない未来の誰かの記憶であることを、私たちは知らない。知らないだけで本当は何もかもが今ここにある。私たちが今食べているパンとワインは、旧約聖書という記憶のなかで食べていたパンやワインと、新約聖書など読んだこともない記憶が食べているパンとワインと、同じもの。いつでもこの世界は最初にして最後の晩餐なのだ。私たちの血と肉、それが私たちの記憶。誰かを記憶することに使命を感じ(記憶しないことに罪責感を覚え)、誰かに記憶されることに誇りを感じ(記憶されないことに怖れおののく)私たちの見えないところに記憶はある。忘却だけが、それを知っている。私たちを、知っている。
記憶のなかに私たちを記憶として還すとき、また何かが始まる。終わりのなかで復活する新しい時間が、今また始まろうとしている。
一日中開け放たれた白い扉の向こうに二段ベッドの見える向かいのアパルトマンの窓辺から、白と黒の猫が私たちを見ている。あなたがカメラを探しているうちにいなくなってしまった小さな亡霊。いつでも古くて新しい私たちという窓辺で揺れる白いカーテンが、見えない何かを見せてくれるかのように、光とともに、優しくあなたを包み込む。忘却のなかに、記憶のなかに、今、私たちはいる。

(……以前は降誕祭の夜には必ず足を運んでいた(市ヶ谷の、あるいは四谷の)カソリックの教会に、もう何年も足を運んでいないわたしの記憶として、八年前の真夏に雑誌『すばる』に寄稿したエセーを、いまのわたしが書いたものとしてここに転載します。忘却。記憶の本当の名前。光り輝く彼女だけがこの世界を愛しつづける。『埋葬』を書き終え発表したいま、まったくその通りだと思う。)

埋葬

あたしが死んだことを受け止めてくれるなら、あたしのことを思い出さない日は一日だってないままあたしのことを忘れてくれると思う。植物が日の光に向かって葉をひろげるように、あたしのことを思い出せば思い出すほど忘れてくれると思う。

『埋葬』はどこから来たのか。なにがわたしにこの本を書かせたのか。誰がわたしの死者なのか。わたしは死者たちを思い出さないことは一日だってないまま忘れている。忘れていることのゆるしを乞うこともなく忘れている。植物が日の光に向かって葉をひろげるように。どの廃墟の中庭も奇妙なくらいいつも明るいように。新木場のビッグサイトのコンクリートで区切られた空のように。死者たちのことを思い出せば思い出すほど、書けば書くほど忘れている。なぜなら書くという行為もまた死者になることなのだから。思い出される死者たちの側に移りゆくことなのだから。死者は誰よりも後からやって来る。生きている限りわたしたちは彼女たちのことを知らない。死者たちの中に男性はいない。なぜなら誰もがアンティゴネーのように「婚礼の歌も聞かずに、閨も見ず、夫婦の縁も結ばぬうち、子の養育も許されずに、このように、親しい者にも見捨てられ、みじめな運命に、生きながら、死人たちの籠もる洞穴に出掛ける」者なのだから*1。自分だけはそうでない死者に、なにごとかのことを為してから死ぬ者に、名を為す男になるという夢は、ただひとりの例外もなく夢のまま終わる。女の夢とは……。


『埋葬』の装画(の樺の森の、生い繁る草の前に=中に佇む赤いスカートの女の子の背中の、まるで彼女の感情としか思えない樺の森の、生い繁る草の前に=中に……)を提供してくださった上村亮太さんが日記に、ブログというよりネット上の日記に『埋葬』の感想を寄せていただきました。→上村亮太"day by day"

「読み進んでいくと、ちょっと狭い場所になって、それから、やがて、見晴らしのよい草原のような広い場所になって」……まさにそれこそが上村さんの仕事に、特にネット上に、もう何年もずっと、ずっと毎日二枚ずつ発表しつづけているドローイングの連作にわたしが感じていたこと、見ていたことでした。上村さんがいまなお、きっとあしたもあさってもずっと、間違いなく自身の死後もずっと発表しつづけてゆくことになるにであろう仕事こそ"純絵画"だと、つまりは絵画の運動、絵を生きることだとわたしは思います。

切り崩された崖の上の、廃墟のような平屋の家屋と石の階段。フレームの外から絵の中に「お邪魔しまーす」な女の子の足。見たことがないお伽噺の、桃太郎の前か後ろの語りの顛末、線画の紙芝居。工場の、ベルトコンベアーの、あるいは生コンの、工事現場の、切り開かれた大地の、噴火する火山の、ダムの谷の水の、蛍光の水色の、そして黄緑色の流出。スカートやブラウスの中の蝶の舞、花の咲き乱れはスカートの、そしてブラウスの線を越え、ドローイングのフレームすら越えて流れ出し、パソコンのモニターの光に透かしてその絵を、その色を見ているわたしの目の中に滞留する。サンダルの、足の甲からにょっきり生えた茎の先の黄色い花が、その女の子の足が、その遠慮がちな、絵の天からの差し出し方が好きでした。樹林帯ベイビーの樺の森は、これが初めてではないですよね。水色の靴下を、手袋をした女の子の樹林帯も、このベイビーも好きでした。いまJim O'Rourkeの"Life Goes Off"を聴きながらこれを書いています。上村さんの絵を初めて見たのは六本木クロッシングでした。驚きました。紙テープで貼られた絵が、ビルの空調の風になびいていました。それは六本木ヒルズの、森美術館の中に出現した新しい自然でした。描いている自分の手の先の、目の先だけがいつも充実している。上村亮太さんの感情としての風景を、ぜひこの機会にご覧下さい。→上村亮太・DAY BY DAY

参照→「感情としての風景

富岡多恵子初期短編

群像 2010年 12月号 [雑誌]

群像 2010年 12月号 [雑誌]

11月7日発売の『群像 12月号』のコラム「私のベスト3」に「富岡多恵子初期短編」と題したエセーを発表しました。原稿用紙換算三枚の中に思いの丈のすべてとは言えないまでも、いま富岡多恵子の小説についてわたしが"語る"ことができるすべてをぶつけることができたので、とても満足しています。

ベストなものについて、つまりは好きなものについて"語る"ことはとても難しいことです。好きなのですから、難しいどころか、原理的に言えば不可能なことです(不可能でないなら、それは単に好きでもなんでもないことです)。けどそれを可能にするのが"語り"なのではないか。不可能なものと可能なものは、無意識と意識と同じで、対称的なもの(=反対の概念)ではないのだから、不可能なものを不可能なまま可能にすること、目に見えるものにすること、つまりはかたちにすること。それは、できるできない以前以後の問題で、つまりはやるかやならないか、ちゃんと嘘をつくかつかないかの違いしかないのではないかと、富岡多恵子の小説を読み始めてからつとにわたしは考えるようになりました。語ることは文学の実践、倫理以外のなにものもでもないのではないか。嘘をつくことにどこまで正直であることができるのか。

実はまだわたしが富岡多恵子の小説を読み始めてから三ヶ月も経っていません。けどこの三ヶ月はわたしにとって、めくるめく小説の、そして"語り"の季節でした。それはいまもまだつづいています。なんだか小説の青春時代のまっただ中にいるような気分なのです。やばい。富岡、やばい。ほんとにやばいから、ぜひ彼女の本を手にして欲しい。まずは『動物の葬禮/はつむかし 富岡多恵子自選短篇集』の「動物の葬禮」と「末黒野」を読んで欲しい。これでハマらなかったら諦めます。いや、絶対、小説が好きなあなたならハマるはずです。そしたらこのエセーで論じた『当世凡人伝』をネットのusedでも、古本屋でもいいから、がんばって手に入れて読んでください(いまのいま、11月8日の午前2時38分の時点では、アマゾンのusedで、215円で売られています!)。

ちなみにわたしはいま『仕かけのある静物』という1973年に出版された短編集を読んでいます。どれも素晴らしいけど、最初に収録されている「子供芝居」が好きです。三度つづけて読みました。未来の富岡多恵子の読者になるはずのあなたのために、その一節を引用します。

その上に、芝居に出てから一年近くたつにつれて、はじめはいやいややっていた芝居に、知らぬ間に熱中していることで、その熱中の中身を、キンは芝居の外側からふいに見られるのは、便所にしゃがんでいるのを他人にのぞかれるよりもっと屈辱に思ったのである。相手の女の子に、役の上で思い切り悪態をつく時、恋人との別れを悲しんで泣く時、借金が返せなくて身売りをさせる親をふりかえる時、そういうどんな役も、おっしょさんや若センセが教えてくれた所作をし、覚えたせりふを大声でいうのに、自分でも知らぬ間に、それは時に自分のあのおかんの叱る様子の真似であり、シズカさんのものをいう時の、ちょっと首をかしげた様子であり、父親と母親のやりとりの調子があったのだ。キンは、盗人のように自分が思えた。自分が母親に叱られて泣いた時のことまでも、その夢中で泣きわめいていた時のことまでも、自分はふいにもう一度芝居をしていた。……「子供芝居」

嘘をつくことにどこまで正直であることができるのか。『群像』のこの号には、彼女の対談が掲載されています!

当世凡人伝 (講談社文芸文庫)

当世凡人伝 (講談社文芸文庫)

動物の葬禮・はつむかし 富岡多惠子自選短篇集 (講談社文芸文庫)

動物の葬禮・はつむかし 富岡多惠子自選短篇集 (講談社文芸文庫)

体の畑

なんか最近、畑のような感覚で、自分の体のことを考えています。体内環境、とでもいいますか。ビタミン剤やゴマのセサミンのカプセルみたいなサプリメントが体にいいと信じているひとは、一度それを畑に撒いてみるといいと思います。かならずや無駄だと実感することができるでしょう。

おとといは麺と一緒に茹でたホウレンソウを、にんにくオイルで軽く炒めたパスタとともに、体の畑に散布しました。そこに釜ゆでシラスをのせて、いちめんにパルミジャーノ・レジャーノを振りかけました。畑の畝に、雪が降り積もるようにたっぷりと。

自分の体という畑は、わたしたちにとって、最も近い〈外〉であるどころか、直接手を加え、つまりは〈内〉在的に耕すことができる唯一の〈外〉なのではないでしょうか。

さきおとといは、豚肉の代わりに厚揚げを使ったゴーヤチャンプルー*1を、大根おろしを添えたイワシのフライパン焼き*2とともに体の畑に散布すると、豆腐、ゴーヤ、卵、カツオ節、イワシ、大根と、普通名詞で並べただけでも複雑過ぎて、そこでなにが起きているのか、すべてを把握することはできない無数の出来事が〈外〉の〈内〉で起きているはず。栄養素なんて所詮、普通名詞です。いやどんな固有名詞も、普通名詞の中にあります。そこに「固有」を見るも見ないも、わたしたちの思惟次第なのですから。自然数みたいなものです。自然がその通りのものであるとは思ってはならない。あくまでもわたしたちの理解を助けるためのものです。

わたしたちの体という〈外〉の〈内〉では*3まだ発見されていないものも含めたたくさんの細菌やウィルスが棲息しています。言うなら、わたしたちの体は苗床なのです。たくさんの生き物がそこで暮らしています。空き地みたいなものです。草がぼうぼうに生えているのです。ヤゴやタニシが棲息している川床の石の上に苔がびっしりと生えた沼地みたいなものなのです。

これからわたしは、畑のような感覚で、他人の体のことを考えてみようと思っています。それはおそらく〈演出〉と呼ばれる行為をする者の感覚のことです。なにが起きるかわからないという意味では、他人の体も自分の体も同じことです。この〈同じ〉は実に爽快で、孤独よりも絶望的な気分をわたしたちに与えてくれます。孤独は他人の体という畑のような感覚で。

きのうは半月切りにした茄子に、塩揉みするように醤油をかけて、少し置いてから絞った琥珀色の汁ごとご飯に載せて、大葉を刻んだのと貝割れ大根の粗みじんを振りかけてイワシの代わりにサンマを使っただんご汁と一緒に体の畑に肥料を与えました。ベランダの朝顔は、まだ花を咲かせています。ツルの先端を切っても脇からまたツルが出てきて、次々花を咲かせて昼には萎んで落ちているのです。彼女の脇から流れ出ているのは、きっと体の畑なのです。……神里雄大の演劇のトーク・イベントにふたたび、いや、みたび呼ばれて、なにを話そうかと考えていると、ふとこんなことを書いていました、考えていました。

→岡崎藝術座 『古いクーラー』@シアターグリーン BIG TREE THEATER (池袋) 2010年11月19日→11月28日 http://okazaki.nobody.jp/old-airconditioner/

*1:植松良枝・著『畑のそばでうまれたレシピ 温かい野菜料理』より

*2:高山なおみ・著『おかずとご飯の本』より

*3:この場所なき場所、運動を「内在平面」とジル・ドゥルーズは名づけました。

新刊

本日、ただいま、入稿しました。予定通りに行けば、11月25日に、早川書房から新刊が出ます。はじめて書き下ろした小説です。タイトルだけでもお知らせしようかと思ったのですが、やはり本の姿というか顔である装丁とともにお知らせしたいと思います。

(→新刊を出すにあたって、参照にしてもらえると思った過去のエントリ(「傷」「女子への鎮魂歌」)へのリンクをここに貼っていたのですが、新刊のタイトルと間違われるとの指摘があったので改めました。タイトルは、……すでに早川書房のweb site等で明かされています!)

きみをも私をも超越したこの贈り物

わたしたちは、経験でないものまで経験することができる。これはなにより精神分析学によるところが多い発見であり実践でした。そしてその解明であり治療でした。それはもちろん、いまなおつづく旅である*1

ストレスというなんともゆるい言葉に一手に担われてはもったいないほどの謎が、力が、たとえば胃痛という経験にはある。わたしたちはもうすっかり慣れてはいるけど、わけてもこの「ストレス」という言葉によって抑圧されているだけのことで、よくよく考えてみれば不思議なことである。まるで花を見つめ過ぎたために溶けてしまうようなことが(花が? それともわたしが? あるいは花でもわたしでもないものが?)、わたしたちの精神と胃とのあいだで起きている。それが胃痛と呼ばれる経験でないことを経験することなのだから。

腹部を切開するような大手術を見学すると、特に男性は、十人中九人、つまりはほとんどのひとが失神するという。これもよくよく考えてみればおかしなことである。いわゆるところのカリスマ的な人気を誇るロックのコンサートで、特に欧米の女性たちが失禁するのも、おかしなおかしな、とてもおかしなことである。失神。そして失禁。茫然自失の体。もはや精神と身体の繋がりを考えるだけ無駄だろう。もったいぶらずに言えば、まちがいなく、それは同じものである。精神と呼ぼうが身体と呼ぼうが、繋がりと呼ぼうが同じことである。

その根底には、まちがいなく自殺という企てがある*2。ただし、いま書いたように、精神と身体の繋がりを企てるのではなく、というか精神も身体も、そして繋がりという言葉をも無効にすること。それが自殺という企て、経験でないものまで経験することである。なぜなら、それを媒介してしかなにも経験することができないにもかかわらず、あるいはもしかしたら、だからこそ唯一それ自体を経験することができないもの、それがわたしの死であるのは、死とはわたしの経験そのものだからである。当たり前である。死を死ぬことはできない。経験を経験することはできない(直接的なものを直接受け取ることはできない、受け取るためには間接的なものが、表象されたものが/されることが、他者が必要である)。

経験を経験するためには、経験でないものという余地が、表象が必要なのである。ここまで書いてきて気づいたのだが、驚いたことにわたしたちは、経験でないものまで経験することができるどころか、経験でないものしか経験することができないのである。他人の手術を見学することは経験できても、自分の身体に施された手術を経験することはできない。いや、自分は確かに手術された、大手術を経験したのだと言うなら、それはまるで他人の手術を見学するように手術後に、あるいは手術前に経験した、経験でないことを経験した、まるで他人の手術を見つめるように想像した、つまりは表象したのである。いずれにしてもわたしたちは他人の手術という(わたしの)経験でないものしか経験することができない。他人の死を目撃すること。そこに立ち合うこと。その傍らにあること。見つめること。これがわたしたちの経験と呼べる唯一のものであることを、まるで証言するかのように書いたのは、モーリス・ブランショである。

だが、死に瀕してきみはただ遠ざかってゆくわけではない。きみはなお、ここにいる。なぜなら、きみは今、この死ぬということを、あらゆる痛みを受け渡す同意であるかのようにして私に委ねている。そして私はそこで、身を引き裂かれながらそっと身震いし、きみとともにことばを失い、きみの助けなしできみとともに死に瀕し、きみのかわりに死に身を委ねて、きみをも私をも超越したこの贈り物を受け取ろうとしているからだ。(モーリス・ブランショ「彼方への一歩」『明かしえぬ共同体』ちくま学芸文庫より)

きみをも私をも超越したこの贈り物とは、経験でないものまで経験することである。それを長年わたしたちは「わたしたちは表象を食べて生きている」と言ってきた(ただの思いつきでふと口にしたこの言葉を、渡邊聖子が折に触れ思い出してくれたことでこの言葉が押しひらく意味に、余地に、地平のはるけさに気づかせてくれた)。写真を見ることは、経験でないことを経験すること、きみをも私をも超越した贈り物を受け取ろうとすることである*3

わたしは小学五年生のとき、はじめて見たヒロシマのことを思い出している。それはアメリカ人というヒロシマ人でないひとたちが記録のために撮影したフィルムであった。そんなものは所詮フィルムじゃないか、写真じゃないかと言うなら、フィルムや写真以外にわたしたちが経験することができるものをわたしの目の前に持ってきて欲しい。見せて欲しい。経験させて欲しい。殺されるのは簡単だ。死ぬのも実にたやすい。経験することだけが、いつも難しい。なぜなら経験とは、自分の死でない死を、他人の死を死ぬことだからである。

[石の娘]渡邊聖子 2010年9月4日 18:00 開場 @BlanClass

*1:十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』参照

*2:それをフロイトは「死の欲動」と呼んだ

*3:受け取ることは不可能である。あるいは、不可能なものをわたしたちは受け取る、つまりは表象する。

わたしの目の前に、まるで本のように 表象論3

一人の死者を注意深く眺めていると奇妙な現象が生じる。体に生命がないことが、体そのものの完全な不在と等しくなる。というよりも、体がどんどん後ずさっていくのだ。近づいたつもりなのにどうしても触れない。これは死体をただ見つめている場合のことだ。ところが、死体の側に身をかがめるなり、腕か指を動かすなり、死体に向けてちょっとした身ぶりを示すと、途端に彼は非常な存在感を帯び、ほとんど友のように打ち解ける。(ジャン・ジュネ「シャティーラの四時間」訳・鵜飼哲 『インパクション51』所収)

死体のある死と、死体のない死。死体は思うこと*1と見ること*2のタイムラグ*3である。そのときわたしは、いまこの瞬間に死のときを迎えたあなたがずっと、あなたの代わりを演じていたこと*4を知るのである。

わたしはずっとあなたを見ていた。あなたをあなたと思って、あなたを見ていた。だけどそれはあなたでなかったことを、死体[body]となって横たわるあなたを、あなたの死体を見たとき、わたしは知ったのだった。

確かにそれはあなただった。けどそれはあなたではなかった。わたしはずっとあなたではないものをあなたと思って見ていたことになる。

そんなおかしなことがあるだろうか。まるでマトリックスの世界をはじめて知ったときのネオのような気分である。肉ではない肉を、肉の表象に食らいつき、咀嚼しながら「無知は幸福」とつぶやく裏切り者と同じ絶望にわたしは嘔吐する。

つまり、いまここにある=見えるものはすべて、それでないことでそれであるものrepresantationである。現前するものはすべてなにかの代わりでありその痕跡である。だからといって、その「なにか」が先にあって、そのなにかの「代わりのもの」をわたしたちは見ているのではない。「……の代わり」という運動自体が「なにか」をいまここに、たとえばあなたの体[body]をいまここに、わたしの目の前に、まるで本のように開いて見せてくれているのである。だからこそ腕か指を動かすなり、本に向けてちょっとした身ぶりを示すと、途端に彼女は非常な存在感を帯び、ほとんど友のように打ち解ける。

本も体も痕跡である。あなたはあなたの傷である。あなた「の代わり」の、余白*5の傷である。わたしたちはその傷から読書という、あるいは生きるという果てのない旅に出る。

パレスチナ人たちのかたわらで──彼らとともにではなく──過ごした時間の現実が、もしもどこかに留まるとするなら、うまく言えないが、この現実を語り伝えようとする一つ一つの言葉のあいだに保たれ続けるだろう。実際にはこの現実は、紙片のこの白い空間の上に、中をくり抜かれながら、というかむしろ、言葉のあいだにぴったりと把えられながら、身をちぢめ、おのれ自身に合体するまでになっている。言葉のあいだに、であって、この現実が消えていくために書かれた言葉自体の中にではない。あるいは、言い方を変えるとこうなる。言葉のあいだの規則正しい空間には、この言葉自体を読むのに必要な時間にくらべて、現実がより多く詰め込まれている、と。[…]私の本のこの最後のページは透明である。(ジャン・ジュネ『恋する虜』訳・鵜飼哲/海老坂武)

*1:思惟

*2:延長

*3:差延

*4:代補

*5:「彼女の余白」参照http://d.hatena.ne.jp/yokota_hajime/20081220/p1

表象のパラドクス 表象論2

たとえば、西瓜。いまごろ日本各地の畑で、あんなにおおきなものが、あんなにたくさんごろごろしていると、見る者が声をあげずにおれないほどまるまるとふとった西瓜。濃い緑の中にかなり大胆なタッチで黒い亀裂模様を走らせた西瓜。叩くと厚い皮が太鼓の膜のように震える西瓜。ツァイ・ミンリャンの西瓜。まっぷたつに割られた西瓜。赤い汁が手首を伝ってぽたぽたと肘の尖った骨の先から落ちる西瓜。スイカ。すいか。……いまここにどう書こうとも、どんな言葉で表象しようと、わたしたちが夏が来れば毎年のように経験している、食べている、見ている、これ、おっもいねーと言いながら、はしゃぎながら両手で抱えるようにして持ち上げているあれではない。西瓜という言葉であって、西瓜そのものではない。だけどいまこれを読んでいるあなたは、わたしが表象しているものが西瓜であると認識している。今年はまだなら、まるで去年の夏を思い出すようにその姿を思い描いている。西瓜は西瓜であるのかないのか。

表象のパラドクス。表象の数ある性質の中でも、すべての性質を貫くこのパラドクスを強調したいとき、哲学者[=翻訳者]たちはrepresentation[代理=表象]と翻訳する。それ「でない」ことでそれ「である」のが表象である。表象が、なにはさておき「代理」するものであるのはそのためである。

舞台でマリー・アントワネットを演じる、つまりはマリー・アントワネットをrepresentation[代理=表象]する俳優は、マリー・アントワネット「でない」ことでマリー・アントワネット「である」。なぜならもしその俳優が俳優でなくてマリー・アントワネット本人であったとしたら、当たり前だが、マリー・アントワネットとしていまここにあることはできない。つまり俳優はマリー・アントワネット「でない」からこそマリー・アントワネット「である」ことができるのである。

海面から突き出たおおきな岩がある。たとえ夏であっても、そこまで自力で泳いでいける自信は持てないくらい遠く離れているから正確なことは言えないが、巨木の胴回りを測るようにおとなの男が両手をひろげて繋いで抱えるには少なくとも十人は必要なのではないかと思われるくらい、それくらいおおきな岩である。その岩をrepresentation[代理=表象]する写真がいま、代々木上原サンマルクカフェのテーブルの上にある。その写真は海面から突き出たおおきな岩「でない」ことで海面から突き出たおおきな岩「である」。もので言えば印画紙、ただの紙である。もしその写真が写真でなくて、海面から突き出たおおきな岩そのものであったとしたら、代々木上原サンマルクカフェは甚大な被害を被り、コーヒーを飲みながらチョコクロを食べているひとびとはかならずやパニックに陥ることだろう。つまりその写真は海面から突き出たおおきな岩「でない」からこそ海面から突き出たおおきな岩「である」ことができるのである。

それからは万事が速やかに進んだ。法廷は閉じられた。裁判所を出て、車に乗るとき、ほんの一瞬、私は夏の夕べのかおりと色とを感じた。護送車の薄闇のなかで、私の愛する一つの街の、また、時折り私が楽しんだひとときの、ありとある親しい物音を、まるで自分の疲労の底からわき出してくるように、一つ一つ味わった。すでにやわらいだ大気のなかの、新聞売りの叫び。辻公園のなかの最後の鳥たち。サンドイッチ売りの叫び声。街の高みの曲がり角での、電車のきしみ。港の上に夜がおりる前の、あの空のざわめき。──こうしてすべてが、私のために、盲人の道案内のようなものを、つくりなしていた。(アルベール・カミュ『異邦人』訳・窪田啓作)

わたしたちは、マリー・アントワネットをどのようにして知ったのだろうか。おそらく歴史の教科書や歴史ものの書籍や映画や漫画というrepresentation[代理=表象]を通して知ったのだろう。なのにわたしたちは、マリー・アントワネットが18世紀のフランスに存在したからrepresentation[代理=表象]することができたと考えてしまう。かつてそうであった/もはやそうではないものを、誰かがrepresentation[代理=表象]することで知ることができたと、順序を逆にして考えてしまう。いや、だってマリー・アントワネットが存在しなければrepresentation[代理=表象]することはできないではないか、対象がないではないかと言うなら、ではマリー・アントワネットが存在したと、実在の人物なのだとわたしたちはどうやって知るのか、知ったのか。それもやはりマリー・アントワネットのrepresentation[代理=表象]によって/においてなのではないか。ていうかそもそもマリー・アントワネットという名前からしてrepresentation[代理=表象]なのだから、つまりはわたしたちはわたしたちの目や耳や鼻や、あらゆる感官を通して、想像力を駆使して知ることができたすべてのものはrepresentation[代理=表象]なのだから。わたしたちは誰も彼もが生まれながらにして対象そのものを、その物自体を知らない盲人なのである。……こうしてすべてが、私のために、盲人案内のようなものを、つくりなしていた。

表象するものが、表象されるもの(=対象)に先立つ。対象、モデルとはすべて表象、コピーによって/において後から産み出されたものである。なにもわたしは芸能人のゴシップ記事のことだけを言っているのではない。受け取ることができたもの、かたちあるもの、可能なものはすべてrepresentation[代理=表象]である。もし表象されるものが表象するものに先立つなら、手紙を読んで相手の真意を、こころを読み違えているのではないかと夜も眠れないほど心配することもないだろう。なにしろ相手の真意が、こころが手紙に先立ち、あらかじめ直接わたしに与えられているのである。相手の真意を、こころをわたしは先に知っているのである。相手のこころを読み違えているのではないかと怖れる必要などないはずである。だがそれはありえない。原理的にも現実的にもありえない。わたしたちが相手のこころを知るためには、手紙や笑顔や、朝まで一生懸命話してくれたことや、メールで誘ってくれたライブの演奏や、あるいはそのお誘いメールの文面の中の絵文字のハートマークというrepresentation[代理=表象]を媒介にすることでしか知ることができないのだから。そのrepresentation[代理=表象]を見たり読んだり感じたりして、ライブに行こうと、このあいだのことは水に流そうとやっと決心することができるのだから。

○○でないことで○○であるもの。代理=表象。たとえ、かつてそうであった/もはやそうではない過去のものであったとしてもrepresentation[代理=表象]は対象に先立つ。なぜならrepresentationは「もの」ではなくて機能だから。運動だから。想起と呼ばれる行為だから*1。二十四時間三百六十五日、寝ずの番をしている。なにかの代理をするのではなく、代理という機能、運動の中からなにかが生まれる。そんなこと、ありえないと思うなら、どうしてあれだけのひとがきのう選挙に行くことができたのかとわたしは問いたい。representation[代理=表象]という機能に、運動になにかが先立つと言うのは、選挙をする前から選ばれるひとが、国会議員が決まっているくらいおかしな話である。

日本国の国会議員は、日本国民のrepresentation[代理=表象]である。わたしたちが映画や漫画を通してマリー・アントワネットを知ったように、諸外国の人々は菅直人のあの薄ら笑いを通して日本国を知るのである。菅直人は日本人であるあなたに先立つ。あなたからすれば、それは日本人に対する誤解であるとしかいいようがない理解をしている相手と、たとえばデンマーク人とあなたはこれから顔を合わせなくてはならない。だがそのあなたも日本人のrepresentation[代理=代表]であり、別の誰かにとっての「それは日本人に対する誤解であるとしかいいようがない理解」を産み出すrepresentation[代理=表象]なのである。なぜなら「日本人」や「日本」という言葉からしてrepresentation[代理=表象]だからである。まさか日本や日本人が先にあって、それを「日本」や「日本人」とrepresentation[代理=表象]していると思う者などいるまいと思うのは、わたしの甘い考えなのか。「もともと」とか「復活させる」とかいう謳い文句が選挙の広告の中で踊りまくるこの国なのだから。

わたしたちは、いまここにわたしが書いたようなパラドクスに陥っていない、○○でないことで○○であるものを通じて、つまりは媒介せずに○○を直接知ることはできない。海面から突き出たおおきな岩「でない」ことで海面から突き出たおおきな岩「である」ものを眺めて知ることができるのは、その「海面から突き出たおおきな岩」ではなく、また別のなにか、たとえば地殻変動である。眺める限り、それを見る限り、わたしたちは「それ」を媒介にして別のなにかを知ってしまう、考えてしまうのである。手紙に「ゆるす」と書いてあったから相手はもう自分をゆるしてくれたとすぐに思うことができるなら、わたしたちはわたしたちのほとんどすべての悲しみから救われるのだろうが、どうしてもわたしたちはその意味を、つまりはその言葉はほかのどんな言葉の、気持ちの代理なのか、表象なのかと考えてしまう。隠喩として書くつもりも、表現するつもりもなくても隠喩になるのが言葉である。「ゆるす」と書いた本人に、隠喩にするつもりも換喩にするつもりも、はたまた提喩にするつもりもなかったとしても同じである。ほかのなにかを意味する可能性を言葉から奪い去ることはできない。なぜなら言葉とはrepresentation[代理=表象]という"そのものでないもの"そのものなのだから。まだハイハイすることもできない赤ちゃんが、やんややんやと絵筆を振って描いたものであっても「あれ? これ象みたい、ゾウさんみたいだねー、お上手だねー」と、わたしたちはそこになにかを見ずにはおれない。親方が「レンガ」と言うだけで「レンガを持ってこい」と弟子の耳には聞こえるウィトゲンシュタインのあの話は、教えるー教わる立場うんぬんを論じる話である以前に、代理=表象するものが代理=表象されるものに先立つことのひとつのrepresentation[喩]だったのではないのか。自分を産む前の母親の写真を、つまりは自分の知っている母親「でない」少女時代の母親の写真を見て、これはわたしの母親「である」と思わずにはいられないのは、ロラン・バルトだけではないだろう。このパラドクスから逃れる方法は、なにも表現しないこと、representation[代理=表象]しないことだと思って黙っていると*2、これが最も強烈になにかを意味し、思わぬ誤解を産むことは現実的かつ具体的に誰もが知ってることだろう。

わたしたちはもはや黙ることはできない。なにかのrepresentation[代理=表象]でないことも、なにかにrepresentation[代理=表象]されないこともできない。なぜなら「わたしたち」こそが互いに互いを代理=表象しているrepresentationという運動、あるいは関係そのものだからである。なぜならわたしたちは、自己でないことで自己であるものたち、他なるものによって/においてしか自己を知ることはできないからである。他なるものとはなにか。これをラカンは「大文字の他者[Autre]」と呼んだのだが*3、いまここで言うところのrepresentation一般である。つまりは代理=表象することそれ自体。representationは、誰にとっても、なににとっても代理=表象であるほかない、それ自体であることはできない他者なのだから。

*1:「あらためてこうして」表象論1 参照

*2:語りえぬものについては、沈黙しなければならない[What we cannot speak about we must pass over in silence]ウィトゲンシュタイン論理哲学論考

*3:十川幸司精神分析的思考 ラカン理論における経験と論理」参照 ……『批評空間2-25』所収

あらためてこうして  表象論1

あらためてこうして眺めてみると、あるいは聞いてみると違ったように見えたり聞こえたりするのは日常的によく起きることです。やはりわたしは料理のことを思い出します。ふだん自分でつくっているわたしは、よく自分でもつくるし、何度も食べたことがある料理でも、外で食べるといろいろなことに気づかされます。クラブで音楽を聞くこともそうです。あ、やっぱこの曲好きだなー、なんていうのは序の口で、目から鱗ならぬ耳から知識が、思い込みがぽろりと落ちることがあります。

DJ HIROKAZ "BINRAN CONTINUE" http://d.hatena.ne.jp/hirokaz_nakamura/

そういう意味で、HIROKAZのブログで、わたしが高校生だったころ文化祭で教室を黒いゴミ袋で覆ってむりやり暗くしてカセットデッキでクラスメートと交代交代でDJをするなんてことをせずにはおれなかったほどディスコミュージックが全盛だった八十年代後半に聞いた曲(Michael Sembello "Maniac")を、あらためてこうして聞くと、わたしが高校生だったころとか八〇年代とかディスコとか、そういう言葉でこの曲を聞いていたわたしが否定され、わたしが高校生だったころでも八十年代でもディスコでもない音としてわたしの前に立ち現れる[=現前する]ことがしょっちゅうあって、あらためてDJという仕事の偉大さに驚いたりします。言葉にまみれていたのでも支配されていたのでも思い込まされていたのでもなくて、どこまでも無心に、ただただ聞いていても記憶するには言葉が必要になるそのとき指示していた言葉を介してしかわたしたちはその曲に触れることができないのです。はっぴいえんどの「風街ろまん」など記憶に新しいところです。あらためてこうして聞くことができた、主に八〇年以降に生まれたひとたちが、七〇年代とかフォークミュージックとか神田川とかそういう言葉から「風街ろまん」を自由にしてくれたのだと思う。だけどそのときまた別の言葉を媒介にして「風街ろまん」を聞いていることを忘れてはならないと思う。どんな言葉でこの曲を聞いていたかは、さらに別の言葉でこの曲を聞くことができたときにあきらかになることでしょう。

あらためてこうして書いてみる、文字を展示してみると気づくことがたくさんあります。書くことは、あらためてこうして考えてみることです。表象に与えられたこの力のことを、ブレヒトが異化と名づけたことは有名ですが、要するにそれは、あらためてこうして○○してみることだと思う。なにをどうするもどうしないもなく、そういう問題ではなく、あらためてこうして眺めてみる、食べてみる、聞いてみる、考えてみる。まちがいなくこれは表象に与えられた使命です。言い換えれば、表象とは、どこまでも行為でしかない/であるほかないものである、ということです。

re-presentation[表象=(再)現前化]という言葉がずっとわからなくて、いや、わかるんだけど、むしろわかってしまっていることが疑わしくて、この十年くらいのあいだ、ずっと気持ちが悪いままヨーロッパの哲学書を読んできたような気がします。おそらくそういうひとは多いと思います。そしてこの言葉[representation、表象、代理、再現前化]を使って書いているひとの文章を読んで、おまえ本当はわかってないだろう、ただなんとなくかっこいいから使ってるだけだろうと思ったことが何度もあると思う。誰とは言いませんが、目もあてられないほどひどいものもたくさんありました、読んできました。だけど辞書を引いても書いてあるわけでもなく、たとえ書いてあったとしてもなにがそれでわかるわけでもないので、意識的にこの言葉をXとして括弧にくくってしまって、ひたすらその前後に書かれていることを、余白を、意味をわたしは読んできました。読んでいたのは主にフランスの哲学者たちの本で、ジャック・デリダラクー=ラバルトとジャン=リュック・ナンシーです。それでも最近少しだけ、わかり始めたことがあります。あらためてこうして考えるために、ここに書いてみたいと思います。

re-presentation[表象=(再)現前化]。そもそもどうしてこんな複雑な書き方をしなければならなかったのか。そこにはかならずフランス語を日本語に翻訳する=表象するの際の困難があるはずだと思いました。「おまえ本当はわかってないだろう、ただなんとなくかっこいいから使ってるだけだろう」に陥ったしまったひとたちの多くが、現前化と再現前化におおきな違いを見ているようですが、まずこれが違います。どうやらオリジナルとコピーとか、アニメや漫画によく使われる二次創作なる言葉に惑わされているようです。実際そういうひとたちが教科書にしている「おまえ本当はわかってないだろう、ただなんとなくかっこいいから使ってるだけだろう」さんたちの文章の中ではそのような意味として使われています。ひどい話です。なぜならそんなところに表象が抱えた問題は、問うべきことはひとつもありはしないというのに、まるであるかのように思わせるからです。

現前化も再現前化もおなじことです。表象であることには変わりません。だったらどうして「再」という言葉を頭につけたりつかなかったりするのかというと、現前化は、つまりは表象は、一度しか行為できないものでは原理的にも現実的にもありえないことを、何度でもやり直すことができるどころか、この「何度でもやり直す」ことそのものであることを翻訳者[=哲学者]たちは注意を促しているのです。表象することは無限に表象し直すことである。つまりは再現前化という可能性を奪われた現前化は現前化ではなく現前[presence、実在]であると、この訳語(re-presentation[表象=(再)現前化])は言っているのです。「あらためてこうして」は、すべて再「あらためてこうして」なのです。知識、すなわち全体化されたもの(=実在という観念)から自由にする/になることなのです。なぜなら「あらためて」だからです。どの「あらためて」も、たとえいまここにいるわたしにとっては一度目でもすでにn度目なのです。

そうではなくて、哲学者[=翻訳者]たちが決定的な違いを見ているのは、現前[presence]と現前化[presentation]のあいだなのです。後ろに「化」がつくかどうかですべては決まると言っても過言ではありません。日本語の「化」とは行為を表す言葉です。もしくは行為に、運動に、ある種の変化に、思考に、生成にそれを見ることです。「それ」とはすべてのことです。ありとあらゆるすべてのことを「もの」として見るか「生成」として見るかはギリシアの時代からわたしたちが延々と議論してきたことです。この対立は「現前」と「現前化」にも引き継がれています。

十年くらい哲学書と呼ばれるものを読んできて、ようやくわたしが気づいたこととはこのことです。このこととは、表象とは、ものではなく生成であり、運動であり、人間的に言えば行為することであり、思考することであり、生きることだということです。その思想が「表象=(再)現前化」という独特なフランス語=日本語の訳語の中に静かに、だけど確実に込められているのです。表象とは壁に掛けられた絵画のことではなく、それを言うなら壁に絵画を掛けることです。という意味で、音楽を(再)現前化するDJという仕事など表象そのものであると言えるかもしれません。わたしはアンディ・ウオーホルの仕事を思い出しています。そして目黒の美術館で見た石内都の写真展(「ひろしま/ヨコスカ」)を思い出しています。描いたもの、撮ったもの、作ったものを展示するのではありません。表象とは、なにはさておき展示することなのです。この何度でも、それが何度目であっても、最初であること、そして最後であることだけは決してない、あってはならないn度目の中で展示する[re-presentationする]というカテゴリーの中に「描く」や「作る」や「書く」や「食べる」や「歌う」や「踊る」や「滑る」や「飛ぶ」や「走る」や「蹴る」や「弾く」や「笑わせる」や「読む」や「唱える」や「撮る」や「編集する」や「鑑賞する」があるのです。これらすべてが表象です。それが誰かの、自己も含めた他者[autre]の前であるなら、すべてはre-presentation[表象=(再)現前化]することです。あらためてこうして「表象」することなのです。とわたしは思うのです。と表象=(再)現前化するのです。と表象=(再)現前化するのです。と……。

盲者の記憶―自画像およびその他の廃墟

盲者の記憶―自画像およびその他の廃墟

近代人の模倣

近代人の模倣

神的な様々の場 (ちくま学芸文庫)

神的な様々の場 (ちくま学芸文庫)

光のなかにしっかりおさまっている

夜と灯りと (新潮クレスト・ブックス)

夜と灯りと (新潮クレスト・ブックス)

5月6日発売の『すばる 6月号』に、クレメンス・マイヤー『夜と灯りと』の書評を書きました。原書がドイツ語のもの(であると知っているもの)を日本語で読んでいるのに素晴らしい一行が、その一行と別のまた一行の連なり、というより飛躍と呼ぶほかない思いがけない意味に、つまりは乖離することで接続する言葉の冒険に出会うたびにいちいち英語に翻訳したくなるほどこの小説は英語で書かれたたくさんの小説とのあいだで書かれています。そうわたしは断言します。(ドイツ語がまったくできないのでわからないけど、おそらくとても優秀な!)翻訳者のひとはあとがきでヘミングウェイやブコウフスキーの名前を挙げていますが、わたしが一番強く何度も思い出したのはジェイムス・ジョイスでした。それも『ダブリナーズ(ダブリンの市民)』の「死者たち"The Dead"」でした(日本語で読むなら断然おすすめなのは高松雄一訳!)。風景を言葉で表すのではなく、言葉がそのまま風景として、ちょっとやりすぎじゃないかと思うほど馬鹿みたいに晴れた春の散歩の途中で見かけた電信柱のように、すっくとそこに立っているのです。

正直、驚きました。これほどまでの小説をいま、そう、いま書くひとがドイツにいたということに。それも旧東ドイツの都市でありバッハが生涯を捧げたルター派の教会があるライプツィッヒで下層の仕事に従事して、いまもそこで暮らして=書いているひとであることに。クレメンス・マイヤー。だけどその特異性、彼の出自や民族や性別は一瞬にして無化されるほど強烈な言葉の権能(=平等!)がこの小説の中には働いています。要するに、言葉を読む意志を持つものであるなら誰でも読むことができる小説であるということ。純粋言語(ヴァルター・ベンヤミン)。という意味では、レイナルド・アレナスの自伝としての小説も、小説としての自伝も、どちらも同時にわたしは思い出しました(ああ、またすぐにでも彼の文章に触れたい! 読みたい! 彼の書いたものはみんな好きだけど、中でも特に好きなのは『ハバナへの旅』に収録されている「最初の旅……エバ、怒って」)。日本語で読めない彼の小説は、スペイン語ができないわたしは英語で読むことしかできないけど、どれも「言葉を読む意志を持つものであるなら誰でも読むことができる小説」でした。「最初の旅……エバ、怒って」は、わたしがいまでも一番好きなファッション小説でもあります。ニットとは、布と呼ばれる物ではなくて編むこと、運動すること、こころを動かされること、踊ること。とにかく編んで編んで、編むものがなくなれば洗濯紐でもなんでも引きずり下ろして縒って編むこと、そして着ること! 踊るふたりを見てもらうこと!

クレメンス・マイヤーの灯り好きには、ほんと驚きました。これほど何度も同じ風景を、似たような風景ではなく、優れた映画作家の作品がそうであるほかないように、まったく同じ風景が、それはいつも夜と灯りが、中でも特に街灯が、それを見ている(=読んでいる)わたしたちのほかに誰も見てない、通りすがりの風景として登場する小説は、少なくともわたしは読んだ記憶がありません。わたしも街灯が好きで、それはいつも「外灯」と、外であることを強調しながら書くのだけれど、壊れてカヴァーの割れ目から直の、裸の光が夜の中に洩れて虫が盛んに飛び交っている公園の池の端の、あるいは高校の昇降口の階段の横に立つ、そしてまだわたしが見たことのない、もしかしたら誰も知らない、見向きもしない水銀灯のとてもきまじめな、定刻通りに火が灯る夜のお勤めなのかもしれない。わたしは外灯が好きです。気づいたときは外灯を好きにならざるをえない人生の中に放り込まれていました。思い出すのはいつも夜の音です。光のまわりに集まっているのは虫やわたしたちの視線だけではないのです。音もまた孤独な光と、いまここで見ているわたし以外の誰も目にしていない夜と光と親和するのです。夜と光と親和するのは音だけであり、それはどうしたって言葉にならずにおれない感情なのです。青山霊園の西麻布方面へ降りる坂道の外灯が好きです。根府川の蜜柑畑の急な斜面を降りた先で渡る線路っぱたのまっ黄色な外灯は黄泉の国の提灯のようにわたしの行く先をいつも明るく照らしてくれます。青白いのも、嘘みたいにオレンジ色な高速道路の外灯も、UFOみたいに十字路のまん中に浮かんだ外灯も好きで、見れば口をぽかんとあけていつも、いつまでも眺めています。夜のパーキングエリアから眺める外灯の下の長距離バスの座席が並ぶ透きとおった車内も、ジュラルミンのコンテナを曳くトレーラーの運転席で窓に小汚い靴下の足の裏を見せて寝っ転がりながら漫画雑誌を読んでいる彼の私生活を覗き見るのも好きです。そういう是が非でも灯りをともして見てみたいひとたちの生活が『夜と灯りと』と題されたこの小説群の中にはあります。小説「集」というより小説「群」。降り始めの雨がアスファルトに残す乱れたリズムと月の前を遠慮なく横切る夜の雲の濃淡が、パソコンのマウスの裏にこびりついた油っぽいほこりの粘りの気まぐれとそのどうしようもなさが、起きなきゃいけない朝のまぶたの重さが、まどろみがこの小説にはあります。そして誰もが、いつもなにかを待っている。そこが好き。どうしようもなく好き。『がんばれ!クムスン』(ペ・ドゥナ主演!)の、あのイッちゃった旦那の焼酎の早飲みをするときの掛け声くらい好き。自動販売機の土台のコンクリートと本体のあいだにあるボルトが好き。わかる? ネジ一本で、いや四本と言うべきなのかわからないけど、あれだけで地面と夜空のあいだで踏ん張っている姿というか、たたずまいが好き。椿鬼奴が好き。彼女の道路工事で断水したみたいに涸れた声量と八十年代へ心中めいた、変態めいた傾倒が好き。あの諦めっぷりが、自己の絶望っぷりが好き。あら、いまわたし、なんの話をしてたんだっけ? そうだ。クレメンス・マイヤー。彼の小説の一番好きな箇所を、いくつもある一番すきな箇所のひとつを、最後の最後に引用します。

おれはポン・ジ・アスーカルに立って、グアナバラ湾を見下ろしている。今は夜で小さな島々にはいたるところ灯がともっているのが見えて、島の間にはずっと遠くまで船の灯りが見える。おれの後ろの空は明るい。星じゃない。リオ・デ・ジャネイロだ。……「南米を待つ」

すばる 2010年 06月号 [雑誌]

すばる 2010年 06月号 [雑誌]

ハバナへの旅

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ダブリンの市民 (福武文庫)

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未開の映画

4月26日発売の『ユリイカ 特集*ポン・ジュノ』にエセーを書きました。『グエムル 漢江の怪物』を観て以来なんだかずっと、ほかの監督の映画を観ているときもポン・ジュノの映画について考えさせられていたような気がします。それくらいインパクトがあったのはもちろんのこと、ただインパクトがある/あったというだけでは言い表せないなにかがポン・ジュノの映画にはあるのは確かで、いや、確か過ぎるくらいで、それはなになにであると言い切ることができないのは百も承知の上で書きました。きのうも西川美和監督の『ディア・ドクター』を観ながら『母なる証明』を思い出していました。伊野治(いのおさむ)が白衣を着た怪物に見えました。

それがなんであれ、たとえどんなに否定したいものであっても、目に見えるすべてのものはそれの代わりの隠れ家であり、そこに住む人間がどんなに変わっても、変わったかに見えても、それは寝ずの番をしていることをポン・ジュノの映画はつねに心得ている。それは何の怪物であるのかと問うことは一見まじめに見えるがその実、ただ単に答えが欲しいだけのわたしたちの弱いこころのあらわれであることを忘れない。怪物は何の怪物でもない。あるいは同じことだが、何の怪物でもあるからこそ怪物なのだ。