Naked Cafe

横田創(小説家)

様々なる意匠=イデオロギーズ/福田和也

 

ますますポリティカルなコレクトネスが全盛になる、つまりは芸術家がみずからすすんで政治に取り込まれることを(無自覚に!無批判に!)望むこの時代にこの2冊以上に読むべき本が見当たらない。n度目のおすすめ。ポリコレ的な振る舞いにイラッとしたときの清涼剤として!

 

帰りたくないひと


本屋発の文芸誌『しししし4 特集:中原中也』(発行元:双子のライオン堂 発売日:2021年12月上旬)に短編小説「帰りたくないひと」を寄稿しました。2021年11月23日文学フリマ東京および一部書店で先行発売されるそうです!

本屋発の文芸誌『しししし』/公式サイト – shishishishishishis……..

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……つづきを読む(『わたしを見つけて 1』)
テキスト(横書き)版冊子(製本用)PDF

懐かしい未来への冒険

筑摩書房のPR誌『ちくま 2月号 』に『睦家四人姉妹図』の書評を書きました。

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言わずもがなのことではあるが、おもしろい小説があればそれはミステリである。ミステリとして読むことのできない小説が読者を魅了する可能性はない。理由は単純である。ミステリではない小説には問い(謎)がないからである。問われてもいないのに話し始め、誰も聞いてやしないのに話しつづける。飲みの席でいちばん迷惑な部類に属する人間(作者)のひとり語りに過ぎないからだ。

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booklive.jp

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高尾をめぐる/大崎清夏

富岡多恵子初期短編(転載)

 富岡多恵子の短編集の中で、いまわたしがくり返し読まずにおれないのは『動物の葬禮』と『遠い空』と、そして1976年に一年間この『群像』に連載された『当世凡人伝』である。と三冊選ぶのが正直精一杯なのだが、なかでもいちばん中毒性が高いこの短編集の中に収録された十二編の中から、わたしなりのベスト3を選びたいと思う。

〈凡人〉という言葉は、富岡多恵子の初期の傑作長編『植物祭』の中に〈凡庸〉という言葉として登場する。〈不可解人物列伝〉として想起される奇妙なひとびとと比較されながら、この言葉の肌触りを確かめるようにして刻まれる。それは恋人の青年の凡庸な肉体でありその精神である。〈異常ではないもののうつくしさ。異常になり得るものをもたない肉体のうつくしさ。むしろ、凡庸な精神が肉体のすみずみまでゆきとどいた均衡といったらいいのだろうか。それでいて、その精神と肉体の所有者は、けっして鈍感な人間ではない。わたしには、だから、手の触れようがない。ただ、わたしはその人間を愛することしかできないではないか。〉

 ルイとミノというゲイの男の子たちの、とてもキュートでクィアな凡人っぷりが素晴らしい「ワンダーランド」を挙げぬわけにはいかない。たわいもない会話であるからこその、息もつかせぬ視線の交錯がアパートの一室で演じられる。一行=ワンショット。読むたびにため息がもれるほど贅沢かつシンプルな言葉のショットの切り返し。これほど鋭くそして柔らかいものは『おおきく振りかぶって』の美丞大狭山戦と『悪霊』のシャートフの殺害場面くらいしか思い浮かばない。〈小杉はパーティーのはじめからずっと退屈していた。しかし今夜こそ幸福であらねばならなかった。小杉はみんなが帰るまで帰らなかった。〉読者であるわたしの視線も彼とともに高級マンションの一室に、自然にパーティを楽しむことができるひとびとの中に取り残される「富士山の見える家」の、孤独な者にそっと寄り添うような視線は、「花」と題された次の短編の中で〈このひと〉という奇妙であるからこそ凡庸で主体のない主語となって現れる。これこそが奇妙奇天烈であるほかない者たちを、奇妙奇天烈であるからこそ〈凡人〉化する富岡多恵子の小説であり、その特異であるからこそなにもかも、誰も彼もを一般化する力としての自由間接話法の真骨頂である。〈このひとは、社員のさわぎのそばで静かにしているだけである〉〈もしこのひとに欲があるとしたらどんな欲だろうか〉と、社長のキクジに呼びかけ、近くて遠いその場所に寄り添うその声は誰のものなのか。一聴、妻の声のようにも聞こえるが、いや、そうではない。作者本人のものでもない。誰でもない。奇妙と凡庸。退屈と幸福。特異と一般。精神と肉体。反対であるものなどひとつもない。同じ〈このひと〉という主体なき主語が現れる最初の小説『丘に向ってひとは並ぶ』のときから富岡多恵子の小説はそうだったとしか、わたしには言えない。

……『群像』2010年 12月号に掲載されたものを転載します。

当世凡人伝 (講談社文芸文庫)

当世凡人伝 (講談社文芸文庫)

 
植物祭 (1973年)

植物祭 (1973年)

 
植物祭 (中公文庫 A 54)

植物祭 (中公文庫 A 54)

 
遠い空 (中公文庫)

遠い空 (中公文庫)

 
丘に向ってひとは並ぶ (中公文庫 A 54-2)

丘に向ってひとは並ぶ (中公文庫 A 54-2)

 

 

 

 

 

きらきらしてる

雑誌『しししし3 特集:J.D.サリンジャー』(刊行:双子のライオン堂)に短編小説「きらきらしてる」を発表しました。

 お知らせ)誤植がありました P.135 ×蛇足手→○蛇無手

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(生肉を一生懸命食べた生徒が死んだ)午後4:13
(笑)既読
(生肉食べちゃダメでしょ!笑)既読 午後4:15
(うん? そういうことじゃない?笑)既読 午後4:19
(学校どうだった? 書き初めしたんでしょ?)既読 午後4:25

 

本屋発の文芸誌『しししし』/公式サイト – shishishishishishis……..

 

KISSのたびギュッとグッと/にしな

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……余談だが、川谷絵音の才能は"普通に"モーツァルトとかプリンスとかと比すべきものだと思うのはわたしだけではないはず。

……にしなの歌を、声を聴きながら思うことは、声は、歌は、例えば、ともだちと四人で檜原村の宿に泊まった翌朝窓を開け放った部屋の中で登山の準備運動をしながら眺めていた落ち葉のひらひらと舞う風とか、同じその山に、まだ登山をし始めてまもない同居人とあした登ることになる広葉樹の下の山道を試しに登り始めたときに包まれていた靄のような霧雨とか、元代々木の丘を越えればかならず新宿の夜景を見れると知りながら登った漫画に出てくるような豪邸の横の細い坂道とか震災後の蛍光灯を減らされた都営の運動施設のプールをガラス越しに眺められる食堂の薄暗い天井の下のしれっとしたテーブルとか、高速道路の下に放置された公園というわけでもないスペースに設えられたブランコとか、その向かいにある小学校の脇に自生したオニユリの化け物みたいな花の白さとか、近所に緑道があり、春になれば桜の散り際の夜道をふらふら散歩できることとか、1度しか行かなかった沖縄料理のおいしい飲み屋とか、そこに向かうために渡った歩道橋とか、カクヤスが近所にあってよかったこととか、郵便局の本局の中にあるコンビニで立ち読みをした女性誌とか、そのコンビニで働いていた目鼻立ちのはっきりした女性の口元とか、その郵便局がある坂の下のピザハットの肩でなければ押せないくらい重い扉とか、そういうものと比すべきものだと思う。

 

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』

なぜわたしは「わたし」なのか。この「わたし」でなければならなかったのか。答えのないこの問いに応えるための唯一の方法。それは、あなたでなければならない「あなた」を見つけることだ。代わりがいないことが喜びに変わることが「わたし」たちには必要なのだ。

わたしの代わりなんていくらでもいる。なぜわたしは「わたし」なのかと絶望していた「わたし」が、同じ「わたし」がそう感じている。それは「あなた」の中にいるわたしが「わたし」でなければならない、代わりがいないことを「わたし」たちが求めているからだ。

「代わりがいない」という喜びと悲しみ。「愛している」としか言えないいまとこれから。たとえ宛先に届かなくても宛先がある。「宛先」はある。あなたでなければならない「あなた」がいた。その事実は消えない。そしてその事実は「あなた」ではない「あなた」に届く可能性の中にある。

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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト

 

 

わたしを見つけて

筑摩書房のPR誌『ちくま 6月号 』に「わたしを見つけて」という短編小説を書きました。

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 自分で言うのもなんだけど、わたしはレアキャラだ。渋谷駅という複雑怪奇で巨大な駅の中でわたしを見つけるのは、たぶん難しい。
 ヒントその1。わたしはいつも渋谷駅の改札口のすぐ近くにいる。そう言われてひとが思い出す改札口はJRのハチ公口か。井の頭線の改札口か。そのどちらでもないとだけは言っておく。
 ヒントその2。わたしは渋谷駅で最も高いところにいる。どこまでが駅の構内で、どこからが駅ナカなのかの判断が難しいところか。一応、嘘とか適当なことは言ってないつもり。
 ヒントその3。わたしは二日働いて一日おやすみをするリズムで働いている。わかるひとにはわかるヒントだけど、わからないひとにはなんのヒントにもならないヒント。